永遠の香り
人間、どうしても相手のことが分かってしまうと、思入れが激しくなり、何がその人のために大切なことなのかなどと考え始めると、その意識が強すぎるせいか、判断力はマヒしてしまいかねないと思う。
あれほど冷静で、いや冷酷に感じられるほどの人がそばにいてこそ、お姉さんは生きてこられたのかも知れないと思うくらいだった。
そんなお姉さんが、最後詩織さんに何も告げずにいなくなったというのも、究極の選択だったのかも知れない。
何かをいうにしても、何も言わなかったにしても、それなりに理屈は通ることに思えている。
しかし、そんな中、何も言わなかったというのは、本能のような感覚が彼女の中にあったからではないだろうか。
「イヌやネコという動物は。自分の死に目が分かるらしく、その時が近づいたら、なるべく姿を隠すらしい」
という話を聞いたことがあった。
それは、死んでいくところをまわりに見せたくないという本能のようなものなのか、そういえば、病院に入院していた親戚のおばあさんが、
「最後は自分の家の布団の上で死にたい」
と言って、死期が近づいていることを知り、先生に相談したところ、退院が許され、本人の意思通り、部屋の布団の上で死ぬことが許されたという話を聞いたことがあった。
そんな話が思い出せるほど、詩織さんは今でもお姉さんのことを時々気にしているようだった。
だが、詩織さんは、
「どうしてお姉さんが私に何も言わなかったのかということを残念に思うけど、でも私は決して恨んでいるわけではない」
と感じた。
どちらかというと、何も言ってくれないほどに信用されていなかったのかという寂しさがあったが、それ以上にお姉さんの中での決意が固かったということが分かってくると、
「恨むなんて、お門違いもいいところだわ」
と感じるようになっていた。
お姉さんは、誰にも知られずに死んでいくことを望んでいたんだ」
と思うと、会えなくなった寂しさよりも、彼女の潔さが格好良く思えて、なるべく必要以上に思い出さないようにしようと思った。
まったく思い出さないというのは、残念ながら不可能だった。自分にできるだけの努力で、なるべく思い出さないようにするくらいしかできなかったのだ。
詩織さんはお姉さんは寿命で死んだんだという風に考えれば、少しは自分の慰めになると思うのだった。
詩織さんは、お姉さんとの楽しかった日々を
「まるで夢のことのようだ」
と感じていた。
お姉さんの身体緒柔らかさがまだ詩織さんの指の先に残っている。
最初はお姉さんが詩織sなの身体を蹂躙していた。
――どうしてこんなことをするの?
と感じたが、それは最初だけだった。
羞恥の思いは人の道に逆らっているのではないかという一般的な意識が邪魔をしたのだろう。しかも、お姉さんのような常識をわきまえているかのような高貴な人が、どうしてこのような淫靡なことが平気でできるのか、不思議で仕方がなかった。
最初はまだお姉さんの病が不治の病で、死を待つだけの身であるということを知らなかったので、そう思っていたのかも知れない。
そのうちにお姉さんの身体が運命には逆らえないと知った時、詩織さんも、
「自分がお姉さんに蹂躙されるのは運命であり、逃れることのできないものなのではないか」
と感じた。
そう思うことで、詩織さんは徐々に自分がお姉さんに蹂躙されていることの正当性を感じるようになっていた。
いや、本当にそうであろうか?
お姉さんが不治の病であり、運命に逆らえないと知った時、すでに詩織さんは蹂躙という運命に支配されていたのかも知れない。自分の運命を先に感じたからこそ、お姉さんが感じている理不尽とも思える運命も、お姉さんの身になって感じることができたのかも知れない。
そんな詩織さんだからこそ、あのお姉さんはお友達に選んだのだと考えると、辻褄が合うような気がする。お姉さんは凡人がその想像の及ばぬほどに感性が鋭く、自分の運命を、お姉さんが嫌がる形の運命として感じることのない相手を、その時点で八消したのかも知れない。
ただ、いつの間にか、蹂躙する立場は、詩織さんに写っていた。詩織さんの方で、
「私がお姉さんを感じさせてあげたい」
と思うようになり、蹂躙というのが、相手を感じさせ、悦ばせることになるのだということをお姉さんが教えてくれたのだ。
残り少ない命だから、そんな風に感じたのかどうか、今となっては正直、詩織さんにも分からない。ひょっとすると、お姉さんがそんな気持ちをひっくるめて、詩織さんとの思い出を、墓場まで持って行ったのかも知れない。
詩織さんは、お姉さんにそれまでしてもらったことを、できるだけ返してあげたいと思った。
それは施しではなく、
「今まで知らなかった新しい世界を教えてくれた」
という思いであり、ただそう思うと少し矛盾しているようにも思えた。
――お姉さんは、一体この快感を誰から教えてもらったのだろう?
という思いである。
その頃の詩織さんの知識として、西洋の高貴な人たち、いわゆる貴族などの趣味として、SMチックな遊びもあったという話は聞いたことがあった。日本でも、お坊さんや武士などが男性同士で、いわゆる
「衆道」
などという世界があったというのも聞いたことがあった。
したがって、普通の世界しか知らないだけで、好奇な世界にはまだまだ自分たちの知らない世界が広がっているのではないだろうか。
そんな中に女性同士の愛情があってもいいだろう。
――男性同士よりもよほど綺麗な気がする――
と詩織さんは思った。
それは、自分のその時の状況をいかに正当化したいかという思いよりも、
「詩織さんと一緒にいる意義をどんな形でもいいから見出したい」
という思いが強かったからではないかと思うようになっていた。
その時、別にお姉さんが詩織さんに対して、言葉などで明確に伝授したわけではない。詩織さんが自分で会得したのだ。
それは詩織さん自身が自分の意志を強く持たなければできないことだっただろう。いくら正当性を感じていたからと言って、心のどこかに羞恥の気持ちが残っているのだから、全面的に正当性に身を委ねていたわけではないはずだからである。
死者との会話
静香は、詩織さんが主導権を握ってくれていることが嬉しかった。もちろん仕掛けてきたのは詩織さんの方だったので、静香が主導権を握るのは無理なことだが、詩織さんに任せていればと思うと、本当に気が楽だった。
だが、詩織さんの行動を見ていると、静香に委ねようとするところが随所に見られた。そんな時は察して自分から動くのだが、詩織さんはそんな静香に満足しているようだった。
静香は相手が何を考えているのかということを悟るのがうまい方だった、それは自覚していることであり、自他ともに認めると言ってもいいだろう。
静香は詩織さんに促されるように行動することが楽しかった。懐かしさのようなものがあると言ってもいいだろう。