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永遠の香り

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 大人が子供をどんな目で見ているかということは子供の自分に分かるわけはないし、そんな何を考えているか分からない大人に気を遣う必要はないだろう。
 子供の中には明らかに大人に気を遣っているかのように見える子がいるが、いかにも気の毒で見ていられないところもある。しかし、本人がそれでいいのなら、別に問題はない。
――大人って何なのかしら?
 と考えるが、ネコの方がよほど子供たちのことを分かってくれているような気がする。
 同じ人間でも大人になるということは、自分が子供だった頃のことをすっかり忘れてしまうことをいうのだと思うと、ネコの方がなんぼかマシな気がした。
 そんな静香は、当時からあまり友達がいなかった。自分からまわりに溶け込むということが好きではなかったので、一人でいつも離れたところにいた。しかし、静香は人が寄ってくればそれを拒否するような性格ではなかった。
 どちらかというと、人が寄ってきてほしいと思っている方だと自覚もしていたが、それはネコと遊んでいた一件とも似ているかも知れない。
 そう、静香という女の子は相手が人間であっても、動物であっても、
「来る者は拒まず」
 という性格で、寄ってくるのがネコであれイヌであれ、人間であれ、大差のないものだったのだ。
 だが、さすがに自分に危害を加えたり、気持ちの悪い者は寄せ付けない。例えば、虫であったり爬虫類であったりすれば、さすがに他の人同様怖いと思うのであった。
 静香が思うのは、動物にしても人間にしても、自分に与えたいとか、何かを求めてくるのであれば、それは、
「来る者」
 として扱えるのではないだろうか、
 どうして皆は、人間と動物で差別するのか、それが分からなかった
 それと似た感覚であるが、男の子をどうしても意識できないでいた。気持ち悪いという思いもあったが、イヌやネコよりも男の子の方を、
「近い存在」
 として意識する意味が分からない。
 その分、女の子に対しては、イヌネコ同様に近しい存在であった。イヌやネコは、
「可愛がってあげたい」
 と思うのだが、女の子からは、
「可愛がってもらいたい」
 という意識があった。
 イヌやネコは自分が可愛がるものだという意識しかなかった。そのために、イヌやネコだけを相手にしていれば、自分を可愛がってくれる者はいないということになる。確かに親は祖母などは、自分を可愛がってくれているのだろうが(あくまでも皮肉だが)、自分が欲している可愛がってほしいという感情とはかけ離れていた。親や祖母にとってあくまでも自分は、
「目下の者」
 であり、その感覚は静香にとっての、イヌやネコに対してのものだ。
 それは嫌なのだ。上下関係があったとしても、それはあくまでも血のつながりのようなものではなく、相手を求める感覚がほしいのだった。
 好きになった相手を愛でる気持ち、そこには信頼関係がなければいけない。躾をするにしても、
「親の責務だから」
 などという遺伝的な感覚ではなく、もっと感情的な、激しく求めあう中での自分たちだけの法律のようなものがほしいのだ。
 親が嫌いというわけではないが、世の中の仕組みに従わなければいけないというような縛りを持っていて、しかもそれを子供に押し付けようとしているのだ。それを躾というのであれば、そんな躾はいらないと思う。
 ただ、大人に逆らえない部分があるのは確かだ。子供一人では生きてはいけない。子供を育てるのは、生んだ親の責務である。そういう意味での躾が必要だというのであれば、理屈は分かるが、それが、
「親の方が偉い」
 と履き違えているのだとすれば、それは飛んだ笑い種と言えるのではないだろうか。
「トンビがタカを生んだ」
 という言葉があるように、子供が天才として生を受けたのであれば、親の躾など、あってないようなもので、世間一般的な躾で、せっかくの天才児を潰してしまうとも限らない。
 そういえば、
「二十歳過ぎればただの人」
 という言葉もあるが、いくら子供の頃に神童と言われていても、環境や教育によって、天才がただの人に成り下がることだってあるのだ。
 そんな静香は、親を親とはほとんど思っていなかった。
「何て親不孝な娘なんだ」
 と言われるかも知れないが、静香の父親は義父であった。
 静香が幼稚園の時に母親が離婚、そして実家に戻ったのだが、その時スナックでアルバイトをして何とか、家にお金を入れて、生活をしていた。
 だが、そのスナックで知り合った男性と仲良くなったようで、その男がいう通り家を出て、同棲を始めた。
 それは、静香も実家に置いたままのことで、さすがに祖母が静香の母親のところに直談判に行き、
「結婚するのかしないのか。中途半端なことはしなさんな。あんたには娘がいるんでしょう」
 と言って諫めたが、さすがに母親も相手の男を説き伏せたようで。結婚することに決めたのだった。
 だが、父親になる人は結局は母の紐のようなものだった。仕事も定職についていないようで、母親がスナックのアルバイトだけではやっていけないので、昼はスーパーのレジをしていた。
「これがあんたの望んだことなのかい?」
 と言って、母親から静香を引き離して、一緒に暮らそうとも言ったが、母親は、
「自分が育てる」
 と言って聞かなかった。
 そこまで言われればいくら祖母でもどうしようもなく、
「お母さんがあまりにもひどかったら、おばあちゃんのところに来なさい」
 と言ってくれた。
 静香は、
「うん」
 と言ったが、実はあまりおばあちゃんのことを好きにはなれなかった。
 母親が今はあそこまでひどいので、おばあちゃんが何とか説得しているように見えるが、考えてみれば、母親もおばあちゃんに育てられたのではないか。元々の種を作ったのがおばあちゃんだという意識は小学四年生になった静香には、ウスウスではあったが分かっていたのだろう。
――おばあちゃんも信じられない――
 という思いが強かった。
 特におばあちゃんは、世間体を気にする人だった。服装や日ごろの言葉遣いなど、結構厳しく躾けられた。
――そこまでしなくても――
 とは、静香でなくても感じることであろう。
 世間体を気にする人は、上下関係に厳しいのではないだろうか。自分はまわりの世間に対してへいこらと低姿勢になるくせに、自分の身内に対しては、身内の中では自分が一番上だという意識を持っている。
 そのせいもあってか、まわりが一番強く、その次に自分がいて、そしてその下に家族がいるという階層を勝手に作ってしまい、それが差別的な発言をしても、何ら悪気がないという意識に立っているのではないかと思えた。
 特に、昔の人は差別教育などを受けていないので、今では禁止になっている差別や放送禁止用語などを、平気で口にしたりする。特に母親などは、その傾向が強かったに違いない。
 差別は用語というよりも、感情が口から出ただけで、その精神の異常さは、言葉の意味が分からなくても、それが差別であるということは分かるような気がした。差別を口にする時や、人を蔑んでいる時の口調は明らかに変であり、
「これがおばあちゃんの本当の口調なんだ」
 と思えて仕方がなかった。
作品名:永遠の香り 作家名:森本晃次