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意識の封印

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 女性構成の制服を見て、ムラムラするようになったのは、その時が最初だと思っていたが、果たしてそうだったのか。何しろ思春期の頃に感じたことや出来事というのは、自分で感じているよりも時系列的に曖昧な気がするのだった。
 中学時代の思い出というと、思春期に入ったというのが、一番大きかった。それ以外には何もなかったような気がする。
 高校生になって、一年生の間は、中学の延長のように思えた。心機一転、高校に入学すれば、それまでの自分のイメージを変えようといろいろ考えていたはずなのに、高校生になると、それをまったく考えていなかったかのように、すべてを忘れてしまっていた。
 だが、中学卒業時と高校二年生になる間くらいでは、制服少女に対してのイメージは次第に変わっていった。中学卒業頃くらいまでは、大人のお姉さんのイメージがあったが、高校二年生になれ、相手が三年生だとしても、幼く見えてしまうのは、自分が成長したと思い込んでいたことと、制服の少女を、
「永遠の少女」
 というイメージで考えていたからだろう。
 今から思い出してみると、
――そういえば、郵便局で直子を発見した時、最初はそれがすぐに誰だか分からなかったような気がするな――
 という思いがした。
――どこかで見たことがあったような――
 という思いはあったんpだが、それが誰だったのか、すぐにはハッキリとしなかったのだ。
 それを思うと、後からではあるが、直子が変わっていないと思ったことが最初から違っていたのか、それが疑問である。
 いや、確かに直子だという意識を持っていたはずなのに、どうしてすぐに気付かなかったのか、同じ顔だと思っていたはずなのにである。
――きっと制服姿に惑わされたのかも知れないな――
 と感じたが、その思いはほとんど正解で、一部違っていたのだろう。
 違っている部分があっても、態勢に大きく変化を与えない程度で、ほぼ正解だと言ってもいいかも知れないが、それを無視することのできない性格であるのが、竜馬という人間だった。
 竜馬は小学生の頃から、猜疑心の強いところがあった。元々内向的な性格だったので、暗い雰囲気が表に出てしまったことで、猜疑心の強さはさほど目立たなかった。小学生時代はそれでも問題にはならなかったが、中学に入ると、思春期に陥ることで、まわりが次第に自分のまわりに目ざとくなってくる。そんな中で竜馬の性格を、
「猜疑心が強い人」
 ということが分かってきた人もいたのではないだろうか。
 考えてみれば、小学生の頃、自分から直子との距離を持つようになったのも、この猜疑心の表れかも知れない。好きになった相手が自分の意識していないところで、雰囲気を変える。それは彼女が自分をまったく意識していないことの証明であるという意識を持っていたからなのかも知れない。
 大人が感じる猜疑心とは別格のものかも知れないが、小学生であれば、それくらいのことでも猜疑心と呼んでもいいのではないだろうか。人を疑うことを嫌うあまり、自分も疑うことができず、最後には自分を納得させることができない状況に陥ることが、一種の猜疑心の表れだというのは危険な発想ではないような気がする。
 小学生の頃、中途半端に思えた直子への思いは、中学に入り、思春期を迎えたことで、すぐに自分が異性に興味を持つということを無意識に拒否していたのではないかと思うと、竜馬は直子への思いがすでに切れていると思っていた。
 異性を意識すると、大人の女性をオンナとして意識しそうであるが、竜馬にはそれはなかった。さらに金髪の女性や外国人に対しても嫌悪が強く、黒髪の日本人しか意識することができなかった。
 異性に興味を抱いたと言っても、それは結構限定的な雰囲気に凝縮されているようで、竜馬の好きなタイプは自ずと限定されているようだった。
 かといって、確定した好みではなかった。
「お前はふぉんなタイプの女性が好きなんだ?」
 と言われても、限定的にどんなタイプということはできなかった。
「じゃあ、芸能人で言えば?」
 と聞かれても、ハッキリと答えられない。
 特に芸能人などには確かに自分の好きなタイプの女性はいなかった。消去法で考えれば、芸能人タイプは最初に排除されるのだが、だからと言って、好きなタイプを言及できるほどの相手がどこかにいるわけではなかった。
 ただ、好きなタイプと言われて思い起こすのは、小学生時代の直子だったのかというと、そんなことはない。自分の中で勝手に直子を成長させ、今の自分と同じ年齢になった直子を想像したものだ。
 しかし、それでも顔に関してはあどけなさがそのまま残った直子を想像しようと思うと、小学生の頃とまったく同じ顔の女の子を想像するしかできなかったのだ。
 ただ、直子の制服姿は想像できなかった。
――制服が似合う女の子であるのは間違いないはずなのに――
 というイメージを持っているのに、どうして想像できないのか、自分でもよく分かっていなかったのだ。
 友達の家で見せてもらったビデオや成人雑誌に出てきた制服の女の子は、制服を着ているだけというだけで、自分の好みとは少々違っていた。確かにアイドル顔負けの可愛い女の子であったことは否定できない。
 アダルト業界も、アイドルに負けない女優を抱えているということは聞いたことがあった。
「やっぱり、可愛い女の子でないと、アダルト業界も生き残ってこれなかっただろうからな」
 と悪友は言っていたが、まさにその通りだと思う。
 アダルト女優というのは、可愛いだけではなく、よく見ると顔のパーツは整った顔立ちをしていて、表情だけで相手を魅了する力があるようだった・しかし相手に自分の気持ちを見透かされないようにしようという意識も見え隠れしていて、そんな様子が印象的だった。
 中には印象に残っている女の子もいた。
 制服が実によく似合っていて、クラスに一人くらいはいるだろうという普通の女の子なのだが、竜馬には彼女の笑顔が忘れられなかった。
 その子は、直子とは似ても似つかないタイプで、見るからに正反対という雰囲気だった。存在自体が身体よりも大きなオーラを発しているようで、まるで後光が刺しているかのような雰囲気に、完全に魅了されたのだ。直子のように、存在を自ら打ち消し、気配を消そうとして石ころのようになっていた直子とは大違いである。
 方や平面の二次元なのに、存在感はオーラを保っていて、普通の人間が、自らの存在を打ち消しているような雰囲気に、大きな矛盾とジレンマをその時の竜馬は感じていたのかも知れない。
 直子という女の子は、制服によって芽生えを変えるようなことはなく、だから制服を想像することができなかった。しかしアダルトな女の子は、私服になると、
「きっと、すれ違っても、その子だと分からないのではないか」
 と思うに違いない。
 それだけ、制服によって輝いている女の子で、それは彼女自身が制服姿に劣っているわけではなく、制服を着ることで、さらに輝きを増すという、まるで限界に挑んでいるようなそんな雰囲気だったのだ。
作品名:意識の封印 作家名:森本晃次