意識の封印
ひょっとすると、他にもたくさん人の顔を覚えることができなくなった理由は存在しているのかも知れない。いくつもの思いが連鎖して覚えられないことの原因になったと思えるからだ。
だとすると、そのほとんどは直子に絡むことではないかと思う。そう思う自分が怖く感じ、直人という女性の存在に、そして、制服というものの魔力に、自分の性格を形成されているのではないかと思うと、怖くなったとしても、それは無理もないことのように思おのだった。
抱える矛盾
大学に入ると、制服を絶えず見ることはなくなり、通学電車の中で見たり、道を歩いているのを見るくらいになった。高校時代までのように一人でいる女の子を見ることは珍しくなり、電車の中でも街中でも、ほとんどの女の子はタムロしているところしか見ることがなかったような気がする。
もちろん、一人で歩いている子もいたが、高校時代までのように、一人でいる女の子を気にすることはなくなった。
――気にしてはいけない――
と思うからであったが、それが直子を見ているように感じてしまう自分の感覚への反動のようであることを、竜馬には分からなかった。
高校時代までとは明らかに違う竜馬だったが、大学に入ったらまず、たくさん友達を作ろうと思っていたが、それは叶わなかった。
「友達を作ろう」
と思っていただけだったのが原因なのかも知れない。
「友達がほしい」
と思った方が友達はできたのではないかと思うのだが、それは、自分から気持ちを発信させた方が、まわりもその気持ちを察してくれて、相手から話しかけてくれたりするものではないかと思うからだった。
しかし、友達を作ろうという自分だけの意志であれば、まわりはそのことに対して気付いてくれるかどうか難しいところである。
竜馬も、友達になれそうな人がいるにはいたが、自分から声を掛けることができないでいた。
それはきっと、高校時代に直子に声を掛けられなかったことがトラウマとなってしまって、大学に入ってからであっても、誰に対しても声を掛ける勇気が出なかったからなのかも知れない。
そしてもう一つ、これがある意味致命的なことだと思っているのだが、
「人の顔を覚えられない」
ということが大きく影響していると思っている。
人の顔を覚えられないので、覚えるまでには、何度となく顔を合わせなければいけない。最低でも四、五回はその人と会って、会話をしなければ覚えられないに違いない。自分でそう思い込んでしまっている以上、なかなかそれを打破することは難しかった。
大学に入ってから、すぐの頃は相手から話しかけてくれる人もいて、友達になれるかも知れないと思った人がいたが、せっかく声を掛けてもらったのに、次回からは相手から話しかけてもらわなければ、こちらから話しかけることができないことで、一度くらいは二度目はあっても、それ以上はなかった。そのうちにこちらから話しかけることのできない竜馬と友達になろうという人は現れず、ずっと一人でいる生活ができてしまった。
大学の授業を受けても、まわりは楽しそうに話をしている連中が多く、一人で講義を受けていても、どうも味気ない。高校時代までであれば、これが普通だったのに、今では違ってしまったことを実感しながら、
――何のために大学に入ったんだ――
という思いに駆られている自分が惨めな気がした。
まるで高校時代の延長のようで、授業を受けていること自体が惨めに思えてくる。
高校時代に同じように暗かった人が同じ大学に入ったのだが、彼はまるで別人のように生き生きしていた。
――本当はあれが自分の目標とした大学生活だったのに――
と地団駄を踏んだが、仕方のないことであった。
大学に入って数か月、まわりを恨めしく思っている自分が、無為に時間を過ごしているという意識はなかった。ただ、羨ましいという気持ちが強く、時間の経過を無為だとは思えず、いや、そう思うことを自らで否定していたような気がする。
その証拠に、
「もし、無為に過ごしているという意識があったのであれば、もう少しこの状況を、どう打開すればいいかというのを考えようとするのではないか」
と思ったからだ。
つまりは、その場から一歩でも動くということが怖いという意識を持っていたのかも知れない。
少しでも動こうと思うのであれば、少しは無為であることに気付きそうなものだが、それはなかった。
そう思うことを怖いと思っていたとすれば、それが竜馬にとって前に進むことを自分から拒否していた証拠なのかも知れない。
竜馬は意気地がないという自分を分かっていたはずなのに、それを認めるのが怖かった。その思いが、高校時代に直子に話しかけることができなかった自分とまったく変わっていないことを示していた。
「大学に入れば、少しは変わるだろう」
などという他力本願のような考え方が、どこまで自分を閉塞していることになるのか分かっていなかったわけではなく、分かっているからこそ、罪は深かったのかも知れない。
――あの時、直子に話しかけていれば――
という思いは強かった。
ひょっとすると、嫌われるかも知れない。いや、元々好きも嫌いもなかったはずなのに、それを嫌われると思うのは、小学生の頃の気持ちを直子がまだ持ち続けているかも知れないという願望だったのだろうか。
もしそれが願望ではなく、思い込みであったとすれば、これも罪の深いことである。
この罪深さが竜馬にトラウマを与え、大学に入っても、悶々とした毎日を送らなければいけない原因になってしまっているのではないかと思うと、自業自得だとはいえ、
「時間を戻せるものなら」
とも思ったりした。
しかし、時間を戻すとしたらどこに戻すというのか。
高校時代のアルバイトで出会ったあの時に戻すのか、それともすべての元凶となってしまった小学校三年生の直子を見限ってしまったあの時に戻すというのか、それによって、まったく違った自分が、そこで作られるのではないかと思った。
それは、今の自分との違いというだけではない。
小学生の頃の自分と、高校生になってからお自分、その二つでも結構大きく違っているのだと思った。
思い返してみれば、大学生になってから考える小学生の頃の自分と、高校生の頃の自分とでは、そんなに違ってしまったように思えない。
どちらも同じ自分であるという意識があるからなのか、それとも遠くから見ると、結構近くに感じるからなのだろうか。
同じ距離であっても、角度によってだったり、同じ角度からでも距離によって、その二つを見ると、その距離に大きな違いが生まれることは何となく分かっている。普段から意識しているわけではなくとも意識の中にあることで、ふとしたことを考えた時、その思いがすぐによみがえってくることに繋がっている。
それは潜在意識という言葉で表させるのではないかと竜馬は思うのだった。
中学生を飛び越して、小学生からいきなり高校生になったような気がしたのは。直子の顔を見て最初は思い出せなかったのが、急に、
「まるで昨日のことのようだ」
と、直子の顔が瞼の裏に残っているのを感じたからだった。