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意識の封印

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 二十代には、仕事が楽しく、仕事ばかりをしていた。
「仕事をするのが三度の飯よりも好きだ」
 と言ってもいいくらいで、毎日の仕事に集中していると、あっという間に夕方になっている。
 仕事場は都会の真ん中にあるというわけではなく、近くには大きな公園もあるような中途半端な都会と言ってもいいだろうか。彼の会社は少々大きな雑居ビルの中にあり、西日が入ってくるのが少し気になるところだったが、西日を感じると、
「もうすぐ夕方なんだな」
 と思うことで、身体から急に脱力感を感じることがあるくらいだった。
 そんな時、竜馬は結構表に出ることが多く、残業に備えての休憩となるのだが、近くの公園に繰り出すことが多かった。
 表に出た時は、まだ少し風が吹いている。しかし、公園についた頃にはいつも風がなくなっていて、いわゆる
「夕凪の時間」
 になっているのだった。
 夕方表に出るのは恒例で、一年以上続いていたのだが、冬の時期であっても夏の時期であっても、風が吹く時間、夕凪の時間とそれぞれ、同じであったのは不思議で仕方がなかった。
 公園につくと風がとたんにやんでしまうので、急に汗が噴き出してくるのだが、ゆっくり座って、汗を拭いていると、身体から灰汁が出てくるかのように、それまで身体に重たさを感じていたとしても、すぐに身体が軽くなる。思わず、
「宙に浮いてしまうのではないか」
 と思うほどで、公園を散歩している人を眺める気分的な余裕があるほどだった。
 夕凪の時間というと、何か臭いを感じる。決していい臭いではないのだが、最初は何の臭いなのか分からなかった。
「アルコールのような臭いかな?」
 と思ったが、どうも違っていた。
 よくよく考えると懐かしさがあり、脱力感もあった。あれは、小学生の頃に見た光景だったように思うのだが、確か小学校から帰宅途中に、中くらいの河川があり、その向こうに少々大きな町工場があった。煙突があり、たまに黒煙を噴き出しているのを見た記憶があるが、そんな時に感じた臭いを思い出した。
「タールの臭いなのかな?」
 と思わせた。
 小学生の頃の帰宅時間だったので、夕方に近かったはず。河川敷から工場を見ると、工場の向こうに太陽を見ることができる。当然西日なので、煙突の向こう側に沈んでいくのが見えていた。
 小学生だったのに、それがよくタールの臭いだと分かったというのは、クラスメイトがあの臭いをタールだと言っていたのを聞いたからだ。それが本当のことなのかハッキリとは分からなかったが、それをまったく疑うことなく信じてしまったということは、竜馬は人のいうことを信じてしまうという性格だったことを示していた。
 タールの臭いを思い出しながら佇んでいたが、公園の向こう側にある大きな木の先に沈んでいく西日を見ていると、その気が煙突を思い出させるのだった。
 小学生の頃に感じた川面に写った太陽が、綺麗に写っていた。それだけ本当に風が吹いていなかったという証拠なのだろうが、公園で見る木は気分的に揺れていた。じっとしているのを感じたことがなかったので、本当に風が停止していたのかどうか、思い出してみたが自信がない。
「夕凪の時間というと、逢魔が時と言われる時間帯で、魔物が一番現れやすいと言われている時間でもある」
 という話を聞いたのは、この頃だっただろうか。
 ある日、一人の老人に話しかけられたことがあった。その人がいうのは、
「自分は占い師だったが、すでに引退して、最近はよくこの公園に来ている」
 ということであった。
 しかし、竜馬はそんな老人を見た記憶がない。いつもすれ違っていたのか、それとも眼中にないほど、普段のこの人は気配を消しているのだろうか。
 老人は、竜馬に対して、
「あなたを見ていると、占ってみたくなるんですよ」
 と言われた。
「別にいいですよ」
 と言ったので、無理強いはしなかったが、占ってもらうことの気持ち悪さよりも、自分を占いたいと思うことの方が気持ち悪かったからだった。
 だが、その時占ってもらわなかったことを後悔した。その人が公園から出ていく時の雰囲気が想像を絶していたからだ。
 公園を出ていく時に後ろ姿を見ていると、どこか違和感があった。
――何に違和感を持ったのだろう?
 と思ったが、その人が薄く見えてきたことからだった。
 確かに太陽に向かって歩いているので目の錯覚として後光が刺していることから、実際の背景が薄くなってしまうのは仕方のないことのように思えたのだが、それ以上に何か薄く感じさせる気配が漂っている。
 薄いと考えたのだから、すぐにその理由も分かりそうなものだったが、やはり、
「そんなことはない」
 という潜在意識が頭の中にあったからだろう。
「影がない」
 思わず声に出して言ってしまったのではないだろうか。
 こちらに向かって日が刺しているので、こちらに影があってしかるべきである。その影がまったくないことで、地表とのバランスが崩れたことで、余計に薄いイメージに感じられた。
「影が薄い」
 という言葉を聞くと、
「死相が出ている」
 というイメージになるのだが、足の先から根っこが生えているように見えることで、
「人間というのは、身体と地表とが一体になって初めて存在感を見ることができるのではないか」
 と思うのだった。
 その占い師とは、結局その後出会うことはなかった。ひょっとするといたのかも知れないが、竜馬は覚えていない。
 それは竜馬が人の顔を覚えるのが苦手だということだけではない。本当に会っていても、顔を覚えていたとしても、実際に会ったことがある人だという認識ができないのだ。
 占ってほしいというよりも、もう一度会ってみたいと思ったのは、やはり最後に見た時の影の薄さを感じたからだ。
「すでにこの世の人でなかったらどうしよう」
 という思いに駆られたからだ。
 しかも、その人の生殺与奪を最後に握ったのが自分ではないかという大それたことすら考えた。人の運命を自分が握っているなど、誇大妄想も甚だしい。
「誰かが誰かの運命を握っている」
 と考えるのも無理なことではないと思ったのは、その人が自分を占い師だと言ったからだった。
――本当に僕を占ってみたいと思ったのだろうか?
 きっと断られることは最初から分かっていただろう。
 そうでもなかったら、あんなにすぐに前言撤回はしないだろう。そう思うと竜馬にとって誰かと関わる必要はないようにも思えた。
 あの人に竜馬がどのように写ったのか、想像してみたい。そもそも占い師というのが何をするものなのかよく分かっていない。易者であったり、トランプ占いであったり、砂占いや水晶占いなどいろいろあるが、彼はどの占いだったのだろう。
 占いの種類によって、何を占うか、あるいは、占いごとに得手不得手があるのかも知れない。
 基本的には易者をイメージしてしまうが、まず都会の路地裏に席を構えて、うす暗い灯篭のような明かりがあり、座っているのは老人である。まるで千利休を思わせる帽子を被っていてテーブルの上にはまるでおみくじを引く時に使うような竹ひごが、円筒形の入れ物に入っている。さらに定番の虫眼鏡を手にして、手相を見ることから始まるというイメージであった。
作品名:意識の封印 作家名:森本晃次