メデゥーサの血
そういう意味でこの宗教団体は特殊だった。人の心を掌握し、マインドコントロールができるだけの人間なのだから、それくらいの力があっても不思議はないが、実は天王寺博士は彼女に大いなる興味を持っていた。
「あの教祖は私にはないものを持っているんだ」
という意識があったのだ。
その実、博士が赤魔術十字軍の中で一番怖がっていたのも彼女だった。
「この女がいるから、この団体は生き残ってこられたんだ」
と思っていた。
戦後の混乱を乗り切ることは、反社会的勢力の幹部の仕事であろうが、その間に軍団を大きくし、体制を確立し、彼らの目的を容易ならしめんようにするためには、この女性の力は不可欠だった。
いろいろなことに視野を広げて、そのすべてに大きな功績を残すことのできる天王寺博士だが、そんな博士が最も恐れ、そして自分にはないものを持っている人がいるとすれば、それは彼女だけだと思っていた存在に敬意を表していたのは間違いない。
しかし、博士はそれを承知のうえで、赤魔術十字軍の壊滅に動いた、ひょっとすると、彼らの膨張を最初は見て見ぬふりをしていたのかも知れない。どこかで彼らを自分で利用しようとしていたのかも知れないが、そのうちに自分だけの手には負えない組織になりそうだということで、いよいよ壊滅に動いたのではないかとも言える。それだけ赤魔術十字軍は大きくなりすぎたというか、博士の中で、目の前のタンコブになってしまっていたのだろう。
赤魔術十字軍を滅ぼすための作戦は、最初から考えていたのかも知れない。そして、
「これくらいの勢力だったら、まだ何とかなる」
という自分の中でボーダーラインを決めていて、彼らの動向を見守ることでそのボーダーラインを超えたかどうか、判断していたのだろう。
そうやって考えると、いくつか辻褄の合ってくることもある。もちろん、そんなことは一般の国民に分かるはずもなく、政府であっても分からないだろう。
もし分かっていたとすれば、学者仲間だっただろうが、彼らには自分至上主義なところがあるので、決して博士を批判するようなことはない。それも計算ずくだった。
ただ、一つ気になっていたのは、教祖である降天女帝だった。この女は皆が思っているよりも恐ろしい存在で、その本当の恐ろしさを知っているのは天王寺博士その人一人だと自分で思っていたのだ。
博士がどうしてそこまで知っているのかというと、これは誰も知らないことだろうが、博士は心理学を勉強する前からマインドコントロールについて興味を持っていた。いや、脅威を感じていたと言ってもいいかも知れない。ほとんどのことに恐怖を感じることのない博士にはない感情だっただけに、博士自身、本当に恐れていた。
そのため、これこそ本当に極秘で一時期であるが、この宗教団体に所属していた。そこで実際に教祖の降天女性にも遭っているし、彼女の力を目の当たりにもしていた。だから、その力を知っていたことから、本当は躊躇もあった赤魔術十字軍の壊滅を推し進めたのだ。
その壊滅は、完全なる破壊でなければいけない。少なくとも首脳陣はすべてこの世で生きながらえてはいけない人間だった。一部の幹部に対してはしょうがないとして、それを実行するために、壊滅計画を公開で行ったのだ。
最初は極秘も考えたが、公開にしないと、完全なる壊滅はできないと博士は考えた。その考えは的中し、壊滅に成功したわけだが、そんな博士が大神製薬に、幹部であった、いわゆる組織の残党を迎えいるとというのは、合点がいかない人もいたことだろう。
しかし、あれから何年が経ったというのか、事件自体もほぼ風化していて、
「残虐の事件がかつてあった」
というだけで、完全に過去のことになってしまっていた。
人間の本当の恐ろしさは、過去になるとすぐに忘却の彼方に記憶を封印するというところにあるのではないだろうか。
天王寺博士は、マインドコントロールを供えていた。ただ、その威力はさすがに教祖には適わない。
――あれだけの力は、きっと女でないとできないことなんだろうな――
と、感じていた。
元々が医学博士の天王寺博士なので、医学的に最初考えるのは無理もないことだ。
医学的に考えると、マインドコントロールに対しても理解できることが結構あった。特に女性ホルモンの力がマインドコントロールにおいて、男性では出せない力を増幅できる力があることを発見した。したがって、生物学的に男性である天王寺博士にはおのずと限界があるということだ。
それで、天王寺博士が、この大神製薬の社長に就任した理由の一つに、
「男性ホルモンを女性ホルモン並みのマインドコントロールができるようなクスリの開発」
というのが頭にあった。
これは、他の誰にも知られてはいけない。自分一人で開発するものだった。
幸いなことに天王寺博士は、今までも重要な開発に人を巻き込まないようなことが往々にしてあった。だからこの時も、
「いつもの天王寺博士」
ということで、誰も疑問に思うこともなく、研究ができたのだ。
果たしてその研究はある程度完成を見ていた。だが、それを実証することはできない。自分でやってみるしかなかったが、まだ時期尚早だと思っていた。
この薬には限界があり、一度の効果には時間的な制限があったのだ。それもどれくらいの長さなのか、ある程度までは見当がついたが、それ以上のことは分からなかった。さらにマインドコントロールなので、誰に対して行うかというのも難しかった。これが公になれば、人道問題となりかねないからだった。決して表に漏らしてはいけない実験だったのだ。
天王寺博士は、人工の女性ホルモン、ただし、マインドコントロールを強化する部分だけに特化した女性ホルモンの製造に成功した。これはあくまでも他の部分を無視した製造であり、その分、危険を孕んでいた。そのことを博士は失念していたのだが、そのことはあまり気にすることなく、進められた。
博士にとって、女性ホルモンがどのようなものであるか、ハッキリと分かっていない。もちろん、それは自分が男であるからで、本質の女性ホルモンを分からずに開発したことが間違いの元だったのかも知れない。
それでも研究は成功し、その女性ホルモンが効いている時間は、マインドコントロールの威力はすごかった。さらにこのホルモンには、一度マインドコントロールを掛ければ、意識して解かない限り、コントロールが消えることはない。つまり、逆にいうと、コントロールを掛けた博士が何らかの理由でいなくなったりすれば、コントロールする人を失い、制御不能になってしまう。コントロールされる側は何も考えられなくなって、放心状態に陥るか、それとも、何をするか分からない状態になるか、それは誰にも分からないことだった。
そういう意味ではこの研究は、恐ろしい可能性を秘めていた。
「諸刃の剣」
とでもいうべきか、何が起こるか分からないという危険性を秘めている時点で、すでに計画は失敗だったと言ってもいいだろう。
ただ、博士は万が一の時に、その呪縛をすべて解く方法を隠し持っていた。だがそれを誰も知らないところがまた恐ろしい。その時点で、博士はすでに気が狂っていたのかも知れない。