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詐称の結末

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「うん、その通りだと思う。大人になって、そんなことを考えていた子供の頃を思い出すと、ある意味変わっている子供だったと思うんだけど、それはそれで、他の人と違う発想が生まれそうで、僕は嫌ではなかったね」
「その通りだと思います。僕も人と同じでは嫌だと思っている方なので、その思いがあるから、佐久間先生に弟子入りしたような気もします」
「なかなか坂上君は小説というものを分かっているような気がするね。私もこういう話をするのが結構好きなんだ。そしてその時の相手はいつも佐久間先生だったんだよ」
 と言われて、俊六はハッとした。
「そういえば、僕も先生から聞いたことがあります。自分には小説談義ができる人がいて、その人と話をしていると、いろいろな発想が思い浮かぶんだって言ってましたね。それが大久保さんだったんですね」
「そういうことなんだろうね。僕の他に誰か話す人がいれば別だけど、僕が話をしている限りでは他にそんな人はいない気がする。それよりも僕とこういう会話をした後に、佐久間先生は新しい作品にとりかかることが多いって言っていたよ」
 と大久保氏は言った。
「7僕の知らない先生がそこにいたんですね」
「その通りだと思うよ。でもね、僕は先生の顔はもう一つあると思うんだ」
「どういう意味ですか?」
「先生は僕や君と一緒にいる時はきっと他の人にはしない顔をすると思っているんだけど、実はもう一つ、僕の知らない顔が存在しているようなんだ。その顔になった時の佐久間先生は、部類の発想が生まれてくるようで、そんな時にいつもベストセラーが生まれているんだ。特に僕が気になったのは、先生には珍しく、昭和初期を描いた作品があっただろう?」
「ええ。確か、田舎の村でおじいさんと孫娘が細々と暮らしていて、戦争が激しくなって、学童疎開などが行われるようになると、その家族も戦争に巻き込まれていくというような話だったですよね」
「うん、そうなんだ。戦争が激化する前は、田舎の閉塞的な中でも、さらにこの二人はまわりとほとんど接触せずに、まるでオオカミ少年のような生活をしていた。それがいやが上にも世間に巻き込まれるようになると、都会からやってきた連中が田舎に対して優越感を持っているがゆえに、彼らを奴隷のように扱い始めた。田舎の人たちは都会に劣等感を持っているので、それを阻害することができなかったんだ。村によっては、そんな都会の人間を自分たちが立場の強いことを利用して、逆に奴隷のようにしているところもあったが、なかなかそうもいかないところが多かった。それでしょうがなく、従っていると、今度は彼らの中でストレスが溜まって、その矛先がおじいさんと孫娘に及ぶようになる。そこで孫娘を若い男連中が蹂躙しているところを老人が咎めて、逆に殺されて、そして娘も口封じに殺害。そして犯行を通り魔に見せようと、財産などを根こそぎ持って帰ったという陰懺な事件を描いていたんだ」
「あの話は、本当に見ていて辛くなる作品だったですね。僕はあの作品を発表することに躊躇しなかった先生が怖かったくらいです」
「そうだったんだね。で、その話を書いた時、佐久間先生は僕といつものように小説談義をしている時に思いついたものだというんだ。あの時の話にこんな残虐性があったとは思えなかったんだけど、先生は、『俺の中に眠っているものが目を覚ましたのかも知れないな』と言っていたのが印象的だったんだ。それがどんなものだったのかまでは分からないけど、先生が過去にあった何かと僕の話を結び付けるきっかけがあったんだろうね」
 と言って大久保氏は考え込んだ。
 確かに先生は時々、急に何かに憑りつかれたようになることがあった。それは、本当に霊にでも憑りつかれたようま気がした。それまで笑っていた表情に笑顔がなくなり、カッと見開いた目がどこを見ているのか、想像もつかなかった。
「俺は泥棒なんだ」
 などと急に言い出すことがあったり、
「詐欺師なんだ」
 ということもあった。
 ただ、そんな時は自分が悪党になったかのように想像して小説を書くのだと言っている。
「小説なんてものは、いくらフィクションであっても、自分で経験したことでもないと書けないものなんじゃないかな?」
 と、普段の先生の作風から考えれば、どの口がいうとでも思えるような発言をすることがあった。
 それも結構真面目な表情で言葉にしていた。俊六にはその気持ちがサッパリと分からなかったのだ。
 大久保氏は、そんな佐久間先生のことを、
「あの人は、やっぱり耽美主義の人なんだよ。美というものが自分にとっての何に当たるかということを小説にして書いていた。あの人の正体が何であれ、小説の素晴らしさに対しては、誰も逆らうことのできないものであろうからね」
 と言っている。
「なるほど、確かにその通りですね。僕も実際に佐久間先生の正体をいまだに知りません。小説を書いている時も一人きりですし、どこからあの発想が生まれるのか、僕には分からないんですが、先生からすれば、『君の方が発想に関しては群を抜いている、だから君を弟子にしようと決めたんだけど、僕の考えは間違っていなかった』と言っていたんですよね。僕には理解できないんですけどね」
「いやいや、それは先生の本音ではないかな? 隣の芝生は青いというじゃないか。君に自分にはない一種の才能を見出したんだよ。それが何かは分からないけど、それが分かった時、君は先生に負けない立派な小説家になっているんじゃないかな?」
「そうあってほしいと思っています
 と俊六はしみじみそう思った。

                  耽美主義

 俊六も自分の書く小説を、
「耽美主義」
 に近いと思っている。
 耽美主義というと、
「何をおいても、美を第一に追求する」
 という発想で、そこには道徳的な発想を廃し、美というものを追求する形である。
 最近ではBL小説などによく言われていることであるが、どうしても俊六はその世界に共感することはできない。
 昔の探偵小説などで、殺人現場を芸術的な様相にすることで美を追求した殺人というものを完成させるという発想があったが、そっちの方が似合っている気がした。
 むしろ、耽美主義はそちらに由来する。殺人現場の描写を美しくとよく考えるが、その発想は今に始まったことではなかったのだ。
 さらに、SM的な描写や、エロチシズムな描写も耽美主義の発想から来ているもので、気持ち悪いという印象をいかに美しいという気持ちに変えることができるかというのが、自分にとっての小説を書く意義だとも思っていた。
 評論家の中には、
「坂上俊六の作品は、ただのエログロ趣味であり、文学への冒涜だ」
 とまでいう人もいるが、そんな人は佐久間先生の作品もあまりいい評価をしていなかった。
 彼らの根本は道徳的な発想にあり、小説などは、道徳性を持ってこそ成り立つと思っているのではないだろうか。
 いくら純文学のように文学的な表現を使っていても、そこに耽美主義やエログロが含まれていれば、彼らの評価はグッと下がってしまう。彼らは自分たちのことを、
「文学の王道」
作品名:詐称の結末 作家名:森本晃次