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正悪の生殺与奪

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 まさにその通りだと思った。自分も犯罪捜査をしていて、考えすぎてしまって、堂々巡りを繰り返すことが結構ある。だから、それを整理するためには、一度頭を冷やす必要がある。その時に思い出すのが、久保先生と、今鎌倉氏の言った言葉であった。奇しくも今日という初めての講義を行ったその日に、その両方を意識させられるというのも、面白い気がした。これが犯罪捜査の途中であれば、分からなくもないが、これも偶然というにはあまりにもであった。
「鎌倉さんは、今までに講義のようなことはされたことあるんですか?」
 と聞いてみた。
「前に一度、署長のたっての願いでしたことがあったんだけど、どうも私には似合わない、その一度キリだったかな?」
「それはもったいない。署長からまた頼まれたりしなかったんですか?」
「一度きりの約束だったからね。でも、やっぱり頼んできたよ」
 と苦笑いを浮かべていたが、鎌倉氏のその表情はまんざらでもないという雰囲気だった。
「でも、本当に一度きりだったんですね?」
「そうだね、本当はまたしてもいいんだけど、一度キリというのが一番しっくりくるような気がするんだよ。これはまわりがどうのというわけではなく、自分の中でそう考えるだけなんだけどね」
 と鎌倉氏は語った。
「鎌倉さんは、久保先生を知っていたんですか?」
 と、話を変えた。
「ああ、久保先生とは数年前からね。あれはまだ久保先生がこの学校に赴任してくる前のことだったね。門倉君ともまだその頃は一緒に捜査することがなかった頃、私はまだ駆け出しの探偵だった頃だった。先生は直接事件と関係はなかったんだけど、先生の一言が事件解決に一役買ったことがあったのさ、アドバイスだったんだけど、何か暗号めいた表現で、私は最初理解できなかったんだ。最初から久保先生は部外者だと思っていたからね。でも、部外者の方がある意味で事件を客観的に見ることができるので、そういう意味では久保先生は最初からそのことが分かっていて、そのうえで、私にそのことを思い出させようとしてわざとアドバイスも含ませていたのかも知れないな」
「思い出させたということは、鎌倉さんには意識があったということなんでしょうね。それだけでもすごい気がします」
 と、手放しで鎌倉探偵のすごさを認めた。
「確かに久保先生は、直接的な言葉で何かを伝えるよりも、どこか曖昧さのある表現が多いですね」
「そこが先生のすごいところなんだろうね。相手に考えさせるということもあるし、しかも、考えればその人なら理解できるだろうということを分かったうえで、どこまで話を落とせばいいのかを理解している。そこがすごいんですよ」
 と鎌倉氏は答えた。
 一瞬、間をおいて、さらに続けた。
「高等数学というのは、問題を作るよりも回答を出す方が数倍難しいものがあると言われているけど、それに近いものがあるのかも知れない。久保先生としては、出題者でありながら、回答者の気持ちにもなっているんじゃないかって思うことがあるんだよ。だから、どちらもの気持ちも分かるんじゃないかな?」
 その話を聞くと門倉刑事も
「なるほど、出題者と回答者が同じという発想は考えたことはなかったですね。それはかなり目からウロコが落ちたという思いを感じさせるものですね」
 と、感心することしかりだった。
「門倉君は、数学で、自分で問題を考えて、自分で解いてみるという人がいるのを知っているかい?」
「いいえ、知りませんでした」
「まあ、一部の人のことなんでしょうが、作った問題が本当に回答のあるものなのかどうかというのは分かりませんからね。実際に数学の中には、『解なし』というものも存在するからね。実は、久保先生もそれと同じことをしていたんだよ。これは一部の人しか知らないことだけど、数学研究雑誌などで、数学者が監修となって作られているものがあるんだけど、そこに毎回、問題募集のコーナーがあって、そこでは、問題と解答の両方を募集しているんだ。問題だけだったら、問題を示して、読者に回答を求めるということもしている。久保先生はその雑誌の愛読者であり、この投稿も結構何度か応募しているようだよ」
 久保先生の専門は数学で、ただの数学の教師だというだけではないということは分かっていたような気がする。
 だが、まさかここまですごい人だとも思っていなかった。授業中も熱心でもないし、生徒に教えようという気概は感じられなかった。
 そんな先生であったが、相談してしまったことを、一度は後悔したくらいだった。だが、それは考えすぎで、その時はそこまで思っていなかったのに、時間が経てば経つほど、先生の存在感が増してくるような意見であったと後になって感じさせる力のようなものがあったのだ。
 鎌倉探偵は、そのことをすべて理解したうえで久保先生を見ている、高校時代の自分にそれだけの気持ちの余裕があるはずもなかったということを、いまさらながらに思い知らされた門倉だった。
「鎌倉さんは数学は得意なんですか?」
 と聞くと、
「ああ、苦手ではなかったね。先生ほどではないけど、小学生の時は、数字の公式を自分なりに考えたののだったよ。でも中学になると急に冷めたんだ。すべてが先駆者による公式によってすでに証明されていて、数学というのは、それを元に回答するという学問だろう? それが嫌でね。僕は中学生の途中で数学が嫌いになったんだ。だから小説家を目指したという敬意なんだけど、でも、算数は好きだったね」
「算数のどんなところが?」
「算数というのは、まず基本は答えを導き出すことだよね、求めた答えが合っていることがまず前提になるんだけど、その導き出すプロセスも大切で、ただし、解き方は全くの自由なんだ。極端な話、一つの問題で一つの答えを導き出すのに幾通りもやりかたがある。それもつきつめれば一種類なんだろうけど。例えば、数学のように先駆者が発見した公式に当て嵌めるという方法もある。また、算数の文章題でよくある『○○算』というのがあるだろう? あれなんかがそうなんだよ。それも、回答方法は一種類ではない。つるかめ算でも解けるし、植木算でも解けるという問題だってある。それを思えば、数学のように一種類しか回答方法を求めないというのは、実につまらなく見えるんじゃないかな?」
 と、普通に聞けば愚痴のように聞こえるような話でも、鎌倉氏の口から出てきた言葉には、説得力がある。
 それは信憑性があるからで、鎌倉氏の表現には、何かの裏が含まれていたり、考え方が突飛だったりすることが、聞く人に神秘性を感じさせ、信頼性を与えるのではないだろうか。
 そのことを門倉刑事がよく分かっている。だからこそ、久保先生のことも信頼していたのではないだろうか。
「すごいですね。僕も小学生の頃算数は好きだったんですよ。その気持ちは分かる気がします」
 鎌倉氏ほど考え方に確固としたものはなかったが、概ね同じ考えであった・
「門倉君は、学生時代にもっと久保先生の講義を真剣に聞いていたら、ひょっとすると別の道を歩んでいたかも知れないね」
 と言われて、
作品名:正悪の生殺与奪 作家名:森本晃次