詐称の結末
「あの人は編集長をしている時、ちょうど作家のスキャンダルが持ち上がって、雑誌が急に売れなくなったんだ。その責任を取る形で編集長を辞任したんだよ」
と言われた。
確かにそんな編集長がいるというウワサを聞いたことがあった。しかし、その時にスキャンダルのあった作家が誰だったのか、そして、その結果世間でどのような問題が起こったのかということは、ある程度一部の人間しか知らないことで、マスコミもその当時騒がなかったらしい。
「どうやら、内輪の問題だったようで、そのおかげで、出版界が大きな問題で揺れることはなかったんだが、そのかわりに煽りを食ったのが、あの編集長だったようだ」
という話だった。
だから、今ではその時の資料も残っていないので、人に聞くしかないのだが、今でもその時のことは緘口令が敷かれているようで、そのことを探ろうとしても無駄であった。
「その時の編集長と高杉君とはそれまで周知の仲だったようなんだけど、それから変に二人ともぎこちなくなっちゃって、本当にどうしちゃったんだろうね」
と、その時の事情を知っているのか知らないのか分からないが、佐久間先生はそこまでしか教えてくれなかった。
この編集者の名前は確か、大久保さんという名前だったはずだ。
最近では顔は見かけるが、いつも端の方にいて、影になって寂しい存在なので、名前すらすぐに思い出せないほどだった。
そんな大久保さんは、高杉氏を見つけると、本当は話しかけたいのかも知れないが、相手が逃げるものだから、追いかけることもできずに、完全に委縮してしまっていた。
「大久保さんは、以前、、高杉さんとは仲が良かったと伺いましたが、何かあったんですか?」
理由を教えてなどくれないことは分かっていて、それでも聞いてみた。
「ああ、いろいろあってね」
含みのある言い方だが、これが精いっぱいなのだろう。
「そういえば、大久保さんは、小説を個人的に執筆なさっていると聞いたことがあるんですが、それは本当なんでしょうか?」
と話を変えてみると、その話には大久保も大いに興味を示し、話に食いついてきた。
「ああ、そうなんだよ。編集者としてずっといろいろな作品を見てきたので、そろそろ自分も書いてみたいなという気がしてきてね。編集者としては、あまりいい仕事もできなかったので、書いてみたいと思ったのも、その気持ちがあったからなんだよ」
「それはいいと思います。かつての横溝正史先生のように、編集長を歴任した人が、ベストセラー作家になったというような話も聞きますからね。僕も早く大久保さんの作品を読んでみたいものです」
「そう言ってくれると、頑張ろうという気になるよ」
「どんな作品を考えているんですか?」
「僕は横溝先生のように、ミステリーが書きたいと思っているんだ。ミステリーにもいろいろ種類があって、昔からの探偵小説。それも本格探偵小説、変格探偵小説などのどちらにしようかなどと考えているところだね」
「探偵小説って面白そうですね、本格と変格ってどう違うんですか?」
「これは昔の作家が提唱したジャンルなんだけど、本格というのは、謎解きやトリックなどを重視したオーソドックスな探偵小説で、変格というのは、猟奇趣味や怪奇と言ったジャンルの小説をいうらしいんだ。あくまでも大正時代から昭和初期にかけての話なので、今の時代にそぐわないかも知れないが、佐久間先生の描いた世界である、オカルトのジャンルなどに精通しているところがあったりするから、興味深いんじゃないかな? 私もかなり影響を受けて読み込んだつもりなので、佐久間先生の作品などがさしずめの目標というところでしょうか?」
「佐久間先生の作品は、きっと変格のジャンルになるんでしょうね。羞恥や猟奇といったものや、耽美主義的なところもあり、そこがオカルトとしてのジャンルを貫いているようで面白いと思うんですよ」
「オカルト小説というと、超自然的であったり、上場現象、あるいは都市伝説のようなものをイメージするんでしょうが、私は幻想小説だと思っているんですよ。それが幻影である場合もあれば、本当に存在する別の世界の出来事であったりですね。そういう意味では佐久間先生の作品はオカルト小説の神髄をいっていると思います。特に最近では、予言小説などとも言われていますからね」
と、大久保は言った。
「僕もだから先生の弟子になったようなもので、まだ先生の作品が世間であまり認められていなかった頃から僕は先生についていますからね。でも僕にはなかなか先生のような作品は書けなかった。きっと先生が僕の考えるような作品を実現してくれているのだと思って、それで僕は満足していました」
「でも、どうですか? 自分で作品を発表して作家の仲間入りしてみれば、自分をどれほど今まで抑制してきたかということがよく分かったでしょう? 欲が出てきたというのか、人間らしさが出てきたというのか。とにかく、自分の作品を世に出すということを目的にするようになったわけですからね」
「そうですね。そういえば以前僕は先生から面白いことを言われたことがあったんですよ」
と俊六が切り出すと、
「どういうことですか?」
「先生がいうのには、『小説家が作品を呼び出す場合には、必ず作者である自分が納得していないと、世に出してはいけないんだ。私のように幻想的な小説を書いていてもそうなんだ。だからなるべく作品のアイデアを考える時は、美術館などに言って美しい絵や彫刻、あるいは写真を見ることで想像力をたくましくするんだよ』というんです」
「それは当然のことだと思うね。僕もそこまではしないけど、夢に見たことをなるべく忘れないようにしたいという意識はあるんだ。でも、結局忘れてしまうんだけどね」
「それで先生がいうには、『夢を見るというのも大切なことで、忘れてしまう夢も多いんだけど、実際に覚えている夢のほとんどは怖い夢なんだ。だから夢に見たことを小説にするなら、怖い話になってしまうのは必然ではないか』と言っていました」
「それも僕には分かる気がする」
「それに僕はだね。子供の頃から羞恥や猟奇的な作品や、耽美主義的な作品はあまり好きではなかったんです。子供心に刺激が強すぎたというのはあったんだけど、それ以上に別の意味で遠ざかっていたと言った方がいいかも知れないね」
「どういうことですか?」
と俊六が聞くと、満を持したかのように、大久保は答えた。
「実はね。猟奇的な作品であったり、耽美主義の作品というのは、正直文章が難しい気がするんだ。わざと難易度のある言葉を選んで説明書きなどに使用としている。子供であれば、非常に難しく思えて仕方がない。だから敬遠していたんだけど、それを、子供だから大人の小説はまだ早いと思われるのは心外だというおかしな感覚を持っていたりしたんだ」
「それは僕もそうでした。何かわざと難しい言葉を使っているような気がしたのは、どこか純文学を意識しているからなのか、それとも、小説の主旨である猟奇的なという意味であったり、耽美主義のように、美を求める思想が言葉にも表れているのではないかと思うんです」
「それこそが文学というものではないでしょうか?」