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永遠の香り

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 まるで壁が意識することのできないほどのゆっくりとしたスピードで、狭まってきているような感覚である。じっと寝ていると、そのうちに目が覚めないような状態に陥り、最後にはその部屋と一緒に消滅してしまうのではないかという妄想であった。
 だが、年寄りとしては、その方がいいと思うのかも知れない。
「病気などで苦しむよりも、何も知らずに気が付けば死んでいたというような感覚の方が、幸せと言えるのではないだろうか」
 そんなことを考えたのは、まだ小学生の頃だった。一人で死んだおじいさんの部屋になどいたからであろうか。何をそんなおかしな気分になっているのか、分かるはずもない静香だった。
――でも、どうしてその時、一人で死んだおじいさんの部屋などにいたのだろう?
 おばあさんや母親がそばにいたという記憶はない。
 間違いなくそこにいたのは自分だけであり、一人でいることにどうして不思議に思わなかったのか、この時のことを思い出すこともなく、このままずっと思い出すこともないという意識があったからなのか、覚えていないことに対して感じるのは、そんな意識に繋がることのように思えてならなかった。
 その部屋ではお線香の匂いが残っていた記憶があった。ただし、お線香がついていたわけではない。火は消えていたのだが、垂直に上っていく白い煙だけは消えることはなかった。
 ずっと上っていく線香の煙はまっすぐに上に伸びているのに、どうして横にいて、しかも少し離れたところにいる静香の鼻をくすぐるのか、その理屈も分からなかった。
 一人でじっとしていると、どうやら理屈っぽくなるようで、一人でいると、どうしても考え事をすることが多くなるというのは、そういう理屈からなのかも知れないと、静香は感じていた。
――おじいさんが死んだ時、おばあさんは本当に悲しかったのだろうか?
 考えてはいけないほどの不謹慎なことだったが、静香はなせかそのことが今でも頭から離れなかった。
 人が死ぬということを意識したのは、中学に入ってからのことだった。あの時、ちょうど友達が自殺した。あまり話もしたこともない女の子だったが、彼女自身、他の誰とも話をする方ではなかった。
「あなたたち、いつも一人でいるタイプだったから仲が良かったんじゃない?」
 と言われるが、そんなことは決してない。
 暗い性格の人は逆に、暗い性格の人の近くに寄ろうとは思わないものだ。一つは自分が暗いと思っているから、相手の暗さでさらに自分が底なしの沼にでも落ちていくことを恐れるからであり、もう一つは他人から、
「暗い人同士、仲がいい」
 と思われるのを嫌うからだった。
 暗い人ほど、自分の性格を間違った方向で見られることを嫌う。
「私のことなんか、放っておいて」
 と思っているくせに、まわりからどう見られるかというのが気になるものだ。
 特に、自覚している性格と違うイメージで見られることを極端に嫌い、自殺したその女の子もきっとそうだったに違いない。
「ひょっとすると、自殺した原因もそのあたりにあるのかも知れない」
 と思ったほどで、確かに彼女を見ていると、
「いつ自殺してもおかしくない」
 と思えるほどだった。
 だからと言って、人に別の感覚で思われたくないからという理由で自殺まではしないだろう。だが、逆に考えると、自分たちが、
「他愛もないこと」
 と感じていることの方が、本人にとってS辛いことかも知れないし、それよりも、本当に死にたいと思う時よりも、気分が乗らず、何事にも上の空の時の方が、衝動的に自殺をしてしまうものなのかも知れない。
 静香は、今までに何度も自殺を考えたことがあったが、辛くてどうしようもない時の方が、意外と踏み切れないものである。
――ひょっとしたら、何かいいことが待っているかも知れない――
 と思ったからだと自分に言い聞かせているが、ただ単に死ぬという行為が怖いだけだったのかも知れない。
 自分が死んだことで、まわりがどうなるかなど、死ぬ人間には関係ない。死んでからのことを考える余裕もないはずなのに、実際に死を目の前にすると、躊躇い傷を作るかのように、死にきれなかったりする。
 そういう意味でいけば、遺書を書いて自殺をする人の気が知れないというか、そんな度胸は自分にはないと静香は思っている。
 例えば飛び降り自殺をする人などは、靴を揃えて脱ぎ、その上に遺書を置いたりして、そこから飛び降りを実行する。実際に飛び降りたことがないので、どれほどの恐怖なのか分からないが、高所恐怖症の自分が考えること自体間違いだと後で気付く。
 下を見ると、眩暈がするのではないか。自分が飛ぼうとしている前に立ち眩みで落ちてしまうかも知れない。
「もし、あの世に行って、記憶が残っているとすれば、どこまでの記憶があるのだろう?」
 などと、静香は考えてみた。
 飛び降りるために、靴を揃えるところまでは意識はある。飛び降りようと、その場所まで行くのも記憶があるだろう。
 しかし、下を見たという記憶までは残っているだろうか? 見たつもりになって、気が付けば落ちていたということもあるかも知れない。人が死ぬ瞬間というのは、自殺であれ、事故であれ、病気であれ、老衰であれ、あの世というのがあって、意識が残っているのなら、覚えていたりするものなのだろうか?
 もし、静香は自分が飛び降りるとするならば、まず考えることとすれば、
「どうすれば楽に死ねるか?」
 ということではないかと思う。
 飛び降りることが怖いと思っていると、確かに下を見るのも怖い。だが、覚悟ができていて冷静に考えられるとすれば、痛くない場所を無意識に選ぶのではないだろうか?
 だが、これも考え方で、もし、死に損なってしまった場合を考えると、どうなのだろう?
「中途半端な状態で生きるしかなくなり。植物人間にでもなってしまうと、せっかく死んでしまおうと思っているのに、この世に生きているのか死んでいるのか分からない状態で存在していることを自分でどう思えばいいんだ」
 と感じることだろう。
 死ぬことの怖さで躊躇ったために、取り返しのつかない後悔が自分に襲い掛かってくるである。
「職鬱人間」
 これほど恐ろしいものはない。
 静香の中で、残された人がどれほど悲惨な目に遭うかという発想が、消そうとしても消えずに残っている、自殺を考えたのだから、むしろまわりの人間からの迫害や、自分のことを分かってくれないという理不尽さから追い詰められての自殺のはずなのに、何を残された人のことを考える必要などあるというのか?
 静香はそんなことも分かっている。分かってはいるがなぜそんな風に考えるのかというと、きっと自分が同じ目に遭った場合を考えると、いたたまれなくなるからだろう。
「私だったらどうするだろう?」
 自分たちのことを考えず、勝手に死のうとした人が自分で植物人間になったのだから、放っておいてもいいんじゃないか?
 と考えるかも知れない。
 しかし、なぜかそうはしないような気がする。その後の残された者としての人生がどうなるかなど、まったく想像もできないし、想像しようとも思わない。想像するのが怖いと言ってもいいだろう。
作品名:永遠の香り 作家名:森本晃次