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意識の封印

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 まずは、物忘れの激しいことと、整理整頓おできないことだった。
 物忘れの激しいことは、学校から帰ってきて、よく親から筆箱の中のペンシルなどを確認されたことがあったが、一本でもなかったら、学校まで鳥に生かされたほどだった。どんなに惨めな思いで、泣きながら学校まで戻ったことか、その時の心境は、今思い出してもわなわなと震えが来るほどだった。
 忘れ物をしているという意識がない。そもそもモノを大切にするという意識が欠如しているのだろう。親はそれを分かっていて、欠如していることを息子がわざと忘れているのではないかと思っているのかも知れない。いわゆる確信犯だと思っているのだとすると、それは母親が一番毛嫌いしていることだろう。なぜそれが分かるのかというと、竜馬自身が確信犯を一番嫌いで、その思いがお互いに伝わっていることから、親は余計に確信犯だと睨んだのかも知れない。
 しかし、竜馬は神に誓って、決してそんな自分が嫌がることをするはずがない。確信犯など竜馬に限ってありえないと、どうして親は思ってくれないのかと感じたものだ。
 学校に取りに行かされるのも、学校までの道が嫌なわけではない。確信犯でもないのに、確信犯として忘れ物を取りに生かされることに苛立っているのだ。だから余計に惨めで、逆らうことのできない自分が情けないと思っていた。
 忘れ物を取りに行って帰ってきてからの母親は、何も口をきいてくれない。取りに行くのが当たり前だとでも思っているのか、その当たり前のことをしたのであれば、別に何も言うことはないと思っているのではないだろうか。
 さらに忘れ物というと、モノだけに限らず、出来事や依頼されていることにも及んでいる。特に小滑降の四年生くらいの頃は、なぜか宿題が出ていることを忘れてやっていかなかったりした。
「どうしてやってこないんだ?」
 と先生に言われても、その理由をハッキリと口にすることができない。
「宿題が出ていること自体忘れていたんですよ」
 と言ったとしても、言い訳にならない言い訳をしているようにしか思われないだろう。そう思うと言い訳などできるものではなかった。
 前の日に宿題が出されたということをいつまで覚えているのだろう? 学校を出る時くらいまでは覚えているような気はしていたが、そうなろと家に帰ってしまった後のどこで忘れてしまうのか、場所が変われば忘れてしまうということなのか、自分でもその頃は分からなかった。
 だが、シチュエーションが変わってしまうと、忘れてしまうという印象を大学時代に感じた。その感覚は自分だけではなく、他の人にも同じことが言えるということを知った時、目からウロコが落ちた気がした。
 大学時代には、ほぼもの忘れをしなくなっていた。人から言われたことを簡単に忘れることもなかったし、約束をたがえることもなかった。小学生のことに宿題をどうして忘れていたのかというのは、今でも疑問なのだが、宿題が嫌だったわけではないからである。嫌だと思うことを忘れたいという意識は誰にでもあり、忘れる原因の一つとなることは想像がつくが、忘れてしまうのとでは曽越違うような気がした、
 小学生の頃は宿題だけではなく、人との約束もたがえてしまうことが少なからずあった。今から思えば、親から受けた、
「忘れ物を学校まで取りに行かされる」
 という屈辱的な行為が逆に作用して、自分で拒否反応を起こしているのかも知れない。
 屈辱的なことは、自分のうっかりから始まっているので、悪いのは間違いなく自分だ。しかし、それを理由に子供に屈辱的な思いをさせることで、戒めになると思っている親の考えの間違いを分かっていて、せめてもの抵抗意識から、余計に物忘れが激しくなったのかも知れない。
 宿題をしていかないということをどうして選んだのか、それは自分でも分からなかったが、少なくとも親に対しての反抗心が招いたことであることに違いはないような気がする。
 宿題をしていかないと、いきなり親が困るということにはならないだろう。しかし、回りまわって親にその責任が行くということを無意識に分かっていたということなのだろうか。自分の中ではその間に何ら気結び付くものはなく、
「覚えていなければいけないこと」
 という意味での優先順位で、宿題をしないことが選ばれたのかも知れない。
 しかし、実際本当に覚えていないということを誰かに対する嫌がらせのように感じるまでは、
――どうして覚えられないのだろう?
 と真剣に思ったものだ。
 その証拠がいつ忘れてしまっているかということを考えた時、自分でその意識がないことだった。実際に宿題が出たということをメモに書いておいたこともあったが、肝心のそのメモを見なければ、いくら書いても一緒だった。メモを見るというくせをつけない限り、自分がどこで忘れてしまうのかすら分からず、宿題をやっていかないという一つの問題を解決することはできない。
 つまりは段階があるということだ。
 いつ忘れてしまうのかということ、忘れる場所によって、いかに忘れないようにすればいいかを考える。メモを取っておけばいいと考えたりもしたが、メモを見ないのであれば、同じこと。だったら、メモを見るくせをつける必要はある、などなど。
 一つの問題を解決しようと思うと、いくつもの段階を解決させる必要がある。それを人は無意識のうちにこなせているのだろう。
「大人になるというのは、そういうことなんだろうか?」
 と思うようになった。
 竜馬は直子と再会して直子のことを思い出した。
 ということは、それまで忘れていたということになる。その忘却というのは、小学生の頃に宿題を忘れていたという忘却とはまったく質の違うもののように思えた。
 直子は竜馬と会っても、何ら反応を示さなかった。そこにも竜馬はいろいろ考えさせられるところがあった。
――僕のことを本当に覚えていないのだろうか?
 直子に比べれば、竜馬はあの頃に比べて明らかに変わっている。
 少なくとも眼鏡を書けるようになって、
「お前、イメージが変わったな」
 と言われたくらいであり、相当の間会っていなかった相手であれば、余計に分からないのも当然というものだ。
 しかも途中で思春期が入っているので、子供が大人に変わる瞬間をリアルで見ていなかったので、変化も大きく感じることだろう。
 竜馬の方でも直子に対して制服を着ているからなのかも知れないが、変わっていないと思いながらも最初すぐには分からなかったくらいである。それを思うと竜馬は直子にとって、
「一度は離れてしまった相手」
 という意識が過大に残っていることで、余計な思いが募っているのだろう。
 直子に対して忘れていたことを次第に思い出してくると、実際に思い出している内容はどんどん膨らんできて、時系列を整理して、次第に記憶が繋がっていくのを感じた。
――そうか、覚えられないのは、時系列で記憶が繋がっていないからではないだろうか――
 と感じるようになった。 宿題をしなければいけないということも、時系列もさることながら、宿題が出た過程において、覚えておかなければならないことを整理できていないから、忘れるのではないだろうか。
作品名:意識の封印 作家名:森本晃次