詐称の結末
「いえ、最後までと私が申したのは、その人がもうこの世にいないからです。その作家さんは昨年、病気で他界されました。だから、その人から恨みを買っていたとしてお、その人が犯人であるということはあり得ません」
と聞かされて、
「そうでしたか」
と明らかに落胆しているようだったが、捜査はまだ始まったばかりである。
そんな簡単にことが進むわけはなかった。
門倉刑事が到着したのとほぼ同時に、鑑識も到着し、鑑識は鑑識で自分たちの捜査を行っていた。
そこで今の時点である程度分かったことであるが、
「まず、死亡したのは、やはり毒によるものですね。でも、すぐに発作を起こしたわけではなく、徐々に効いてきたようです。たぶん床に落ちて割れたグラスに入っていたのでしょうが、体内に入って呼吸困難を引き起こしていたんでしょうね」
ということだった。
その横から一人の捜査員が何か言いたそうにしていたのを門倉刑事が見止めて、
「何か言いたいことがあるのなら、いいたまえ」
と言った。
「実は、グラスの破片が落ちていたあたりに、こんなものが飛び散っていました」
と言って、彼は小指大くらいの、まるでランプの傘のような白い花びらを指し示した。
「こ、これはスズランの花」
と、ビックリしたように言った。
「これには一体どんな酒が入っていたんですか?」
と人に聞くと、
「普通のワインが入っていたようですが、真っ赤なワインですね」
「被害者は、この花びらに気付かなかったのでしょうか?」
「目が悪いとは聞いていましたが、それよりも実際に花びらが入っていても、赤ワインの中ではあまり気にならないんじゃないでしょうか? それに花びらが入っていたからと言って、いちいちこんな場面で気にする人もいないでしょう」
「スズランだとなぜいけないんですか?」
と誰かが聞くと、
「スズランには、コンパラトキシンという猛毒が含まれていて、スズランは毒草なんですよ。特に花や根に毒が多く含まれていて、スズランを行けた水を飲んだだけでも中毒を起こすと言われているくらいの猛毒なんです」
と鑑識の人が説明すると、
「自殺する人がこれを飲用するということは?」
「あまり考えられないですね」
「となると、殺人の可能性が高いわけですね」
「そうですね。事故ということは考えられないですからね。花びらが入っていたということは、誰かが意図的に飲ませたと考えるのが普通でしょう」
「なるほど、よく分かりました」
実際にその後の鑑識の発表でも、死因はコンパラトキシン、つまりはスズランの毒による中毒死であることが分かったのだった。
「毒の正体がスズランだということになると、誰にでも手に入るものであるだけに難しいですね。確かに死んだ場面が場面だっただけに、容疑者は絞られるでしょうが、もし犯人がある程度絞られたとしても、誰にでも手に入れられる毒ですから、それをいつでも誰でもが混入できるとすると、スズラン以外で何か決定的な証拠を掴まないと、逮捕は難しいのではないでしょうか?」
門倉刑事のいう通り、容疑者として浮かぶ人はさほどいるわけではなかった。
彼を憎んでいて、あの場所にいた人間ということなので、そうなると、犯人として疑わしいのは本当に限られてくる。
問題は動機であった。
彼は批評家として評論家というよりも、人を貶すことの方が多く、そのため、彼を少なからず快く思っていなかった人も多かっただろう。そういう意味では交友関係はごく限られていて、彼を殺したいとまで思う人は、やはり批評された人の中からしか考えられなかった。
そこに持ってきての、出版社主催のパーティである。作家の先生と呼ばれる人もたくさん招待されていた。その中から彼を憎んでいる人を探すのは、聞き込みによってでしか得ることはできなかった。
クローズアップされた中にいたのは、辛辣な批評を受けたことが遊泳だった佐久間先生の弟子である俊六もその中の一人だったということは、仕方のないことかも知れない。
門倉刑事は、彼をそれなりに疑っていた。何度となく事情聴取にも訪れたし、前にも聞いたこと同じことを、何回にもわたって聞いてきた。若干内容は買えていたが、明らかに同じ質問だった。
――僕を疑っているのかな?
と疑心暗鬼になったのも無理はない。
彼は気になって、しばらく何も手を付けられなくなってしまった。
微レ存スパイラル
さすがに最初は、
「証拠もないのだから、気にしなければいい」
と思っていたが、これだけ執拗に連絡があると、落ち着かない、いわゆる、
「仕事が手につかない」
という状態である。
そんな時、大久保氏が
「いい先生がいるよ」
と言って紹介してくれたのが、鎌倉探偵だった。
「ああ、例の事件ですね」
と、最初に電話を入れた時、鎌倉探偵は事件のことを知っているようだったので安心したのだが、俊六が知らなかっただけで、事件の担当刑事である門倉刑事と鎌倉探偵は昵懇の仲だったので、当然鎌倉探偵もこの事件のことは知っていた。
事情も門倉刑事から聞いていたようで、その話をしたのがちょうど俊六が電話を入れる前の日だったのも何かの縁なのかも知れない。
門倉刑事はその日、別に事件に行き詰っていたわけではないが、いつも話をしに来る鎌倉探偵を訪れていなかったことに気付いて、近くまで来たのをいいことに、鎌倉探偵の事務所を訪れていた。時間的には夕飯近かったが、最初は事務所での話になった。
「この事件は、さほど難しくはないと思っていたので、鎌倉さんのお手を煩わせるようなことはなさそうですね」
と、門倉刑事が言い出した。
新聞などで事件のあらましは知っていたので、鎌倉探偵も、
「そう願えればいいんだけどね」
と、曖昧に答えた。
もっとも、事件の相談に行く時はいつも、こんなに曖昧な返事しかしない鎌倉探偵なので、話をしていて、別に違和感はなかった。
「気になるといえば、殺害方法が毒殺で、その毒というのが、スズランだったというのが少し気になるところです」
と門倉刑事がいうと、
「そうだね。スズランでの殺害などというと、あまり聞かないからね。そもそも普通に咲いている花に毒があるなど知っている人はそんなにいないだろうしね」
「でも、問題はその殺害現場が出版社主催のパーティだったということです。被害者も辛口で有名な評論家の先生ですからね」
「そのようだね」
「その場には、小説家の先生と呼ばれる人がたくさんいたんですよ。ミステリー作家もいればそうでない作家もいる。でも、作家を目指して作家になった人は、基本的にはいろいろなジャンルの本を読んでいるわけですよね。ミステリーが自分の作風でない人も、きっと有名どころのミステリーは読んでいるでしょうね」
「だから?」
「だから、容疑者はたくさんいると思うんです。疑えば皆疑える」
「なるほど。だけどね、それは殺害方法に対して一点からしか見ていないということではないのかな? 動機であったり、死亡したそのグラスを誰が彼に渡せるかなどのタイミングもあるだろうしね。でも、大衆が見ている前での殺害というのは、いくら毒殺でも大胆不敵だとは思わないかい?」