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メデゥーサの血

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 占い師ではできない大予言を、この教祖はやってのけるのだ。
 占い師の占いというのは、よく言われることとして、
「当たり前のことをさもその人にだけ当て嵌まるように言って、心理的にこちらの言っていることがすべて正しいと思わせる」
 という、いわゆる「バーナム効果」というもので形づけられていると言われているが、誰もがこの教祖は、そんなことはなく、やはり神のお告げを伝えてくれているんだと思い込んでいる。
 これこそが、本当の「バーナム効果」をはるかに凌ぐ、マインドコントロールではないだろうか。
 神という言葉を口にすると、ある程度までの信憑性がないと、胡散臭いと思われて終わりだが。ここまで的中してしまうと、胡散臭いどころか、本当に神はいるのではないかと信じてしまう心理が働くのだ。
 それこそが教団の狙いで信者を増やすとができるというものだ。
 そして、ここで信者になった連中に、さらなるマインドコントロールを与え、今度は軍団の兵隊として利用しようという方法が企てられていた。
「信じる者がいるから、信用させることさえできれば、マインドコントロールなど簡単なことだ」
 と教団に言わしめた世間が、本当に恐ろしいことなのではないだろうか。
 これは時代が、教団を望んだのか、教団が望んだ時代だったのか、そのどちらもが合致したことで神様をも巻き込んだ大掛かりな集団として君臨することになる。
 しかし、時代が教団の望んでいた時代から離れていったのは、時代としては当たり前の頃だったが、彼ら教団にとって、予期していないことだったというのは、何とも皮肉なことだった。
 当然、時代の変革がないなどということはなかったのだろうが、教団としては、その変革のスピードを見誤っていたのかも知れない。
 彼らとしては、軍資金を蓄えるまで、教祖の力をどれくらいまで持続すればいいかを当然計画として持っていたのだろうが、そこに達する前から時代背景が変わり、社会が次第に豊かになっていったのだろう。
 そこには、朝鮮戦争の特需や、その後のいろいろな電化製品の開発が後押ししたのだろう。
 朝鮮戦争に限っては、その特需から得られた財産が今の教団を作ったのだから、恨むとしてもそれは本末転倒であるのは分かっている。しかし、こんなに皮肉なことがあるだろうか。実際の計画をもう少し謙虚に考えていれば、ここまで焦ることはなかったのだろうが、彼らは計画をギチギチに考えていた。それによって、軍団員の士気を高めようという意識もあったのかも知れないが、それによって締め付けられたことで、今度はその締め付けが表に出ようとして無理をすることになる。
 その煽りは教団に向けられたことは間違いない。
 この団体は、悪事を働く団体に漏れることなく、自分たちの中を引き締めることに力を注いでいた。徹底的な情報統制を行い、余計なことを吹き込まず、マインドコントロールを行う。まるでソ連を中心とした共産主義にありがちのことではないかと言われていたのだ。
 そんな彼らをマインドコントールしていたのが、この教団だったので、今度は自分たちが崖っぷちに立つなどということは考えていなかっただろう。何と言っても予言がいかさまである以上、予知すらできないということになる。
「自分たちが考えたことで予知などできるはずはない」
 それこそが、まるで、
「鏡に写った自分の顔を見た時」
 に似ているのかも知れない。
 自分の顔というのは、鏡などの媒体がなければ普通であれば見ることはできない。自分の声を聞くというのも同じことだ。
 だから、
「自分のことを一番知らない人間は、その本人なのだ」
 という禅問答のような話も出てくるのだろう、
 さて、時代が変わったことで、人々が豊かになると何が起こるか?
 それは今までのように、陰惨な事件が、いつどこで起こるかということの予測がつかなくなったことだ。
 絶対的に陰惨な事件が少なくなってくる。それまでパターン化しているのを、
「見る人が見れば分かる」
 という感じで、何とか予測することはできた。
 そういう意味で、この教祖も、
「見る人側だった」
 と言ってもいいかも知れないが、明らかにまやかしであったことには違いない。
 それがまったく予想ができなくなると、預言にならなくなる。
 かといって、人々にいい預言をしたとしても、そこから教団に入る人はそんなにいないだろう。
 あくまでも混乱した時代に、助けを求めるために入ってくるのであって、その方が洗脳しやすいというのもあった。しかし、今いいことを言って団員が増えたとしても、果たしてマインドコントロールができるかと言えば、難しいとしか言いようがない。
 そもそも、いいことであっても預言は不可能だった。それこそまっやくデータが存在していないからだ。
 動物でも二元も同じだが、
「その人にふさわしい場所というものが存在する」
 ということである。
 教団にもふさわしい時代が存在したのだが、その時代が過ぎ去ってしまった。いずれはそうなるかも知れないと予見していた人もいたかも知れないが、時代の流れは容赦なく過ぎ去るだけだったのだ。
 何とも皮肉な話だが。それでも死活問題を何とかしなければいけない。その手段の中で一番安易で簡単なことは、一番してはいけないことであり、まさに一種の「パンドラの匣」を開けてしまうのと同じことだった。
 実際の実行グループは三つほど存在する。一つのグループには六人がいて、それぞれ実行の他に、見張り、運転手、もし見つかったりした場合の、
「仮の犯人」
 すら用意していた。
 見張りは必ず二人、運転手は戯鳥、場合によっては二人、二人の場合は、もし追跡者があれば、二手に分かれて逃げて、相手を煙に巻くため。そして仮の犯人としては、あくまでも逃げ遅れたという設定で、警察の目を欺いて、本体が逃げるために用意された。いわゆる戦国時代などで言われる「しんがり」である。
「しんがり「とは「殿」と書いて、撤退線になった時、本体を逃がすために、最後尾に設置され、全滅を恐れずに、追手の矢面に立つことを使命づけられた部隊だった。一番危険ではあるが、名誉ある部隊でもある。出世を夢見る下級武士の中には、名乗り出るような勇ましい武士もいたことだろう。
 しかし、あくまでも囮であり、全滅することも宿命とされた部隊だ。普通ならば嫌がるもので、戦争中であれば、神風特攻隊の覚悟に近いものがあるだろう。
 それを、いくら自分が身を寄せた軍団のためであるとはいえ、それに成功したからと言って、褒美や名誉が受けられるわけではない。戦国時代なら名誉であり、神風特攻隊でも、二階級特進などと一緒に、明らかにお国のために死ねたとして、残された家族の名誉にはなったことだろう。
作品名:メデゥーサの血 作家名:森本晃次