詐称の結末
相談に来ている手前、相手を探りながら模索している俊六に、相手を丸裸にしてしまおうと、相手を包み込むというよりも大きな布で覆いかぶせてしまおうと考えている時点で、立場はどちらが強いものかは、最初から分かっていたことだった。
「坂上さんは、幻想小説をどう思っていますか?」
「僕は、文学史のようなものは詳しくは知りませんが、幻想という言葉には、小説とは切っても切り離せないものを感じるのです。フィクション、つまり架空小説と呼ばれるものは、すべてにおいて、何らかの幻想的なものが含まれている。それがないと小説ではないというくらいの極論を持っています」
というと、
「それでは坂上さんは、ノンフィクションは小説ではないと?」
「本当の極論ですがね。僕は同じ小説としては認めたくないと思っています」
とキッパリと俊六は言い切った。
「その考え、乱暴ですが、私は好きですね。私もどちらかというと、坂上さんに近い発想を持っています。やはり小説は幻想的でなければいけない。マンガなどのように絵で相手を導くわけではないので、想像力が必要になる。相手に想像力を抱かせるのも幻想という視点です。そのための力の一種として、僕は耽美主義があるのだと思っているんですよ。つまり今あなたがおっしゃったような、小説には幻想が不可欠なように、幻想には耽美主義が不可欠ではないかとですね」
と言われ、俊六は目からウロコが落ちた気がした。
「じゃあ、僕の小説も、幻想を描いているので、知らず知らずに耽美主義を描いているということでしょうか?」
「ええ、耽美主義を目指す必要などないんです。あなたはすでに書いているわけですから、そして当事者になっていることを自らが分かっていなければ、当事者になる様子を想像することはできないんです。見ている方向がまったく違っていますからね」
と、鎌倉探偵は教えてくれた。
「ところで今回の殺人なんですが、私には今のあなたと同じ発想を感じたんです。もちろん、今あなたと耽美主義や幻想小説について話をしていてですね。ちなみに、幻想というのは、小説だけに言えることではないんでしょうね。幻想文学という大きな括りになっています」
「どういうことでしょう?」
「つまり、幻想小説ではなく幻想文学になっているというのは、私は曖昧な発想から来ていると思っているんですよ。つまり広義な意味と狭義な意味があって、そのふり幅にかなりの開きがあるということですね」
「なるほど」
「狭義な意味としては、小説のジャンルとしてのものであるという考え方、そして狭義の意味としては、神秘的な世界観を描いた文学全般に言えることではないかという意味なんです」
「確かに幅が広いと、解釈もいろいろありそうですね」
「その通りなんだ。だから今回の殺人も、そういう意味で結構曖昧なところがあるような気がする。もしこの捜査の中に私のような文学に携わったことのある人間がいなかったら、耽美主義や幻想文学などという発想は生れなかったでしょうからね。つまりその場の状況や、人間関係という目に見えているものだけを頼りに捜査が進められ、見えてくるものも見えてこなかったでしょうからね。それが犯人の狙いだったといえば、そうなのだろうが、文学に精通している人が見ても、幻想文学のように曖昧なものや、耽美主義のように一本の筋が通った考え方の融合というニアミスに近い発想が、矛盾を招いたかも知れない。そこを見誤ることになったかも知れないと私は思うんだ」
「鎌倉先生は、この事件に、その矛盾に匹敵する何かがあるとお考えなんですか?」
と俊六が聞くと、
「ええ、そうだね。まだ目に見えていない何かがあるというのは、例えば捜査が進むにつれて分かってきたこととして、被害者の高杉さんは、かつて詐欺に遭ったことがあるというじゃないか」
これは新しい発見だけど、この事件とかかわりがあるかどうか分からない。どちらにしても、捜査の過程で遅かれ早かれ分かることであるが、その分かるタイミングによって、事件と関係があるとして、その線から捜査するか、関係ないとして、蚊帳の外に置いてしまうか、ここは難しい問題ではないだろうか。
鎌倉探偵が今度はまた思い出したように話の矛先を変えた。
「ところで、大久保さんは何と言っていたのかな?」
「大久保さんは、高杉さんとはたまに評論家仲間として話をすることがあったと言っていました。大久保さんとしては、高杉さんの評論に一目置いていたようですが、高杉さんという人は妥協を許さない人というべきか、大久保さんの評論は認めていなかったようなんです。そういえば、大久保さんはおかしなことを言っていました。高杉さんが何かを勘違いしていたんじゃないかっていうことをですね」
それを聞いて、鎌倉探偵に急に興味を示したように食いついてきた。
「それはどういうことかな?」
「よくは分からなかったんですが、佐久間先生のことで勘違いをしているというような話をしていたということなんです」
「高杉さんは、それじゃあ、佐久間先生への自分の批評について、後悔でもしていたということなのだろうか?」
「そのようだと大久保さんは言っていました。いまさらどうなるものではないと言っていたようですが、それはすでに佐久間先生がなくなっていたからなのかも知れないですね」
「大久保君と高杉君、二人とも確かに批評という点では共通点は非常に少なかったような気はするんだけど、僕が見ている限りでは、お互いに尊敬しあっているように感じたんだがね。どうも高杉君の方への話には、何か信憑性が感じられないんだ」
と、鎌倉探偵はそう言って、俯き加減で考えていた。
鎌倉探偵のくせとして、頭を下げて考えることが多かった。頭を下げると、頭の中の血液が逆流するようで、天地無用のような感覚になることで頭が軽くなって、首筋に罹っていた負担がなくなり、自然と意識が薄れていくような錯覚に見舞われるという、
そんあ癖を知っていて、絶えずそれを見ているのは、門倉刑事であって、門倉刑事は自分にもそんな特徴があるのではないかと、酒を呑んでいる時に聞いたことがあったようだ。
「そんなの気にしなくてもいい。気にしすぎると余計に頭が痛くなるだけだ。頭をリラックスさせるのを目的にしているのに、頭が痛くなれば、それは本末転倒というものである」
と言っていた。
「それにしても高杉さんは何を勘違いしていたというのだろう?」
と俊六の頭をもたげたが、それが佐久間先生の生前の作品に対してのことだということは想像がついた。
俊六の中で、
――そんなバカな――
という思いがあるのは事実のようで、そこまで考えるのは、よほど信じられないことを自分が考えているという思いに駆られてである。
小説を書くということは、自分の中にある書きたい、あるいは表に出したいと思っていることを文章にして出すことで、人に知らしめたいからだというのが一般的だろう。
しかし中には人に本当のことを知られたくないという意味を込めて、文章にして起こすことで、普通の人では考えも及ばぬことを形にしようとしていると、感じるのかも知れない。