永遠の香り
だが、汗の匂いを意識していないと、香水の香りもしてこなかった。どちらかを意識すれば、どちらかも感じる。しかし、どちらも感じなければ、まったくの無臭の感覚だった。
無臭の時間帯もあった。それが嗅覚をマヒさせているのかも知れない。
「いや、嗅覚がマヒしていたわけではなく、伝わった脳が、意識していなかっただけではないか」
この思いは小学生の女の子には難しい感覚であるため、きっとその後のどこかでこの時のことを思い出して、そう思ったのかも知れない。思い出したとすれば思春期の時期なのだろうが、ある理由から、静香は、
「それもちょっと考えにくい」
と、大人になって思い返すのだった。
その時に、身体の感覚がマヒしているのは感じた。しかし、身体の感覚がマヒしている時というのは、意外と他の感覚は研ぎ澄まされていることも多いのではないだろうか。
例えば目隠しをされている時など、臭いや音には敏感だったりするように、何かどこかの感覚がマヒしていると、他の場所が敏感に作用するというのは、人間の本能だと言ってもいいだろう。
静香はお風呂に入っている時、熱で身体が敏感になりながら、聴覚が発達しているのではないかと思うことがあった。確かに風呂というのは、蒸気のせいで、音が反響しているのだが、その音がまるで遠くから聞こえてくるかのように感じた。その理由は考えたことがない。考えようとすると、のぼせてしまう気がするからだ。
風呂場でのことはその場所でないと考えることができないと思っている。環境が変われば錯誤が怒り、まったく違った結論が導かれると思ったからだ。
さすがにここまで綿密には思わないまでも、風呂場の感覚は自分の中で信じられる感覚だったということに間違いはないだろう。
その日は、心地よさだけを感じ、身体が絶頂を迎えることはなかった。彼女にそこまでのテクニックがなかったのか、それともわざと寸止めの形になったのか。大人になれば、寸止めは耐えられないと思っていたが、子供の頃はそうでもなかったのだろう。
そもそも絶頂というものを知らないはずなので、どうすれば得られるものなのか知る由もない。いや、それ以前に、絶頂というものの存在すら知らないのだ。だから、心地よさで満足していれば、それでよかったのだろう。
しかも、まだ思春期にも満たない幼女と言ってもいい身体である。そんな女の子を思春期の女性が悪戯している。これがどれほどの罪なのかも分かるはずもなく、ただただ身を委ねていた。
その日を境に、お姉さんとは数回お姉さんの家で、心地よさを味わった。そのせいなのか、まわりのクラスメイトの視線が違って感じられた。
「これを痛いというのかな?」
視線が確かに痛がった。
何かに突き刺される感覚で、チクチクするのだが、実際にはこそばゆいという感覚だった。
あれは、毛糸のセーターを着ていたので冬だったと思うが、ドアのノブを触った時、ビリッとした感覚になったのに驚いたのを思い出した。あれを、
「静電気というんだ」
ということは知っていた。
そのチクチク感が、どこかその静電気に似ていて、静電気は一瞬だけバチッという痛みを伴うが、今感じているまわりからの視線には、こそばゆさがあった。まったく違うものではあるのだろうが、なぜか最初に思ったのは静電気だった。どこかにかかわりがあるのかも知れない。
そんなまわりの視線の中で、自分が自然と背中に汗が滲んでいくのを感じた。臭いが背中から感じられるほどである。しかし実際には自分の汗の匂いを自分で感じるということはないので、気のせいであろうが、それと同時に今度は、香水の香りがしてきた。
今度の香りは、お姉さんの部屋で嗅いだ、あの甘い匂いではなく、柑橘系のレモンかオレンジのような香りであった。どちらも嫌いな香りではないが、汗と交りあって感じると、柑橘系の方が、まだ好きになれそうな気がした。
まだ、小学生ということもあり、香水の香りにはきついという思いしかなかったからである。
香水にはいくつも種類があるだろう。その中でどれを好きになるか、その人の感覚である。お姉さんと一緒にいる時に感じた甘い香り、まわりからの痛いばかりの視線を浴びて描いた汗で感じた柑橘系の香り、どちらも意識としては静香の中に残っていた。だが、意識として残っている間は思い出すかも知れないが、それを記憶として別の場所に行ってしまうと、実際にその香りを嗅がない限りは思い出すことはないだろう。小学生の頃の静香はそんな女の子であったが、五年生になってから、お姉さんが誘いに来ることはなかった。
自分以外の女の子に触手を伸ばしたのか、それとも自分が成長し、男性に身を委ねるようになったのか分からない。ひょっとすると、静香の成長に彼女の方が飽きたのかも知れないと思った。あくまでもお姉さんは幼女がよかったのだろう。
それを思うと寂しいというよりも、ホッとした感覚になった。
お姉さんとのことを忘れることはできないという思いはあるが、無理に思い出すこともないような気がした。こちらも、意識からいつの間にか記憶になる日がいつの間にかやってきていて、すでにお姉さんの顔がぼやけて思い出せないほどになっていた。
中学時代の悪夢
そんな静香も中学生になり、制服に身を包むようになると、それまで子供だと思っていた意識が少しずつ変わってきたような気がした。
まわりの男の子たちの目も違ってきているし、その目を意識している自分が、実は半分嫌いだった。今まで子供だと思っていた男の子も、確実に大人になりかけている。しかも、その顔にはニキビが浮かび、気持ち悪さしかないと思うようになっていた。
男子の制服は爪入り制服で、それが静香には気持ち悪さを倍増させた。どうして気持ち悪いと思ったのか分からないが、誰か一人、気持ち悪い人がいて、その人の影響が男子全員に感じさせる何かだったのかも知れない。
静香は、自分がまだ思春期に入ったという意識はなかった。
確かに初潮はすでに小学六年生の時に迎えていて、少し遅めであったが、別にそれを気にすることはなかった。見た目も幼いと言われていたので、却って早い方が気になるくらいだと思っていたのだ。
中学に入学した頃から男子に対しては違和感があった。女子に対しては、
「大人になったんだ」
という意識が強く、そもそも女子の方が思春期における成長は早いという話を聞いていたので、大人になったまわりを見て、自分も大人になってきているという意識を持っていた。
小学生の頃、最初に初潮を迎えた時はさすがにビックリした。保健の授業で聞いてはいたが、実際になってみると、
――ひょっとして何かの病気?
と思い、家族にはとても言えなかった。
変に冷やかされたり、ましてや義理の父などに知られでもしたら、ロクなことにならないと思っていた。
学校の先生に対してはそれほど大人としての嫌な部分は見えないが、義理の父を見ていると、大人というものがどれほど醜く下品なものなのかということを示しているように思えてならなかった。