詐称の結末
出世するにも美が必要。もちろん、国家元首や官僚たちは、すべて、
「見た目の美」
が要求される。
選挙の目的も美から始まっている。
人間のように生身の身体がいつかは滅びる。永遠の美を得ることはできない。これが人類滅亡の根拠だった。生き残った彼女も美を求められるが、どうしてもそれには従うことのできない彼女は、似たように美に対して疑問を持った連中とクーデターを起こす。
クーデターは失敗し、彼らは洗脳されて、奴隷になってしまうが、いずれこの国は滅亡を迎える。あまりにも美の追求が急激すぎて、脳である考えがついていかなかったのだ。
脳だけは生身の人間である。なぜなら、
「美を求めるのは、心が生身だから」
というのが当然の理論だからである。
最後にはそのことに気付いた彼らは、自分の脳を冷凍保存して、自分たちの機械の身体を滅ぼした。
その冷凍保存された脳がどうなったか、それは誰にも分からないというのが、大団円だったのだ。
SF小説であり、ファンタジー性もあるが、耽美主義という考え方をテーマに話が流れるという意味で、興味深くはあったが、奥深さを感じさせなかった。それがノミネートされなかった理由なのかも知れないと思うと、少し不思議な気もした。
だが、俊六はこの小説に、
「予言小説」
のような意識があった。
佐久間先生の作品が、予言小説のようだと感じたのは、この時の意識があり、
「懐かしい」
と感じたに違いない。
佐久間先生の作品は、ここまでどこにでもあるような作品ではなかったが、どこにでもいるような主人公が、不思議な世界に入り込むという、そんな発想が多かった。
つまりは、幻想的で、前衛的と言ってもいいのではないだろうか。予言小説と言われるゆえんはそのあたりにあるのではないだろうか。
中学時代の友達も近未来への予言を意識していたに違いないが、そこに昔からある耽美主義という考え方を結び付けたところは評価できると思う。しかし、そのために話がよくある話から飛躍しすぎて、一回転してしまって、またよくある話に戻ってきてしまったことが、奥深さを感じさせない理由だったのではないかと思うのだった。
昔の幻想小説家と呼ばれる人たちは、幻想の中に耽美主義をうまく織り込み、例えば殺人現場に芸術的な発想を織り交ぜて、一つの美を形成するように、読者を誘っていた。
「耽美主義って、いったい何なのだろう?」
と考えさせられる。
耽美主義を調べてみると、
「道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮」
と言われているようだが、まさにその通りであろう。
「耽美主義というのは、まやかしだ」
という評論家もいた。
その最たる例が大久保氏だったのだが、佐久間先生と俊六の作品に関しては、さほど批評をしていない。
自分たちの作品を、
「耽美主義的な作品」
と公表していないからなのかも知れないが、読んでいれば分かるはずである。
同じ耽美主義であっても、種類があって、佐久間先生や俊六の作品は、
「許せる範囲」
なのであろうか。
ただ、ハッキリしていることは、耽美主義というのは、あくまでも美への追求であり、それはそのまま芸術の追求と言ってもいいのではないだろうか。
耽美主義の大衆小説の代表的な作家としては、江戸川乱歩であったり、夢野久作であったりするのだろうが、純文学においては、森鴎外、泉鏡花、永井荷風、谷崎潤一郎がその代表と言えるのではないだろうか。
純文学と言っても、文章が文学的にできているというだけのことであって、小説的には大衆文学も純文学もそんなにハッキリとした境界線があるわけではない。そのことを分かっていないと、耽美主義の小説を理解することは難しいであろう。
もっとも耽美という発想は、元々自然主義文学の暗さの反動で出てきたのは、白樺派(武者小路実篤、志賀直哉などの作家)と、美を追求する、耽美派だったのだ。
「個性主義・自由主義を中心とし、強烈な自我意識と人道主義に根ざす理想主義的傾向とをもち、大正文学の中心となった」
という意味らしい。
どちらも二十世紀初頭、つまり明治末期から昭和初期までという時代背景があり、歴史的にも激動の時代であったということも一つの要因だったのではないだろうか。
そんな文学の歴史を勉強していると、耽美主義というのが、奥深くなければいけないものではないかと感じるようになった。
容易に耽美を語るのは簡単かも知れないが、それを主張するには説得力が必要で、どうしても物語として起こそうとすると、テーマという形で絞ることしかできないような気がする。
実際のストーリー展開で前面に押し出すことは結構難しく、時代が進めば進むほど、耽美に対しての発想が揺らいできているのではないだろうか。
その理由は、
「世の中が豊かになり、発想や思想も飽和状態になっているのではないか?」
という考えであった。
今流行りの某出版系の異世界ファンタジーや、ケイタイ小説に代表されるようなライトノベルであったり、BLなどという耽美主義とは言えないような文学が蔓延っていることが憂慮に耐えないと思っている人も少なくはないだろう。
あくまでも昔の耽美主義作品にこだわる人間だけに評価してもらえばいいと思っていたが、佐久間先生はどうだったのだろう?
先生はどこか、
「皆に評価される作品を書きたい」
と常々言っていた。
しかし、実際には時代の流れには逆らえず、昔の小説が好きな人は今の小説を受け入れることができなかったり、今の小説しか知らない人にとって、昔の小説は難しすぎて、受け入れるには困難な状態となるため、
「昔の古臭い作品」
として敬意を表しているふりをしながら、実は軽蔑している人も少なくはないだろう。
だが、芸術家というのは、基本ミーハーではやっていけないと思っている。つまり、誰もが認めるような小説は、どちらに対しても妥協した小説であるため、どうしてもミーハーになりがちに思えるのだ。俊六は少なくともそんな小説は小説とは思っていない。
「オリジナリティがなければ、芸術にあらず」
という考えを持っていた。
この考えは佐久間先生も同じだったはずだ。だからこそ、予言小説のようなものが書けるのだと思っていた。時代に真摯に向き合っているからこそ、未来が見えるのではないかという考えは少し無茶であろうか。
俊六も、いずれは自分も予言小説なるものを書いてみたいと実際には思っていた。さすがに公言できるほど、温まっているものではないが、小説を書くことを生業としているのであれば、目標として持ってもいいように感じた。
そのためには、耽美主義を追求することで先生の小説の神髄を見つけることができるような気がして、その先にある未来を書けるようになれるのだという思いを持っていた。
「耽美主義の行き着く先、そこに何が待っているというのだろう」
この日に、高杉氏、大久保氏と話ができたことは俊六にとって、自分の財産になるだろうということを実感していた。