正悪の生殺与奪
そんな先生はどちらかのパターンである。出世などには興味がなく、自分の教育方針を貫く人で、普段は目立たないがここぞという時に、生徒の役に立ってくれる先生である。
もう一つのパターンとしては、自分が自分で他の人とは違うと思っているが、権力には弱く、流されるだけの人。つまりは、いざという時には一番役に立たない人というどちらかのパターンではないだろうか。
この両極端のパターンがあるだけに、こんな先生に頼るかどうかの判断は、究極の選択になるのだろうが、今のところ手段がないのだから、とりあえず頼ってみるしかなかった。それは彼女とも話したうえで、合意の元、勇気を持って二人で職員室を訪れた。
「先生、すみませ。折り入ってご相談があるんですが」
と門倉が切り出すと、先生は余計なことをいわずに、
「じゃあ、応接室にいこうか?」
と一言言って、応接室での話になった。
要約になるような話を門倉がすると、先生は黙って聞いていたが、要点にある部分では頭を下げて、納得しているように感じられた。
一応の話を門倉がすると、先生は、
「分かった。とりあえず、任せておきなさい。その前に、簡単にいくつか質問させてください」
と言って、先生は的確な質問を返してきた。
この時のことを思い出すと門倉は、
――鎌倉探偵に事件のあらすじを話す時など、どこかで感じたことがある感覚だと思っていたけど、この時の感覚だったんだ――
と感じた。
とにかく、まったく余計なことは聞かない。しかも、
――こんなこと必要なの?
と思うようなことでも、後から考えれば、それが話の主軸をなしているようなことが多く、同じ感覚が高校の頃の先生に感じられたのを、今になって思い出していた。
年齢的には鎌倉探偵の方がいくらも若いのだが、鎌倉探偵に、
「老練な手管を感じる」
と思ったのは、その時の先生と頭の中でダブってしまったからだろう。
鎌倉探偵の場合は、明らかに探偵さんを相手にしているということで、実績のある尊敬の念を抱いていたが、その先生がどれだけのことをしてくれるか、まだまったく分からないではないか。
「まったく何もできないかも知れない」
と、そう思ったのも間違いないはずなのに、鎌倉探偵との話で、このような既視感を感じるのか、よく分からなかった。
逆に鎌倉探偵に対して、門倉が、
「先生の背中を見ているようだ」
として、最初から先生をイメージしていたとすれば、その時から既視感があったのだろう。
すでに先生がしてくれたことは過去のことなので、憧れのような存在として鎌倉探偵を見た時、同じ憧れとして思い描いている先生を重ね合わせたのだとすれば、そこには妄想の中の思い込みに近い、既視感が存在していたのかも知れない。
「ねえ、本当にこの先生で大丈夫なの?」
と、真剣に心配していた彼女の様子もハッキリと覚えている。
先生に話にいった時、彼女の目が疑心暗鬼だったのも分かっていた。
しかし。彼女は何と言っても、被害者としての当事者である。どうしても、強い力で守ってくれるのでなければ、信頼できるという感情にはならないだろう。いつも静かで、いかにも、
「長いものには巻かれろ」
という感覚に見える先生を、最初から信用していると言えば、その言葉にこそ、信憑性などないに違いない。
――人を信用するということは、難しいんだろうな――
と、彼女を見ていて門倉はそう思ったのだ。
先生は、まず全体で話をすることはしなかった。
普通何かあれば、教室で、
「皆のこと」
として戯談に上らせ、皆で解決しようと試みるのが昔からのやり方だった。
中には、
「皆、目を瞑って顔を机の上に伏せて、自分がやったという人だけは挙手してください」
などと言って、手を挙げさせたものだ。
しかし、そんなことをしても、今は誰も手を挙げないだろう。
先生が言っても、いつ誰が顔を上げるか分からない。あるいは、先生自体が信用できないなどの理由から、今では手を挙げないだろう。
しかも、これが父兄に知られでもしたら、
「先生はそんな、原始的な方法で犯人を見つけようとしているんですか? 見つかるわけないじゃないの」
という抗議だったり、
「誰がそんなことで手を挙げるもんですか」
と言って、何よりも自分の子も疑われているという妄想を抱くことで、攻撃の対象になったことだろう。
もちろん、先生はそんなまわりのことを気にしたわけではない。地道な捜査によって、材料を揃えてからでないと、話の持っていきようがないというのが先生の考えで、しかも、決定的な事実が分かってくれば、その人個人にこっそり話をするだけで済むので、話が大きくならなくて済む。つまりは、その少年にもまわりの人にも、さらには被害者に対しても、大げさにならなかったことで、事なきを得ることができるのだ。
教室で話題になんかしたら、被害者も、クラスを騒がせたという目で見られるだろうし、本人も後ろめたさが残るに決まっている。そういう意味で先生は水面下で地道な捜査や聞き込みを行うことで、時間が掛かるかも知れないが、誰も傷つかない手を選んだのだった。
結果的にそれが功を奏し、クラスの和が乱れることもなかった。門倉刑事はその時の先生のやり方を見て、
「何て素晴らしい解決方法なんあ」
と感心した。
理詰めというのは地味であるが、話を大げさにして。いかにも、捜査していますなどという状況を作り上げることは、全体の和を乱すことになり、こういう場面では一番やってはいけないことなのであろう。
それを今も胸に刻み、警察での自分にとっての捜査方針としていた。
ただ、警察というところはどうしても組織が最優先する。そのため、自分の中で理不尽だと思うことであっても、しなければならないことがあるだろう。しかし、それを理不尽だと考え、自分の中でその矛盾にどのようにすれば打ち勝てるかということを目指すことで、実績を積み重ねることができ、将来において自分で口を出せるようになるのだろう。
だが、これは逆に言えば、先生の考え方とは逆であった。
先生のように、出世など考えずに、自分のやりたい方法で、ということとは逆行するだろう。それを目指していたはずなのに、この矛盾を自分でいかに解決するかというのは、やはり先生の考え方を忘れないことが必要だった。
長いものに巻かれてしまって、せっかくの先生の考え方を忘れてしまうと、選択肢はなくなってしまい、出世街道を目指すことになり、自分でいう片手落ちになってしまうことが怖かったのだ。
毎日を捜査捜査で暮らしていると、大切なことを見逃してしまう。しかし、一本通った筋を持っていると、ふと我に返った時に、すぐに思い出せることがあるはずだということに気付くであろう。
そんな自分を理不尽であっても、矛盾していることであっても、悩ませてくれることが、ある意味、一つの道に向かう道しるべとなっているのかも知れない。
門倉は、自分が講義を行うことで、同じような気持ちを一人でもたくさんの荘園少女が持ってくれることを願った。
一つのことを目指すのに、