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永遠の香り

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 そんな不可能な話であったが、詩織さんに抱かれながら感じていると、まんざら本当の夢物語ではないような気がした。今見た夢も、寝ていて見る夢というよりも、現実の妄想に近いようなもので、ひょっとすると今まで妄想として片づけてきたことも、実は本当の意識だったのではないかと思う静香だった。
 きっと詩織さんも静香との逢瀬の中で、妄想に耽りながら、死んでいったお姉さんとお話をしているのではないかと、静香は思うのだった。

                  香りのもたらすもの

 静香は、じっとしている詩織さんを見ていると、妄想に耽っていると思いながら、実は夢を見ているということに気付いた。詩織さんの様子を見ているからか、自分もいつの間にか睡魔に陥っているようだった。
 本当は、このまま睡眠の世界に入るのは怖かった。なぜなら、夢に出てきたであろう女性を無理に思い出して、その話を聞こうとしたからだった。
 話の内容はあまり静香としては知りたくない内容であり、その人とは関わりたくないと思うのだった。
 そもそも、死んでしまった人と関わるなど、まっぴらごめんというものである。
 静香は、祖母を思い出していた。このまま眠ってしまったら、きっとこの夢に出てくると思ったので、その前に思い出そうというものだが、どうして祖母を思い出そうとしてしまっているのか、ハッキリと分からなかった。
 祖母はまだ存命である。自分では、
「憎まれっ子世に憚るというだろう?」
 などと言って、あくまでも強気なおばあさんを演じていたが、その真意がどこにあるのか、本人にしか分からないだろう。
 そんな祖母がよく口にしていた言葉を思い出していた。
「早く祖父に遭いたいものだ」
 という言葉であったが、すでに祖父は早くに死んでいた。
 祖父への意識などないほどの早い時期に亡くなっていて、静香のまだ幼稚園の頃だったというから、記憶など残っていなくても当然であった。
 普通、おじいさん、おばあさんというのは孫には優しいもので、思い出とすれば、楽しい思い出がほとんどとなるのだろうが、静香の中ではあまりいい印象で残ってはいない。祖母を見ていると、強気なのか、弱気なのかがハッキリとしておらず、いつも曖昧な態度を取っているのを見ると、腹に据えかねるところがあるくらいだった。
 早く祖父に遭いたいなどと言っているのは、おおかた自分の思い通りにならないことを、あの世の祖父に愚痴として聞いてもらいたいなどという意識の表れではないだろうか。いわゆる、
「年寄りの冷や水」
 とでもいうのだろうか。
「年寄りは、年寄りらしく、大人しくしていればいいのに」
 と、あの母が言っていたが、やはりおせっかいというのは、年寄りには似合わないものなのであろう。
 ただ、それは若年層の勝手な思い込みであるのは間違いない。なぜなら若い人間の誰もが歳を取ったことなどないのだからである。
 ただ、死んだおじいさんに会いたいという気持ちに対して、
「それはウソだ」
 と言い切ってしまうことは静香にはできなかった。
 確かに、いつも口から発せられることのほとんどは皮肉めいたことばかりなので、怪しまれても仕方のないことだが、死が近づいてきている人が、そんなに軽々しく、死んだ人に会いたいということを口にするというのも、どこか違和感があるように感じられるのであった。
 死んでしまった人に対しては、少なくともずっと寄り添ってきたおばあさんが、おじいさんをダシにして、皮肉めいたことをいうというのは、おばあさん自身がよくまわりの人を戒める、
「バチが当たる」
 という言葉を自ら戒めていないということになるのではないだろうか。
 今こうやっておばあさんを思い出していると、またしてもお香の香りが漂っているのを感じた。
 しかし、この匂いは微妙に違っていた。これこそ、
「いかにもお香の香り」
 であり、まさしくお線香の香りに間違いなかった。
 おばあさんを思い出してお線香の香りがしてくるというのは、別におかしなことではない。小さい頃からよくおばあさんが仏壇の前でお経を読んでいたのを思い出した。あの時、お線香に火がついていて、そこから煙が真上に向かって伸びているのを感じた。
 あの時に感じたのは、少々の風があっても、線香の煙はほぼまっすぐに真上でに向かって伸びているというものだった。
「仏様のお力なのかしら?」
 と子供心に思ったが、仏様というのが、死んだ人だという感覚はなく、神様との違いをおぼろげにも感じていなかった頃のことだった。
 おばあさんがお経をあげていた部屋は、かなり大きな部屋で、まわりにはほとんど何も置かれておらず、殺風景であった。どうやらおじいさんのお部屋だったところで、死んでから片づけたわけではなく、生きていた頃から、ほとんどモノを置く習慣のある人ではなかったということである。
 モノを置いていなかったのは、いわゆる断捨離をしていたわけではないらしく、その理由をある日おばあちゃんが言っていたのを思い出した。
「おじいさんはね。モノを置くのを怖がっていたのよ。無駄にお部屋が広い方が、無駄に散らかっているよりもいいってね」
 最初は、それをモノを片づけることにできない静香に対しての皮肉だと思っていた。だがよく聞いてみるとどうも違うようで、
「モノを置いていると、狭く感じられて、それが嫌なんだって」
 と、おばあさんは、半ば呆れたような言い方で話をしていたが、静香にはその思いが痛いほど分かる気がした。
――おじいさんも、閉所恐怖症だったのかしら?
 というもので、もしそうだったのだとすれば、静香の閉所恐怖症は経験からだけのものではなく、遺伝が関わっていたということになるのではないだろうか。
 それを思うと、閉所恐怖症だけではなく、暗所も高所も、遺伝だったのではないかと思えてならなかった。
「おじいさんは、暗い場所や高いところは怖くはなかったのかしら?」
 とおばあさんに聞いてみたが、
「さあ、そんな話はしていなかったね」
 と別に閉所との関連を気にしているところはなかった。
 どうやらおばあさんは、三大恐怖症というものに対して。言葉も知らないくらい、興味も意識もなかったのではないかと思えた。
 しかし、
「そういえば、おじいさんは、この無駄に広い部屋に一人いると、急に怖くなることがあるって言ってたのよ。無駄に何かがあると狭くて怖いと言っていたのに、それじゃあ、どうすればよかったっていうのかしらね」
 と言っていたことがあった。
 部屋の広さは子供の頃に見た感覚だったので、実際よりも大きかっただろう。それにしても、六畳よりも広かったのは確かで、今から思えば六畳よりも広い部屋に何もなかったというのは、気持ち悪いきらいではないだろうか。通り過ぎる風も気持ち悪いくらいだったが、じっと見ていると、もっと不思議な気分になってきた。
 すの不思議な感覚というのは、
「だだっ広いと思っていた部屋が、何もせずにじっとしていると、次第に狭く感じられるようになる」
 ということであった。
作品名:永遠の香り 作家名:森本晃次