詐称の結末
そのおかげで、雑用的なことは彼に任せて、自分は執筆に時間を割くことができるようになり、ありがたいと思っていたようだった。
ただ、それが今後の自分の運命のみならず、少なからず坂上俊六や世間に対して大きな影響を与えることになるなど、その時は想像もしていなかった。
「小説を書くのは難しいように見えて簡単だけど、簡単そうに見ると、難しいものだ」
というのが、佐久間光映の口癖でもあった。
彼の作品の著作権は本人にもちろん帰属しているが、彼が亡くなってから少しして、ある弁護士が現れ、
「佐久間先生の遺言書」
なるものが存在していることを明かし、まわりの人間を驚かせた。
遺言書の存在は、出版社はもちろんのこと、弟子である俊六も知らなかった。弁護士がいきなり現れたのは、こんな経緯があってからだ。
葬儀も終わり、初七日が過ぎて、佐久間光映の事務所を弟子の坂上俊六が片づけをするため、そろそろ本格的に動こうとしていたその矢先のことだった。事務所に一人の弁護士が尋ねてきた。事務所の中には坂上俊六しかおらず、スーツ姿のまだ青年と言ってもいいくらいの若い弁護士が名刺を差し出した。
「私はこういうものです」
と差し出された名刺には、弁護士で山根健吾と書かれていた。
山根弁護士がいうには、
「お亡くなりになった佐久間氏には遺言状がございます、私は方に則って、そのご遺言をお預かりしております。遺言状の相手は坂上さん、あなたになっています。佐久間氏は愛さんらしいものはほとんどありませんが、職業として作家をされております。そのためその著作権などの管理に関してのご遺言だということでした。どうか、ご確認ください」
と、あまりにもいきなりのことだったので、少しビックリした。確かに遺言状がなければ、坂上俊六は佐久間光映の弟子というだけで、仕事として死後の事務処理や後片付けを行うだけで、いわゆる損な役回りだったのだろうが、遺言があるということで、少しは俊六にも何か報いがあるのだろうか?
この時、俊六は自分でも
「報い」
という言葉を感じたが、彼はその時なぜか身震いを感じた。
それが、報いという言葉に複雑な意味を感じたからで、いい意味、悪い意味、それぞれにその「報い」という言葉は存在していたのだ。
もちろん、そのことを知っているのは俊六だけで、
――これは墓場まで持って行かなければいけないことである――
と、先に墓に入ることになった佐久間氏を見て、皮肉に感じる俊六だった。
山根弁護士はいう、
「佐久間さんはまさか自分が死ぬことになるということはないと思うが、もし死んでしまうと自分の作品の著作権や、まだ未公開の作品などがもったいない。それいついて私なりに考えがあるので、ここに記しておきたいということでした」
と弁護士は殊勝に、そして形式的に話をした。
「先生がそんなことを考えていたんですね?」
「ええ、そうです」
佐久間氏はどちらかというと、あまり細かいことを気にするタイプではなかった。
だからこそ弟子である俊六がいることがありがたく感じていた。
もっとも、だから小説家としての他の人にはない発想を思いつくことができるのだろうし、才能として皆に認められているのだろう。
ただ、そんな佐久間に限界を感じ、
「いよいよ危ないのではないか」
と感じている人がいるとすれば、それは編集者の人ではなく、俊六だったのだ。
このことと、先ほどの「報い」というのがどのように重なってくるかは、このお話の後半以降にお話をすることになるであろう。
「僕に遺言なんて、感無量です。それほど僕のことを思ってくれていたんですね?」
思わず涙が出そうになった。
これは本当の涙である。佐久間の意外な行動に対しての涙であるが、そのことを弁護士が分かっていないだろうと俊六は感じていたが、どうやら弁護士は俊六が思っているよりもいろいろなことを知っているようだった。
もっとも、それくらいでないと佐久間も依頼はしないだろうし、弁護士には守秘義務というものがあるので、佐久間のいろいろなことを知っていたとしても、それを佐久間が隠すのであれば、弁護士の口から洩れることはありえない。
佐久間ごときの依頼で、人生を棒に振るようなそんな男であれば、弁護士のような職業についているわけはないというのが、佐久間の考えだった。
ただ、佐久間の考えは佐久間にしか分からない。事情はある程度知っていたとしても、佐久間の心の中、特に何を考えているかということまでは分かるはずもない、
それは、俊六についても同じだった。彼は佐久間のことを師匠として仰ぎながらも、師匠として尊敬できない部分があることも分かっている。自分の本音を隠して尽くすというのがどういうつもりであったのか、これも俊六にしか分からないことである。
さて、話は前後したが、佐久間がなぜ死んだのかをここで少し説明しておこう。彼はまだ四十五歳という年齢だったので、老衰ということはありえない。作家としてもまだまだこれからだったということもあり、亡くなった時はそれなりにニュースになった。まさか年末に、
「今年の出来事」
として亡くなったことを報道されるほどとは思っていなかったが、センセーショナルな話題であったことに間違いはなかったのだろう。
佐久間氏は、睡眠薬の飲みすぎで死に至ったということだった。
ご存じの通り睡眠薬というのは量を間違えると死に至る。致死量という者があり、それを超えたのだ。
佐久間氏は死ぬ数か月前くらいから不眠症を始めとしたいくつかの病気に悩まされていた。神経内科に一時期通っていて、処方してもらった薬を飲んでいたのだが、そのうちにだいぶ症状も緩和されてきて、不眠症が時々残るくらいになっていた。
それでも睡眠薬は毎日のように服用していて、最近はその効き目が薄くなっていたことで、自分の判断からその量を増やしていったのではないかということだった。普段の摂取量までは分からなかったが、そう判断するのが一番であっただろう。しかもその日はお酒も入っていたようでmお酒の影響から睡眠薬が効かないと勝手に思い込んだのか、量が増えたのではないかというのが、警察の判断だった。
つまりは事故だろうということであった。
もちろん、自殺についても捜査が行われたが、自殺する理由がまったく見当たらない。作家としても脂がのったこの時期に自殺する根拠もなければ、人とのトラブルがあったという裏付けもなかった。むしろ人間嫌いなのではないかと思われるほど人との接触がなく、呑みに行くにしてもほとんど一人か、たまに弟子の坂上俊六が相手をするくらいだった。
「先生って、そんなに人とかかわりのない生活をしていたんですね?」
と刑事に、先生の死が事故ではないかと聞かされると、俊六は意外そうに、そう返事をした。
「そのようですね、お弟子さんなのに、それもご存じなかったんですか?」
と聞かれて、
「ええ、弟子と言っても、仕事上でのことですから、本当のプライバシーに関しては知らないことが多いです。だから、先生も僕のプライバシーについては何も知らないはずですよ」
と、俊六は答えた。