小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

永遠の香り

INDEX|5ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 義理の父は、ただ母親と一緒にいるだけで、自分とは関係ないと思いたかった。しかし学費は親が出してくれているのだし、少なくとも中学時代だけは、我慢しなければいけないだろうと思っていた。そんな義父に対しての汚いものを見るような目は、中学に入ってからの思春期真っ只中である男子に対しても向けられた。
 ひょっとすると、義父に対してよりも、もっと汚らしく見えたかも知れない。今までにクラスメイトの男子をまともに見たことがなかったのに、どうしても意識せざる負えないのは、まわりの視線を意識しておかないと、何をされるか分からないという被害妄想的な思いがあったからだ。
「被害妄想なんて、自分が思春期に入っているからで、本当の妄想でしか過ぎないんだ」
 と自分に言い聞かせていたが、そう思っているからこそ、男子が少しでも近づいてくると、どうしても身体が避けてしまう。
 それは無意識にであって、わざとではない。それをまわりの男子が分かってくれるはずもなく、
「あいつ、俺たちを汚いものでも見るような目で見やがって」
 と陰口を叩かれるようになった。
 確かに彼らの言う通り、汚いものを見ているのだから、
――よく気付いたわね――
 と思っていたが、そんな思いは決して表に出してはいけない。
 その感覚がさらに男子から離れようという本能と結びついてしまっているかのようだった。
「ねえ、最近の男子って、女性を見る目が厭らしくない?」
 と、言っている女の子がいたが、
「そんなの今に始まったことじゃないじゃない」
 と言いたかったが、それをいうだけの勇気はさすがになかった。
 女子は気付いていないわけではなく、気付いているはずだ。だけど、今まではさほど気になるものではなかったが、いよいよをもって気になるようになってきたので、友達に同意を求めたくなったのではないだろうか。
 この感覚は女子だけではなく、男子にもあるというもので、
「集団意識のなせる業」
 と言ってもいいのではないだろうか。
 夏も近づいてくると、汗臭さが身体から滲みでるようになってきた。それまでの小学生の頃と違って、臭いはハッキリ言ってきつくなっている。男子の匂いなのか、女子の匂いなのかは分からないが、時々鼻を突く臭いがして、たまらなくなることがある。
――まさか、自分かしら?
 と、自分で匂ってみても分かるはずなどない。
 臭いを自分で感じることができないことは分かっていたはずではなかったか。それなのに匂いを嗅いでみるくせは、それだけまわりに対しての被害妄想の強さがあったからではないだろうか。
 汗を掻くようになると、汗だけではない臭いが、臭さとともにやってくる。女性の生理の匂いは、鉄分を含んだ臭いで、鼻をツンと突いてくるが。別の生臭い臭いがたまに教室に充満している時がある。
――誰も気づかないのかしら?
 と思ったが、誰も本当に何も言わない。
 暗黙の了解のようなもので、皆知っていて誰も何も言わないのだとすれば、これも何かの生理現象に違いない。この生臭さは明らかに男のものだとは思うが、男子は本人以外には分かっているだろう。下手をすると本人にも分かっていることかも知れない。静香にはそう思えてならなかった。
 一年生の頃は、そういう臭いに対して悶々とした日を過ごしてきたが、あれは二年生になってすぐくらいの頃だった。桜が折からの雨で散り始めた時期だったので、四月の中旬くらいだっただろうか。新学期にも慣れてきて、新入生も入ってきたことで、自分たちが二年生になったという自覚を覚えた時、
「中学って三年間しかないんだ」
 と改めて感じていた。
 小学生の頃は、
「六年もあるんだ」
 と、六年を長く感じ、実際に六年前が遥か彼方の昔のように感じられていたのに、中学一年生の間があっという間だったのを思い返すと、三年間を短いものだと思うのも無理のないことだろう。
 しかし、実際の一年生の時は、一日一日を単位にすると、結構長かったような気がする。それを一週間、一か月と単位を上げていくと、その都度、時間が短かったというような意識が芽生えてきた。そうなると、一年はあっという間だという気持ちにもなるというものである。
 そんな中学時代を思春期として駆け抜けることになると思うと、
「さらにあっという間になってしまうのではないか?」
 という気分にさせられ、今は一週間単位で、その週を思い起こすようにしていたので、始業式で始まった二年生も、二週間が過ぎようとしていた。
 新学期が始まってすぐは、まだ一年生の感覚だったが、二年生になると、一年生の頃とイメージが変わってしまった人も多かった。
 顔の雰囲気も変わってきている。あれだけニキビの多かった男子生徒の中に、ニキビが目立たなくなってきている人もいて、
「何をしたの?」
 と聞きたかったが、実際にはそれほど変わっているわけではなく、静香の中の思い込みが勝手にイメージを作っていたのだ。
 春休みという期間、学校がなかったことで、人へのイメージが固まってしまっていた。夏休みの方が期間は長かったはずなのに、それほど変わったと思わないのは、夏の間に日焼けしてしまったりしていることで、変わったというよりも、その時の印象が強すぎて、比較対象を忘れてしまっていたのだろう。それを思うと、身体にあまり変化を与えない春という季節が、穏やかな季節であるということを、改めて感じさせられた。
 春になると、虫も賑やかになり、
「啓蟄」
 と言われる時期から、一月も経っているのに、その時間の流れを感じさせない。
 春休みはさほど長くないと感じるのも、変化のない時間の流れを感じないからではないだろうか。
 しかし、実際には時間は通り過ぎていて、土から這い出した虫たちも活動を始めている。散ってしまった桜の木にもたくさんの虫を見つけることができる。
 ただ、虫が好きだというわけではなく、季節としての虫を感じることは好きで、そんな静香を他の女の子は、
「気持ち悪い」
 と表現していた。
 しかし、
「蝶々になった姿は綺麗だと思うのに、青虫だとどうして可愛いと思わないのかしら?」
 という思いはあった。
 青虫に関しては静香は可愛いと思っている。他の人と感性が違うと言われるのも、皆が気持ち悪いというものの一部をかわいいと思うからなのかも知れないが、どちらが変わっているのかというのは、多数決で決めていいものなのかと考えれば、静香の思いも果たして変わり者なのかどうか、いささか疑問である。
 春の時期もいろいろな匂いを感じることができる。
「梅の花の匂いや、沈丁花の匂い」
 というのを聞いたことがある。
 しかし、人によっては、
「何だっていいんだ。ランドセルの革の匂いであっても、あれは季節を感じさせるものとしての役目もある。俳句の季語のように、春らしいものを感じるのも、匂いという観点からではないだろうか?」
 という人もいた。
 この人の意見は結構年配だったので、それだけで説得力を感じ、心の中で、
「なるほど」
 と思ったものだった。
作品名:永遠の香り 作家名:森本晃次