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詐称の結末

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。また、実名作家も出てきますが、この小説は少し現実世界とは違うパラレルワールドを呈しているかも知れません、あしからずです。

                  或る作家の死

 今年もそろそろ終わろうとしている十二月のある日、テレビで今年の出来事という、毎年恒例のベタな番組をやっていた。
「今年、いろいろな著名人がお亡くなりになりましたが、年末近くになって飛び込んできたのが、この方の訃報でした」
 というナレーターの声とともに、ある人物の顔写真が写された。
 実は、この作家は遊泳作家であるにも関わらず、テレビ出演はもちろん、自分の作品にも一切その写真を載せることもなく、ある意味、
「謎の存在」
 であった。
 したがってテレビの画面で出てきた顔写真を見て、
――誰なんだ? このおじさん――
 と思った人の多いだろう。
 テロップで作家の名前の、
「故佐久間光映さん」
 と書かれていなければ、誰か分からなかったであろう。
 しかし、名前の上に、「作家」と記されなくても、名前だけで、
「作家の」
 と分かるところがさすが有名小説であったことを証明している。
 佐久間光映という作家は、作風としては、自分では、
「オカルト作家」
 と自称していた。
 だが、オカルトという言葉が曖昧であることを示しているかのように、佐久間光映の作品は、ジャンルとしては多岐にわたっている。
 SF色もあり、ホラー色もある、ミステリーっぽくもあり、時には恋愛小説に近いものもある。
 それはオカルトというジャンルが、定義の意味を広げて考えられているからだった。いわゆる「オカルト小説」というものを調べてみると、「幻想小説」というジャンルにぶち当たる。そこで、
「別名として神秘小説、オカルト小説とも呼ばれている」
 と書かれている。
 つまり、
「神秘的幻想の世界を描いた文学全般」
 という定義になるのである。
 これはかなり曖昧であり、SF、ホラー、ミステリーやさらには、民話、寓話などの話も広義に考えれば、オカルトだと言えるであろう。
 日本においては、大正時代から、昭和初期にかけて、江戸川乱歩や夢野久作などの怪奇幻想趣味、あるいはエログロナンセンスと呼ばれるものがその走りのようなものではないだろうか。
 佐久間光映も、彼らの影響を相当受けていた。享年が四十五歳という年齢だったことで、かつて昭和の後期に流行った江戸川乱歩を中心としたオカルトブームは知ることはなかったが、昭和末期から、平成初期にかけての、
「世にも奇妙なシリーズ」
 のブームは知っていた。
 これらの話は江戸川乱歩や夢野久作などの猟奇的趣味とは違い、どちらかというと、
「平凡な生活をしている普通の人が、ある日何かのきっかけで不思議な世界に入り込む」
 というテーマに則って描かれている。
 佐久間光映の作風は、江戸川乱歩、夢野久作などのかつての大作家の作品をエッセンスにして、「世にも奇妙なシリーズ」を踏襲したかのような作風になっている。
 だから、作品としいぇは、ホラーであったり、ミステリーであったり、SFであったりするのである。
 そういう意味で彼のファンには、それぞれのジャンルから派生した幾種類かの層が存在し、それぞれにどこか対立した関係になっているのだった。
 彼のことを、
「推理作家」
 だという人が多いのは、今の時代だからだろうか。
 幻想小説というと、異世界ファンタジーのようなものが主流で、ネットでの投稿サイトとしては老舗であり、最大の集客数を誇るサイトである某投稿サイトが得意とする分野である。
 逆にいうと、そのサイトでいうところの異世界ファンタジー以外の幻想小説は、あまり注目されることもないのを意味していた。日の当たらないジャンルとして、寂しさを隠せないと思っている人も少なくはないかも知れないが、
「多勢に無勢」
 しょせんは少数派意見である。
 そういう意味で、オカルト小説は、そのジャンルを派生した方のジャンルとして括られてしまうことが多かったりする。そのため、ミステリー、SF、ホラーなどに無理やりに分ける必要が出てくるのだ。
 そのため、数ある佐久間光映の小説で一番種類の多いのが推理小説となるので、彼を必然的に、
「推理小説作家」
 と呼ぶことが多い。
 それも彼の小説が、どの派生した内容であっても、ずば抜けて売れる小説というものがないことを示している。平均的にレベルは高いが、売れる小説ではないということで、いわゆる、
「玄人受けする小説家」
 と言われていた。
 今の世の中、本屋などに言って、昭和の頃と明らかに違うのが、
「数人のカリスあ的な小説家の本が、文庫本コーナーで所せましと並べられていることだ」
 という鉄鼠気がないことだ。
 一つの本棚で、二段にまたがるほどの作品をカリスマ的な小説家のコーナーが占めていたのに、今ではほとんどの作家が数冊くらいしかないというののだ。昭和の頃の小説家は、発表する作品のほとんどを出版していたこともあり、一人の作家の本が百冊以上も並んでいるなど、当たり前であったが、今は数冊しかないのはどうしたことか、二つ考えられそうな気がする。
 一つは本当にその作家が発表できる作品が数冊程度しかない場合である。昭和の作家がすごかったということだろうか、実に脅威部会ところだ。
 もう一つの考え方は、たくさん作品は書いているが、出版する本が少ないというののだ。その理由としては、今の時代のようにネットやスマホで小説を読むというのが主流になったことで、本の需要が減ってきたことでの、出版不況と呼ばれるものの影響ではないかという考え方である。
 こちらの方はそれなりに信憑性があるので、二つの意見もどちらも甲乙つけがたいものであるが、それだけに、どちらであっても、本を愛読する者にとっては、これ以上寂しいものはないというものだ。
 佐久間光映という作家は、実は作品数は、ハンパではないくらいに書いていたようだ。
 実際に本として編集されたものやネットで販売されているものは限られていたが。それでも本棚を占拠する冊数は他の作家の比ではなかった。
 彼が亡くなってから発見されたパソコンの中の作品は、かなりのものがあったという。
 佐久間光映には、坂上俊六という弟子がいた。
 弟子というよりもアシスタントと言った方がいいかも知れない。彼を弟子という呼び方をしたのは、彼が佐久間光映のアシスタントになったのは、昔のように、自らで赴いてきて、彼の目の合えで土下座し、
「弟子にしてください」
 と言ったことから由来しているが、今の時代にそんなことをする人間もいるのだということで、大いに興味をそそられた佐久間光映は、二つ返事で彼をアシスタントとして雇ったのだ。
作品名:詐称の結末 作家名:森本晃次