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正悪の生殺与奪

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「ありがとうございます。そう言っていただけると、本当にやりがいが出てくるんですよ。実際に上演した時などに、たくさんの笑い声と、拍手、そして最後に、面白かったって言ってもらえるのが、僕たちにとって一番の喜びで、仕事へのやりがいに繋がるんです」
と話してくれた。
 最初は、どこか、
「こんな講習なんて、適当にやればいいや。どうせゲストなんだしな」
 というくらいにしか思っていなかった。
 それなのに、これを仕事にして、一生懸命に警察を盛り上げてくれようとしている人がいる。こういう人たちがいるおかげで、署長も言っていたが、普段は警察に対していい印象を持っていない人が多くても、彼らの興行のおかげで自分たちの仕事を少しでも理解してもらえれば、それだけで仕事がやりやすくなるというものだ。
 特に聞き込みや事情聴取などでの態度が少しでも違えば、得られる情報はまったく違ってくる。下手をすれば、ウソの供述をする人もいたりして、一人誰かが信用できないと思うと、その人の供述だけでなく、誰の供述にも信憑性がなくなる。
 警察官が一番抱いてはいけない、
「人間不信」
 にまで繋がってしまうと、もうこうなったら捜査どころではない。
――やっぱり、庶民あっての警察なんだ――
 と思い、つまりは、我々こそが縁の下の力持ちでなければいけないものが、庶民を見下してしまうと、縁の下の力持ちどころか、自分たちが世の中を動かしていて、治安のすべては我々が握っているなどと勘違いしてしまう。
 テレビドラマなどを見ていると、横柄な態度で捜査する刑事をよく見かける。老練の刑事に多いような気がするが、あれを本当の刑事だと思われるのも心外だ。
 確かに殺人事件の捜査二などなると、真剣に捜査をしているということで、どうしてもまわりに対して高圧的になってしまうのも仕方のないこともあるが、果たしてそれだけで許されることでもない、
 どれだけ真面目に捜査二取り込んでいるかということと、高圧になるのは直接的な関係はない。
 門倉刑事は、ひょっとすると広報部に配属になっても、それなりに仕事ができるのではないかという錯覚を抱いてしまうほど、今回の講習を楽しみにしていた。
 リハーサルの段階でそのことが分かったのはよかったのだろう。広報の人たちも門倉刑事を気に入ってくれたようだった。
 門倉刑事の講習になると、それまでの実演での柔らかな表情が一転し、観衆はとたんに真面目な顔になり、壇上の門倉刑事を見つめた。
――おいおい、講演に変わっただけで、こんなに観衆の視線って変わるのか?
 自分も観衆だった時も同じように視線が変わったという意識を持っているくせに、いざ自分のこととなると、どうしてこんなに驚くのであろう。
――自分は真面目な学生だったが、まわりはそんなことがなかったはずだ――
 という意識があるからであろうか。
 確かに、自分は当時、まわりの学生とは一味も、下手をすればふた味以上は違っていると思っていた。それは別に背伸びではなく、むしろ、
「まわりのあんな連中とは一緒にしないでくれ」
 というまわりに対しての嫌悪から来ていたのだ。
 基本的に門倉は自分が中心で、まわりはお飾り程度にしか考えていなかった。
――まわりなんて、俺を引き立てるために存在しているだけだ――
 とまで思っていたような気がする。
 そこまで極端だったというわけでもないが、自分をまわりと差別化していたという意識はあった。
 今の自分なら、もしそんな意識があったとしても、決して気持ちがあったとしても、それは感じただけのことであり、意識として持つことはないだろう。
 感じたことであれば、無意識として自分で無視することもできる。ただ、潜在意識としては残るだろうが、どうしてもという場合でもない限り表に出てくることはない。
 しかし、意識してしまうと、意識というものは表に漏れるものであり、ちょっとした会話や、自分の素振りだけでも意識はまわりに悟られてしまう。そうなると、相手をしてくれる人などいなくなる。門倉は学生時代、それでもいいと思っていた。
 そんな彼が警察官になろうと思ったのは、高校時代の先生のおかげだった。
 その頃、ちょうどクラスの女の子が、毎日、怪しい男につけられているということを、学校の先生に思い余って話をした。
 本人とすれば、なるべく穏便に済ませたかったのだが、さすがに毎日になると、一人では抱えておけなくなったのだ。
 家族に相談して、心配はかけたくない。そしていきなり警察にも相談できない。警察に相談すると、家族にバレてしまうという思い、さらに警察に相談したとしても、
「警備の幅を増やしましょうか?」
 と言われるだけで、真剣には取り合ってくれない。
「しょせん、警察というところは、何か事件が起こらなければ動いてはくれないところさ」
 ということである。
 ドラマなどでそのことはよく分かっていた彼女は、警察に相談しても、結局は同じで、それなら、中を取る形で、先生に相談しようと思ったのだ。
 自分をつけてくるのは、雰囲気的に気の弱い高校生の感じが本人はしていたが、何しろ、被害者は自分なので、恐怖におののいている状態では、その目が狂っているかも知れないと思うのだ。
 それを思うと、
「やはり相談するのはまず先生だろう」
 と考えたのは、最善の考えだったのかも知れない。
 先生も、
「そうだね。この段階で警察に相談しても、まず何も解決しないし、ひょっとすると君の勘違いではないかなどと言われるのも嫌だろう?」
 と言われた彼女は
「もちろんです。私勘違いなんかしていません」
 と憤慨している。
「そうだろう? 今の感情を警察に言われればどうなる? 最後の手段と思って、思い切って警察に言ったのに、今の言葉を浴びせられれば立ち直るきっかけすらなくなってしまうんじゃないかい? だから、いきなりの警察は、僕は推奨しない。そういう意味で先生に相談してくれてよかったと思っているんだよ」
 と言って、彼女を諭した。
 果たして先生の捜査に至ったわけだが、何の偶然が重なったのか、ストーカー行為などまったくしていない門倉が、ちょうど先生の網に引っかかったような感じだ。先生はまわりにはもちろん、彼女にも門倉の話をしないまま、門倉を呼び出した。もちろん、犯人と決まったわけではないので、事情を聴くだけだったが、門倉としては自分が疑われているということを悟ったので、口を貝のように閉ざしてしまった。
 先生は果たして、どのように説得するのだろうか?
 先生という人は、事を荒立てるのがあまり好きな人ではなかった。見ていれば雰囲気で分かる。
 年の頃はもう五十をとうに過ぎていて、本来なら教頭か校長にでもなっているか、あるいは、教育委員会などに呼ばれるかしてもいいのに、一教師を貫いている。
 テレビドラマなどでもそうなのだが、こういう先生は学校には一人くらいはいるだろう。学校というところは、本当に人生の縮図が見れるところだと思う。先生はハッキリいって、出世コースから外れた人なのだ。
作品名:正悪の生殺与奪 作家名:森本晃次