詐称の結末
「そうでしょうね。私も似たようなことがありました。そういう意味で、きっと佐久間先生も同じようなところがあったんでしょうね。自分の未来が見えることで、それを小説にどう生かすかということを、佐久間先生には分かっていた。だから、書けたんでしょう。これこそが才能というじゃないでしょうか」
と鎌倉先生は口にしたが、この時、鎌倉先生は分かっていたと言ったが、書いたのは佐久間先生だとは言っていない。そのことに何か秘密があるのかも知れない。
そのことを知ってか知らずか、俊六はスルーした。鎌倉探偵の言っている意味が分かったはずではないだろうか。
それなのにスルーしたというのは、俊六の方にも何か考えがあってのことなのかも知れない。
二人は、お互いに腹の探り合いをしているようで、その戦いは、今始まったところだった。
「ところで、鎌倉先生。耽美主義って何なんですかね?」
と、俊六は尋ねた。
「私の考えですが、耽美主義というのは、道徳面を無視し、とにかく美というもの最大の価値と捉える幻術なんだと思っています。つまり、美というものが最大の価値であり、最大の価値というものが芸術なんじゃないかって思っています」
「先生の考えは分かりやすいですね。一種の三段論法なんですね」
「そうだね、僕は基本的に三段論法が考え方の基準だと思っている。小説家から転身して探偵になったけど、小説家としては芸術を、そして探偵としては理論的な思考を得ることができたと思っています。どちらも生きていくうえで絶対に必要なものだと思っているし、この二つのない人生は、実に味気ないものではないかと思います」
「味気ないですか?」
「ええ、この二つがなければ、まるで抜け殻のような人生。よく『勝ち組、負け組』なんていう言葉で表したりするじゃないか。私は、この二つが揃っていれば、どんなに貧しい生活をしていても、勝ち組と言えると思うんです。そんなに裕福でも、芸術的な感覚や理論的な考え方がなければ、絵に描いた餅のようなものですからね。もっとも、この二つがちゃんと備わっていれば、たぶん貧乏はしないでしょう」
「でも、貧乏する人もいるのでは?」
「もちろん、全員が全員成功とはいいませんが、逆はあるんじゃないですか? 備わっていないと、裕福にはなれないという意味ですね」
「美しさを見切る力というのは、判断力にも匹敵するわけですね。僕も小説を書いているので、その感覚は分かるような気がします」
「一円玉を笑う人は一円玉に泣くといいますが、耽美主義を笑う人は、耽美主義に泣くんでしょうか?」
「僕は泣くような気がしますね」
と、鎌倉探偵は言い切った。
「先生は耽美主義というのを描いた小説を書いたことありましたか?」
と俊六が聞いてきたので、
「僕はないですね。書きたいと思ったことは確かにあったんですが、僕の力量では書き上げることはできませんでした」
「やはり難しいんでしょうか?」
「僕は難しいと思っているよ。人間には、持って生まれたものと、努力によって補えるものとの二つの才能を供えていると思うんだけど、耽美主義を描こうとすると、そのどちらも備える必要があると思うんだ。耽美主義と一口にいっても、その中にはいくつかの美に対しての意識が必要で、それを自分なりに表現するための力が、持って生まれた才能に含まれていると思うからね」
と鎌倉探偵は言い出した。
「そこに何か根拠はあるんですか?」
「根拠というものはないんだけど、そもそも今君が僕に言った、根拠という言葉、この言葉が出てくる時点ですでに耽美主義を語るのは無理なんじゃないか? 耽美主義には道徳もなければ、美以外のものは、二の次とされる。耽美主義とは、思想やイメージであって、理屈ではないんだ。それを理屈を理解して描こうとしても、そもそも歩んでいる道が違うので、その二つが出会うことはないんじゃないかな?」
というのが、鎌倉探偵の意見のようだ。
俊六が黙って俯いていると、さらに畳みかけるように、
「耽美主義には自分に対して羞恥や卑屈な気持ちを持ってはいけないんだ。あくまでも自分の一貫性を貫く気持ちがなければ描くことはできない。だからもし君が描きたいと思うなら、まずは、その羞恥や卑屈な気持ちを取り除かなければいけない。君はその二つを自分で感じているはずだろう?」
と言われて、
「おっしゃる通りです」
と俊六は頭を擡げ、完全に敗北感に打ちひしがれていた。
今の鎌倉探偵には、相手を打ちひしがせたという気持ちはなかった。いつもであれば、相手を自分の論理で言いくるめられたというしたり顔になってしかるべきなのだが、その時の鎌倉探偵は、苦笑いするしかなく、グッと歯を食いしばっているような気持ちだった。
「私は幻想小説を書きたいというのが本音なんです。そのための手法として耽美主義を用いようという考えなんですよ」
という俊六に、
「それは間違いではないような気がしますね。でも、その考えには反対の人もいるでしょう?」
「ええ、その考えに真っ向から反対していたのが、佐久間先生でした。先生は、『耽美主義は純粋でなければいけない。何かのジャンルの小説を完成させるための道具に思いるというのは許されない』と言っていました。僕は先生を尊敬していましたが、そこだけは賛成しかねるところだったんです」
と俊六がいうと、
「なるほど、佐久間先生の遺作と言われる作品を読んでみるとそのあたりの発想は分かる気がします。秀逸な作品ではあるけど、一部の人間にしか評価されないようなイメージがある。でも、それも立派な作品である証拠、生前の佐久間先生の作品が誰からも評価されるような作品であったのと同様にね」
「でも、そんな先生の作品を酷評する人がいた」
「それが高杉氏だったわけですね?」
「ええ、そうです」
「たぶん、高杉氏は当時の佐久間先生の作品に、何かの中途半端さを見出したのではないのかな? 例えば、幻影小説を描こうとして、その中に耽美主義を見出したようなですね。もし、僕が評論家の立場であれば、高杉氏と同じような批評をしたかも知れない。特に高杉氏には、幻影小説でありながら、予言小説などという彼から見れば邪道に見えるジャンルを勝手に生み出して、文学界のジャンルを引っ掻き回しているかのように見えたことで、どうしても、辛辣にならざるおえなかった。そこに、高杉氏の困惑とジレンマがあったのかも知れませんね」
と鎌倉探偵は、歯にモノを着せないような表現で語った。
それを聞いた時、俊六は、
――鎌倉さんは、ある程度のことが分かっているのかも知れない。それにしても、どこまで分かっているというのだろう?
と感じた。
事件のことで相談に来たはずだったのに、どうしたことか、文学談議になってしまった。それが実は鎌倉探偵の自分なりの調査術であることを知らない俊六は、疑心暗鬼になりながら、話をするうえで、自分の意見を素直に語るしかないと思っていた。
鎌倉探偵もそのことは分かっていて、彼なりに、
――この男の本音を聞き出そう――
と考えていたようだ。
言い方は悪いが、
「丸裸にしてしまおう」
という考えである。