メデゥーサの血
老人は、この青年がかつて世間を騒がせた大悪党である巨大組織の首領と教祖の息子だということを知っていた。知っていて、この青年には内緒にしておいたのだ。なぜなら、老人にはこの青年が、自分の父親と母親のことを知っているのかを、ハッキリと知らなかったからだ。もし知っていて、この青年が家族のことを知らなければ、彼の前に現れることはなかったかも知れない。
老人は、少年の育ての親でもあったが、実際には少年がお金を稼いできていたので、実際には育ての親と言えるかどうかは分からなかったが、少年としては感謝はしていたようだ。
「お前は、何になりたいんだ?」
と老人が聴くと、
「偉くなりたいんだけどね、なかなかそうもいかないよ」
と言って笑っていたが、そんな時、老人が少年にマインドコントロールの極意を教えた。
それは、
「誰にでも当て嵌まることを言って、あたかもその人だけに言われているような話すをすること」
というバーナム効果に少し毛の生えたようなものだったが、この話を聞いてすぐに少年は理解できたのか、それから少しして、占い師として商売を始められるくらいにまでなっていた。
「占いなんて、本当は胡散臭いことしたくないんだけど、これも将来のための資金稼ぎだと思うと、しょうがないと思っているよ」
と、占いをすることに不満を感じているという愚痴をこぼしていた。
それを聞くと老人は、
「うんうん」
と言って、涙を流し同情していたが、そのうちに、
「いい話があるんだけどな」
と言って、彼に耳うちした。
「お前は、天王寺博士という人物を知っておるか?」
と聞かれて、
「聞いたことはあるけど、何でも偉い先生なんだってね」
という、その程度の知識しかなかった。
博士と言っても何の博士なのか知る由もなく、興味もなかったのだ。
すると、老人が言った。
「その博士が、マインドコントロールには男性よりも女性の方がはるかに潜在能力があるということを発見し、そのための女性ホルモンを開発したのじゃ、女性ホルモンと言っても、マインドコントロールに特化したホルモンなので、別にそれを摂取したからと言って、女性になってしまうということではない。それを手に入れてマインドコントロールを自在に操れれば、今の占いなどではなく、もっと大きなことができるようになるとは思わんか?」
と言われ、最初の頃は、
「そりゃあ、そうだろうけど、俺にはそんな大それたことはできないよ。要するに泥棒してこいっていいんでしょう?」
彼は貧乏であったが、盗みをするようなことはなかった。
もっとも、ギリギリまで我慢していると、まわりの人が見かねて、必ず何かを恵んでくれていた。それは彼の役得のようなもので、きっとずぶ濡れの犬を思わせるような目に、まわりの人はコロッと情にほだされる気持ちになるのだろう。
そういう意味で、いつもギリギリのところで犯罪をせずに済んでいた。それだけに犯罪に対しての彼の憤りはハンパでもなかったのだ。
彼の決意が固いことを感じた老人は、何とか彼にその女性ホルモンを与えてやりたいと思った。実際にそれは、老人の善意からではない。彼にも思惑があり、一種の復讐のようなものだった。
老人は今ではみすぼらしくしているが、実際には数人の子分を従えていた。今ではお金もなくなってしまい、子分を養うこともできず、皆彼から去ったが、そんな連中を探し当て、
「いい話があるんだがよ」
と言って、仲間に引き入れた。
それは、女性ホルモンを盗み出すという計画で、ただし、博士も必死に隠しているだけになかなか盗み出すことは難しいだろうと分かっていたが、それでも何とかするのがこの老人だった。
身体も思うように動かず、せむしのような体格をしているが、頭はまだまだ若い頃と変わらず素晴らしいものがあった。
彼の昔の仲間だった学者の一人に、弱みを握っているやつがいて、彼が今博士と身近な位置にいることを突き止めると、彼に協力を仰いだ。
「成功しますかね?」
という半信半疑の研究者に作戦を伝授すると、彼は非常に作戦のすばらしさに驚き、ささっそく実行に移された。少しだけ中身を頂き、ホルモンが液体だということで、少しだけ頂き、残った瓶に同じような液体を入れ、ごまかそうとした。一応は作戦は成功したのだが、残った分が変色し、異物混入がバレてしまい、秘密裏というのは失敗だった。
それでもこちらとしても、バレた時のことは最初から考えていたので、へまをすることはなかった。もし誰かが秘密を盗んだとしても、そこから足がつくようなことはしなかった。
相手は、それなりに用心していたことだろう。しかし、老人の頭脳は相手の要人を超越していた。ちゃっかりと盗み出すことができて、ほくそ笑んでいた。
「さて、これからこれを分析せねばな」
と言って、老人は翌日訪ねてきたスーツ姿の紳士に、その液体を渡した。
「うまくやってくれよな」
というと、相手はニンマリと微笑んで出ていった。
いや、ニンマリと微笑んだというのは、ハッキリ見たわけではないが、老人の表情から察してそう思っただけだった。何しろその男は目深にスフと某を被り、サングラスを掛けていたからだ。まるでテレビドラマに出てくるギャングのようではないか。黒ずくめに赤いネクタイ。不謹慎だが、思わず吹き出してしまいそうないで立ちだった。
男はタクシーを拾って、帰っていったが、
「誰かにつけられないようにしないといけないからな。タクシーなら途中で降りて、ビルの谷間を駆け抜けて、反対側の道路からまた乗れるだろう? 相手は車で追跡しているだろうから、簡単にまけるのさ」
と老人は言った。
――おの老人は一体何者なのだ?
と、青年は末恐ろしさを感じた。
そしてハッキリと言えることは、
――この人は味方にすれば頼もしいが、敵に回すと、とんでもないことになる――
ということであった、
味方でいてくれてホッとしていたが、これだけ用心深く世の中を渡ってきたということは、かなり危ない橋を何度も渡ってきているということでもある。そうなると、どれだけ敵がいるのか、それを思うと恐ろしくて仕方がない。
「あの女性ホルモンの薬は、わしが信頼している研究所へ持っていって、調べてもらっている。それが間違いなければ、あのクスリとわしとの因縁も晴らせるかも知れないのじゃ」
と、意味深な発言をした。
その内容を聞いてみたい気がしたが、この老人は確証が掴めていないことは何を聞いても話そうとしない、ただの爺さんだと思っていたが、心の奥には芯の強さが見て取れる。それが信頼感となっているのだから、その絆は厚いものだと信じていた。
それからしばらくしてから、例のギャング風の男が尋ねてきた。薬を持って行ってから、ちょうど一週間くらいが経ったころだろうか。老人も待ちかねたように、その男を部屋に招き入れた。
居間に座布団を敷いて三人で三角形を作って座ったが、部屋の中ということもあり、例のギャングスタイルから、少しラフになっていった。サングラスを外し、上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。
その目は二重瞼で、サングラスでは分からなかったが、想像以上に優しそうな顔をしていた。