メデゥーサの血
戦争に負けるなど、誰が想像していただるか。もちろん、相手を考えれば誰でもそう簡単に勝てるとは思っていない。歴史を知っている人は、
「緒戦で華々しい価値を治めて、相手に戦意喪失したところを狙って、和平を申し込み、こちらの優位な条件を得られればいい」
ということは分かっていただろう。
戦前、戦時中の人は分かっていたはずだ。
「バケツリレーや竹槍訓練などまったくの無駄だ」
ということをである。
しかし、だからと言って、戦時中の対策が悪かったというわけではない。防空壕を作るにしても、灯火管制にしても、建物疎開にしても、当時の専門家が考えてのことだったはずだ。
何と言っても、日本の科学力というのは、世界に引けを取らない。明治以降の戦争で活躍した兵器で日本が開発したものもたくさんあり、その甚大な効果は実証されている。
例えば日露戦争の時の下瀬火薬や、上海事変における渡洋爆撃、さらには真珠湾攻撃における零式戦闘機や最新式魚雷の開発など、日本が開発した兵器から見ればこれもまだ、氷山の一角である。
戦術が悪かったということもないだろう。戦術に長けていなければ、いくら何でも最初の半年間で、あれほどの全戦全勝などという快挙は成し遂げられなかっただろう。
そうなると、根本的な戦争に対しての姿勢が間違っていたのかと言えるのかも知れないが、それ以上はここで言及することはよすことにしよう。
そんな状態で、戦場では地獄絵図が繰り広げられた。戦陣訓の教えに従って、
「虜囚の辱めを受けるくらいなら」
ということで、自決や玉砕などというものが起こったものだから、戦場では足の踏み場もないほどの死体を見てきたに違いない。
人が死ぬということや、死体に対しての感情がマヒしてしまっている状態で、さらに自分たちに対して誹謗中傷を浴びせられると、本当に死ぬしかないと思ってしまうだろう。そんなところへ、自分たちの生きる道を示してくれる相手が現れれば、何としてもその人のために命を捨ててでもと思うのは道理である。
そんな世界に世の中はなってしまったのだろうが、彼らとて、人殺しを楽しみにできるほどの人間ではない。自分たちを誹謗した連中に対しての恨みはあるだろうが、ある特定の人物というわけではない。だから恨みを晴らすと言っても、誰を攻撃していいか分からないし、彼らとて、無駄な血を流したくはないと思っている。
何か目的でもあれば別だが、その目的をこの団体が与えてくれた。
「もう一度、軍国主義を復活させて、今度こそ、列強に一泡吹かせるぞ」
と言われると、できるできないは別にしてその気になる人もいるだろう、
何しろ一度は命を、南方や大陸に捨ててきた連中である、いまさら死を恐れることはない。死を恐れるのは、戦争が終わったということで一息ついてしまい。安堵を感じてしまった人なのだろうが、彼らには一息つく暇も、安堵に胸を撫でおろす暇もなかった。ただ、恨みに燃えているだけで、その恨みの矛先が分からないだけに、大きなジレンマが彼らを苦しめていたのだ。
そんな彼らが兵隊になり、上層部の手や足となって働くのだから、そんな彼らを洗脳することも難しくはない。
そこで雇われたのが、教祖となった降天女帝と呼ばれる女だったのだが、戦闘員の専横だけではもったいないと考えた上層部は、彼女を使って、
「総国民、洗脳化」
を目論んだと言ってもいいかも知れない。
実際に全国民を洗脳などできるはずもないが、少しずつ洗脳していき、少人数の間は、水面下で進めていき、決して世間で話題になるようなことはなかった。公安が怖いというのもあるが、彼らとしては、同じような団体が存在し、それを知らないということが怖かったのだ。自分たちも秘密裏に、ゆっくりと、そして着実に組織を大きくしているのだから、同じような団体が水面下でくすぶっていると言えなくもない。相手も同じ思いかも知れないが、ここでことを大きくするわけにはいかない。
かといって、ライバル分子の存在が分かっているのに何もしないというのは、士気にかかわる問題ではないかとも言えるだろう。見て見ぬふりしかできないので、ここも軍団としては存続に対してのジレンマとなって押しかかってくることもあるのだ。
それでも、幸いにも似たような団体の存在は確認できなかった。
実際には、別動隊がそんな組織を捜索するという任務を帯びて行動していたのだ。もし存在するとすれば、こちらも死活問題に陥るからだ。しかも、相手もこちらを調査しているとすれば、いざ衝突した場合、まったく情報を持たない自分たちが不利なことは一目瞭然だからだ。
その頃から反社会的な勢力と、宗教団体との二部構成になった。反社会的勢力は、朝鮮戦争の後、どんどん伸びていって、宗教団体を上回る勢いを示し、その差は広がるばかりだった。
当然、宗教団体側の首脳陣は焦っただろう。自転車操業という地道(?)な会員募集だけではなかなかうまく行かず、次第に会員を洗脳するようになる。洗脳した会員が反社会的組織に流入するということもあったが、どうしても、軍団全体的に見れば、その差は歴然だった。
そのうちに会員も頭打ちになってくる。自転車操業すらままならなくなってくると、それこそ存続の危機だ。
何しろ、社会的に許される団体だったわけでもないので、この宗教団体が破綻するということは、彼らの命運も尽きるということだ。
つまり、
「世に出してはいけない団体だ」
ということなのだ。
これが明るみに出ると、社会は混乱し、せっかくの母体までもが、存続の危機になる。
決して表に出てはいけない団体なのだ。いくら警察と言えども、この宗教団体と、半社会的勢力が同じ軍団だということは分かっていないだろう。
「赤魔術十字軍」
という名前は知っていても、その実態は、警察の公安でも藪の中のはずだからである。
「警察なんて、しょせんそんなものさ。数年前までの官憲や、さらに特高警察などであれば、恐ろしい力があったのだろうが、今では民主警察などと言って、その権力はほどんど皆無のはずだからな。怖いものはないさ」
というのが首脳陣の警察への意識であった。
その意識は政府に対しても同じだった。
それよりも恐ろしいのは占領軍であったが、彼らも今は日本国に主権を返却うる動きがある。
社会情勢として、朝鮮戦争で代表されるように、共産主義の力が大きくなってきた。それを防止するためには、日本を防波堤にする必要がある。そのためにはある程度日本に主権を回復させる必要がある。
というものだった。
日本に主権は回復させても、基本的に軍事は放棄である。そのため中途半端な自治になり、結局は連合国が許可しないと何もできない国成り下がっていたのだ。
「占領された状態での主権回復と言っても、しょせん、そんなものさ」
と思っていた、
しかし、、ここで少し問題が起こってきた、
兵隊である連中への触れ込みとしては、
「日本を再軍備させる」
というものだったはずだ。