メデゥーサの血
ただ、老人には何か野望があるという、どうやらギャング風の男性はそれを知っているようなのだが、そのいで立ちだけを見ると、いかにも怪しく思えるのだが、一緒にいると、どうも悪い人には思えてこない。老人に対して従順であるし、少年に対しても敬意を表しているのは、見ていてよく分かった。
少年は、自分の中に何か力が備わっていることを、老人と一緒に暮らすようになってから感じるようになった。その力が何なのか、そしてどのような時に発揮されるのか、いや、いつ発揮しなければいけない力なのか、そこまでは分かっていなかった。
しかし、今回の老人は明らかに何かをしようとしている。目の前にいるギャング風の男を使って何を企んでいるというのだろう。しかもそれは自分に大いに関係のあることのようだ。キーワードとして、
「マインドコントロール」
というものがあり、目的を達成させるために、世界的にもどえらい権威を持った天王寺博士のところから、
「女性ホルモン」
なるものを盗み出している。
そもそもこの天王寺博士というのがどういう人物なのか、少年は自分なりに探ってみた。いろいろな学問で権威を発揮していて、政治にまで参画しているというではないか。そんな人のところから秘密とされている薬を盗み出すなど、狂気の沙汰に思えるほどだ。
それを平気でやって、しかも成功している。相手が盗まれたことを知っているなら、何かしてきそうだが、それもない。
――きっとこの二人は天王寺博士のことを知り尽くしているんだ――
と思えた。
天王寺博士が、赤魔術十字軍という悪の組織を滅ぶすために尽力したことまでは知っていたが、どのようにしたのかなどは、表に出ていない。当時のことを知っているかなり組織に近い人間に聞くしかないのだが、そんな人が残っているわけもなく、残っていたとしても、見つけ出すのは困難を極めるだろう。
天王寺博士は今政治の世界が忙しいようだ。研究論文も久しく出していないし、研究をする暇がないくらいに、政治に入り込んでいるという。老人が盗み出すタイミングを見計らっていたとすれば、今の機会を最初から待っていたのかも知れない。
「ところで例の女性ホルモンだが、お前はあれを研究所に持って行ったんだよな? わしの話を工藤教授に伝えたか?」
と老人はギャングに言った。
「ええ、おっしゃる通りに伝えました。工藤教授は最初ピンとこないようでしたが、一緒に預かった封筒を見せて、教授がそれを一読すると分かったみたいです。読んでいる最中から顔色が変わってくるのが分かりましたからね。四阿署は驚き、そして興奮、最後は笑いまで出ているくらいでした。あの教授があんなに表情を変えるのは初めて見ました。しかも瞬時に変わるんです。一体どんな魔法だったんですか?」
と、ギャングは聞いた。
「魔法? 魔法なんて使ってはおらんよ。もし可笑しかったのだとすれば、それは工藤教授の考えていることと、わしが考えていることがピッタリあったということだろうな。わしが工藤教授の立場だったら、同じように笑い出したと思うんだ」
内容を知っているのは、書いた本人である老人と、それを読んだ工藤教授しかいない。
それを思うと、知りたいという気持ちとは別に、
「自分みたいな者が知るべき代物ではない」
という思いもあり、複雑な気持ちになった。
魔法使いというのは、えてして、こんなところにいたのかも知れない。いずれこの連中が何を考えていたのか明らかになるのだろうが、今がその中のどの段階なのか分からないのは少し気を揉むところだった。しかし、いよいよ老人のいう野望というのが佳境に入ってきて、自分が参画するようになったということは自覚しなければいけないだろう。
――果たして僕は、どんな役割を持っているというのだろう?
そう思うと、震えが止まらなくなるのだった……。
工藤教授
天王寺博士が研究していた女性ホルモンというのは、一体どういうものなのだろう。マインドコントロールするためには必須のように言われている気がするが、工藤教授と呼ばれる人がそれを研究しているという。
「ところで、さっき名前の出た工藤教授というのは、どういう人なんですか?」
と少年がほとんど理解できない話の中でのとっかかりがほしいと思ってしてみた質問だった。
「工藤教授というのは、K大学の生物学の先生なんだ。元々、赤魔術十字軍を撃滅するための研究を生物学の観点から研究していたが、天王寺博士が一番先にそれを成し遂げたというわけさ、全国には工藤教授のように、いろいろな権威ある教授がいて、それぞれに赤魔術十字軍の壊滅を目指していたんだ。工藤教授もその中の一人だということだね」
K大学というと、国立大学でも理工系の大学でも全国で一番だと言われているところだ。かつてノーベル賞のような権威ある賞の受賞者をたくさん輩出していることも有名であった。
しかし、老人がそんな赤魔術十字軍の撃滅を研究していたと言われる教授を懇意にしているというのは、合点がいかない。少年には分からなかったが、赤魔術十字軍に深いかかわりのあった老人の行動とは思えない。そこに何かの思惑と、陰謀のようなものが隠されているのではないだろうか。
これは老人が知っていたことかどうか分からないが、工藤教授というのは、元々天王寺博士とは仲がよかったらしい。ただ、ある時から二人は決別し、犬猿の仲のようになってしまったが、ちょうどその後くらいに工藤教授と老人は知り合っている。
工藤教授は正直、天王寺博士を恨んでいる。その恨みの度合いを知っているのは、この老人だけのようだが、老人が工藤教授に近づいたのは、天王寺博士への本気の嫌悪を感じたからだったのだ。
天王子博士というのは、明らかに赤魔術十字軍の敵であった。しかし、彼が国民や日本政府の味方だったのかというと、そうではない。どちらかというと、敵になるだけの素質を持っていた。いろいろば学問に手を出して、心理学の研究を始め、政治に参画するようになったのは、その意志がハッキリとしてきた証拠ではないだろうか。
工藤教授がどのような人だったのかというと、性格的には彼は一つのことに集中すると、まわりのことが見えなくなる方で、本当の学者肌と言ってもいいかも知れない人だった。
それは天王寺博士も同じで、彼も元々は一つのことにだけ特化して研究する人であった。それが、変わってきたのは、ちょうど戦争が終わり、世間を赤魔術十字軍が席巻するようになってからだった。
赤魔術十字軍は、そのほとんどが天才と呼ばれる人たちの集まりで、彼らを洗脳し、自分たちにいいように操っていた。いわゆる
「マインドコントロール」
なのだが、そこに利用されたのが、例の
「女性ホルモン」
だったのだ。
工藤教授と言う人は、自分の研究が何においても一番で、研究のためなら、少々の悪いことであっても、足を突っ込んでもいいとさえ思っていた。