メデゥーサの血
あれだけ自信に満ち溢れていて、犯行声明まで出して我々をおちょくっていたのに、こうもあっさりと捕まってしまうと、誰が想像しただろう。
確かに彼らが捕まって、平和になったことは喜ばしいことであるが、完全な安心が得られたという保証はどこにもなかった。
彼らのような魔術師的な連中は尻尾を切ってでも逃げようとするトカゲに似ているのではないだろうか。それを思うと、市民はオチオチしてはいられない。
彼らが分かっている全員が逮捕されたのは、昭和三十五年になっていた。彼らが最盛期だったのは、それから五年以上も前のことで、それから比べれば時代はかなり進んだ。いろいろ便利なものも出てきて、経済復興、さらには自由への風潮、男女同権など、かなり進んだと言ってもいいだろう。
本来であれば、そんなに時間が経っていれば、少々の凶悪事件でも、世間の目は冷めた目になっていても無理もないことであろうに、この事件だけは風化することもなく、いつまでも語り継がれていた。それだけ、一大センセーショナルを世間に振りまいた事件だった。
彼らの犠牲になった人は分かっているだけでもかなりの数だ。さらに誘拐、行方不明を含めるともっとになるはずだ。
無差別殺人、無差別誘拐、そんな犯罪が当たり前の組織だったからだ。
その少し前までは戦争だった。戦争というと、空から雨あられと降ってくる爆弾で、いつ爆死するか分からない状態であった。無差別殺人、しかも一気に大量殺戮である。そんな地獄を味わっているのだから、感覚はマヒしているはずの国民が、なぜここまで怯えたのかというと、
「狙われて殺される」
ということに恐怖を感じたからだ
戦争で死ぬのは、理由も何もなく、巻き込まれるようなものだ。そして普通の殺人事件は、怨恨であったり、金目の物を奪うなど、それなりの理由が存在する。しかし、彼らの無差別殺人には、そんな理由は存在しない。まるで降ったサイコロの目が、自分をさしていたから殺されたとでも言わんばかりのことなのだ。
――それこそ理不尽と言えるのではないか――
そう思うと、自分はそんな死に方だけは嫌だと思うのだ、
戦争中は死ぬことを怖いとも思わなかった人が、そう感じると、初めて死というものを意識したような気がして、ゾッとする。何しろ爆弾が降ってきて、逃げ回っていても意識しなかった死の恐怖である。あの時は、
――どうせ皆死ぬんだ――
という思いがあったから、死ぬことも怖くなかったのかも知れない。
それを、
「死に対して感覚がマヒしていた」
というのかも知れないが、あと二なって感じる別の死の恐怖は、決して死にたいして感覚がマヒすることのないものだった。
そういう意味で、少しでも自分たちに死の恐怖というものの意識を沁みこませた連中を生かしておくというのは、これ以上の不安や恐怖はないということを意味していたのだ。
彼らは長い裁判となったが、ほぼ全員の結審がついた。首領格の五名は死刑。そのほかの幹部は無期懲役。そして、個々の犯罪の実行犯お呼び首謀者たちは、懲役十年から十五年、妥当な裁定だったのではないだろうか。
彼らに対しての判決理由は、
「自分たちの勝手な理想のために、何の関係もない人の命を奪い、社会を恐怖のどん底に落とし込んだ罪は許されることのない大罪である。情状酌量の余地もまったくなく、よって極刑に処するのが妥当だと考える」
というものであり、検察も納得だった。
世間一般的には、
「これでも生ぬるい」
という意見もあったが、民主国家ということもあり、これ以上の判決は無理であろう。
さらに、彼らが起こした隠れ蓑とされる表向きの一般企業はそのまま残されることになった。
ただし、会社名の変更と、トップの総入れ替えはしょうがないとして、それでも潰されることなく、この世に残ったのである。
中には学術研究所のようなものもあり、それらは国立の研究所の付属として存続するものや、民間の製薬会社となったものもあった。
中にはよく分からない企業もあったが、そんな企業は類似企業に吸収される形で潰れはしないが、名目上はこの世から姿を消すことになった。
研究所などは、解放されて初めて分かったことだが、最先端の科学技術の粋が築かれていて、そこに残っている研究ノートからは、恐るべき内容が数々発見された。
だが、これは氷山の一角で、本当に研究していた内容は、すでに焼却されていて、そのほとんどが残っていない。それをほとんどの人たちは知らなかった。
だが、一部は天王寺博士のところに所蔵されることになったのを知っている人は、それこそ誰もいないだろう。
研究所が解放された時、解放した警察関係者や国家から派遣された学者はそれを見ると愕然となった。人体実験などに事情的に行われていて、集団殺戮もあったようだ。
「まるで、アウシュビッツのようだ」
と言った人がいたようだが、それよりもひどいかも知れない。
「七三一を想像した人が多いだろうが、実際には証拠としてはまったく残っていない。完全に破壊されたからだ。
ウワサでは、アメリカとの取引に使われたとも言われるが、あくまでもウワサでしかない。それを思うと、あの戦争は一体何だったのかと言いたくなる気持ちも分からなくもないだろう。
民間に払い下げられた研究所は、そこで製薬会社となったわけだが、そのバックで暗躍している姿があったことを誰も知らない。
製薬会社だけではなく、他にも民間に払い下げられた会社のいくつかに触手を伸ばしていた人もいたのだ。
そんな状態を知ってか知らずか、時代は進んでいく。次第にこのような国家転覆計画があったということもウワサとして残っているだけで、風化してしまうのではないかという懸念もあった。
犯罪人の結審がついてから約十年後、死刑囚たちは徐々に処刑されていった。死刑が確定して十年での処刑というのが早いのか遅いのか分からないが、死刑が確定してから、いや、求刑されてからずっと死刑囚たち誰からも、異議申し立てをする人はいなかった。
彼らはそれだけ潔かった。
やったことは社会を恐怖のどん底に叩き起こすような事件であったが、最後の潔さだけが彼らにとっても救いではなかっただろうか。
それはまるで、大日本帝国時代の軍人が、処刑されたり、玉砕などをする際に、
「天皇陛下万歳」
と言って、死んでいったのと酷似しているではないか。
彼らには、そういう軍人魂というか、大日本帝国魂のようなものが備わっていたということであろう。
再軍備も視野に入れての彼らの活動、しかし考えてみれば、最後の最後まで彼らの本当の目的はハッキリとしなかった。警察の取り調べで一人の刑事がやたらと彼らの真の目的について追及していたのが印象的だったが、一人だけで叫んでいてもどうなるものでもない。
彼の話として、
「彼らの本当の目的を知らなければ、もしまた同じような団体が出てきた時、今度こそ国家がなくなるかも知れない危機に陥る。その時のために今、この犯罪における本当の目的を知っておく必要があるのだ」
ということだった。