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永遠の香り

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 そこに悪意があるかないかは、お香だけでは分からない。
 もっとも、こんな誰も通らないように思われる場所でお香の匂いがするというのは、やはり何か作為的なものがあると言えるのではないだろうか。それを思うと、少し気持ち悪い気がする。歩いていて、恐る恐る探るような気持ちになるのも無理のないことだったであろう。
 ゆっくり歩いていると、空き地の暗闇にも目が慣れてきた。決して平たんではない足元だったが、その凸凹が分かる気がしてきた。足元を気にしながら歩いていると、足元から自分の影が細長く伸びているのを感じることができた。
 影というのは、光がなければ見えるものではない。どこかに光の光源のようなものがあるのだろうか。それを探っていると、どこからか、何かが落ちる音が響いてビックリさせられた。
 どうやら、廃墟のどこかでコンクリートの欠片が引っかかっていたものが落ちてきただけのことなのだろうが、真っ暗でしかも廃墟という環境が、さらに音を増幅させ、まるで児玉となって響いているかのようだった。
「気のせいか」
 とビックリしてしまい、心臓の音がバクバクと感じられるようになると、さすがに恐怖が先に立ってしまい、わざと少々大きな声でしゃべってしまう自分がいた。
「大丈夫よ」
 と自分で声に出して言ってみたが、それは自分がすでにこの道を選択してしまったことに対して後悔している証拠だった。
 今までも何度も通ってきてしたことのない後悔だったはずなのに、なぜ今さらの後悔なのか、そんなこと分かるはずもない。ゆっくり歩いているつもりなのでその向こうに見えるのは、いつも同じ光景だ。
――永遠にここから出られなかったらどうしよう――
 という思いが強く、しかも、自分の前を誰か知らない人が歩いているかのように思えるくらいだった。
「こんな時間に、こんな場所、他の人が歩いているはずはない」
 と思ったが、現に自分が歩いているではないか。
 それを棚に上げて、他の誰も歩いているはずなのないとどうして言い切れるのであろうか。
 前を見ながら歩いているが、どこか違っていると感じるのは、お香の匂いを感じるからで、その臭いがどこから来ているものなのか、分からないことだった。
 まったくそれらしい人の気配も音も感じることはない。それが当たり前のはずなのに、その日は不気味でしかなかった。
「誰かいるなら、返事して」
 と声にならない声を発したが、すでに喉はカラカラになっていて、声を出しても、きっと誰も気づかないに違いないと思った。
 それくらい、闇は深かったのだ。
「ガサガサ」
 音が確かに聞こえる。
「誰かいるの?」
 怖いけれど、声に出して叫んでみた。
 遠くで反響する音が聞こえる。しかし、それに対しての反応はないが、少ししてからまたお香の匂いが少し強くなってきた。やはり誰かがいるのは間違いない。
 誰かがいるとして、その気配を消しているのは、こちらに気を遣っているからだろうか? そんなことはない。気を遣うのであれば、却って音を立てようというものだ。相手はこちらに悟られていないと思っているのか、それとも分かっていて。わざと息づかれないふりをしているのか、その真意が分からない。
――相手は私のことを見ているのだろうか?
 という思いと、
――私だということを十分に認識しての行動なのだろうか?
 後者であれば、自分の知り合いということになる。
 いや、知り合いだとは限らない。相手が勝手に知っているだけで、こっちはまったく意識がないのだ。まるでクモの巣に引っかかった蝶々をイメージさせた。
 ここまで来ると完全に後悔が先に立っていた。どうして自分がこの道に入ってきたのか、他の人を意識しないようにしている性格を初めて後悔した。
――誰でもいいから、ここを通りかかって――
 と心の中で叫んだが、声になどなるはずもない。
 歩きながら祈っていたが、相手はそれを知っているのか、どこからか、かすかな笑い声が聞こえる。その声は次第に小さくなっていくような気がしたが、別に靴音がするわけでもないので、遠ざかっているのではないようだ。
 その次の柱を超えようとした時、ふいに後ろから羽交い絞めにされた。
「うっ」
 と思うと、口にハンカチが押し込まれ、鼻をツンとした臭いが支配した。唇の感覚がなくなっていき、口がだらしなく開かれていくのを感じた。
――このまま意識を失うんだわ――
 と、思いながら、まるで病院にいるかのような無意識の状態になっていた。
 そこにいたのは確かに男、静香は意識を失いそうになったが、なぜか意識が朦朧となりながらも、気を失うことはなかった。
 静香の服に手を掛けようとしている男も戸惑っているのが分かる。
「どうしたんだ?」
 たぶん、クロロフォルムの麻酔か何かを使ったのだろうが、その男の手さばきから、慣れているようには思えなかった。クロロフォルムの効き目が薄かったのか、それとも体質的に静香の方が、クロロフォルムには強かったのかなのだろうが、これは後で分かったことだが、実際のクロロフォルムというのは、少量では効き目はないという、しかし、大量に摂取すれば、気絶をするかも知れないが、相手が死んでしまうという危険性もあるという。そういう意味で、犯人が意識的にクロロフォルムを薄くしたというのも考えられることではあった。
 だが、実際に眠りに落ちないのだから、犯人も慌てたことだろう。殴って気絶させるわけにもいかない。相手にとって幸いなのは、念のために上から芽出し帽をかぶっていたので、その顔が分からなかったことだ。
 ただ、目だけが異様に光って見えて、気持ち悪かった。口元も歪んでいるように見えて笑っているかのようで、そんな相手を見ていると、蹂躙されている自分への屈辱感がひどいものだった。
 結局、その男は何もせずに走り去ったが、気が付けば、服を途中まで脱がされ変えていて、相手が何を企んでいたのか、容易に想像がついた。
 一人取り残された静香は、そこでまたお香の香りを嗅いだのだが、今度は明らかにむせかえるような気がして、嘔吐を催した。実際に吐き出していたが、食べたものが出てきたというよりも、胃液のようなサラサラの液体で、却って気持ち悪い気がした。
 本当は警察にでも届けなければいけないことなのだろうが、何かをされたと言っても、強姦されたわけではない。それを思うと、警察に言って、いろいろ事情聴取を受け、そのせいでまわりから余計な詮索をされ、下手をすれば誹謗中傷に繋がるという最悪のシナリオを頭の中で描いてもみた。
 いや、そんな最悪のシナリオしか浮かんでこなかったと言った方が正解かも知れない。
 その日は急いで家に帰って、かすり傷を自分で手当てして、シャワーを急いで浴びたところまでは覚えている。
「忘れよう。忘れてしまうばいいんだ」
 と自分に言い聞かせた。
 ただ、恐怖は一瞬だったが、そこに至るまでのジワジワと襲い掛かってくる予兆のようなものが、静香の頭の中を去来し、何度も思い出してしまいそうになる。
「忘れなければいけない」
作品名:永遠の香り 作家名:森本晃次