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点と点を結ぶ線

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 話をする時は、里穂の目を見ながら熱く語ってくれてはいたが、時々悦に入るというべきか、そうなった時は自分の世界を作って、勝手にその世界に入り込んでしまうことがあったからだ。
 最初はそんな彼を、
――私とは合わない――
 と決めつけていたが、急に我に返って、里穂の目をまた熱く見るのである、
 その視線は里穂にとってドキッとさせられるものであった。その正体が何であるか最初はまったく分からなかった。なぜなら、里穂という女性は、物事をまっすぐに見る傾向があり、悪くいうと、
「融通の利かないところがある」
 と言われても仕方のない性格だったからだ。
 そんな里穂は佐川を見て、
――この人も、まっすぐに前を見る性格なんだわ――
 と感じると、自分も彼の視線のその先に何があるのかを確かめたくなっているのを感じた。
 まっすぐに自分を見ている時だけではなく、何かに思い耽っている瞬間が、知り合った頃に比べれば、少し増えてきた気がした。
 今までであれば、
――なんて失礼な人なのかしら? こっちはちゃんと直視して見ているのに、急に思い耽るなんて――
 と思ったに違いない。
 だが、いつの間にか、里穂は彼に対して、ポジティブに見るようになっていたようで、
――この人が思い耽る時間を増やしたということは、それだけ私に対して安心感を持ってくれているからじゃないかしら?
 と感じるようになった。
 相手が気の許せない相手だったら、四六時中、気を張っていなければいけない。本来であれば、少しでも気の休まる時間を与えてくれる人と会話をしたいと思うのは、人間の本能のようなものだと感じた。
――少なくとも、私だったら、そう感じるわ――
 と思っていた。
 しかも、佐川の会話には、今まで知らなかった独特のムードがあり、それがどこから来るのか最初は分からなかった。
――そうだわ。これが大人の雰囲気なのかも知れない――
 相手を思いやることで、相手に気を遣わせないというテクニックは、高等なものだと思っていた。
 大人が持っている雰囲気そのもので、小さい頃、親に感じた思いがそのまま伝わってくるような懐かしさがあったのだ。
 難しい言い方になってしまったが、里穂は、元々人に気を遣ったり、遣わせたりという考えが嫌いだった。
 子供の頃、親と一緒に行ったレストランで、おばさん連中三人くらいのグループだったが、レジの前で、
「今日は私が払います」
「いや、何言うの。今日は私が」
 などと、里穂からすれば、どうでもいいような言い争いにもなっていない会話が聞こえてきた。
 それは、誰も自分からお金なんか払いたくないはずなのに、どうしてそこまで必死になってお金を払おうとするのかという疑問から始まって、次第に会話を聞いていて、息苦しさを感じるほど、いやらしく思えてきたのだ。それが白々しさからであり、これこそ大人の世界だなどと思いたくない自分との葛藤から、そんな思いにさせたおばさん連中に憎しみすら感じるほどになっていた。
 素直にまっすぐに前を見る性格が災いしてか、人の行動をそのまま解釈し、自分の喜怒哀楽に結び付けてしまうところがあった。そのせいもあってか、人の行動から感じる自らの感情が、喜怒哀楽のうち、「怒」の部分が一番大きくなっていると自分で思っていた。
 しかし、考えてみると、本当に一番大きいのは「哀」の部分であるということに気付かせてくれたのが、佐川だった。
 佐川は、どちらかというと、
「上から目線」
 のところがある。
 今までの里穂だったら、相手に上から目線を感じれば、思わず反発心を強め、そこから警戒心が溢れ出てきて、自ら相手を避けるようなところがあった。本当は反発心なのだから、相手をにらみつけて怒りを面に出すべきなのだろうが、それができないでいた。
 なぜできないのか、そもそも反発心が対抗心となり、相手に伝わるものだと思っていたのが、自分には対抗心が欠如しているということを自覚していたので、その思いが相手に伝わることはなかった。そのかわり、警戒心が溢れ出て、相手と一線を画すことになるのだが、その方法が相手を避けるということになり、その時点で、
「交わることのない平行線」
 が成立してしまい、理解に至ることは永遠になくなってしまうのだった。
 だが、佐川に対しては同じ上から目線だと思いながらも、
――どこか違う――
 と感じていた。
 それのどこが違うのか、それが分かったのは、彼の視線に、懐かしさを感じたからだった。
 その懐かしさは、ほのかな香りを伴うものだった。何の香りなのか分かってはいないが、――香りが懐かしさを誘発してくれる――
 ということが分かった時点で、里穂はそれが、
――子供の頃に感じたという懐かしさだ――
 ということが分かった。
 それは親に感じた思いからだろうか?
 いや、親ではない。もし親だったとすれば、懐かしいと思った時点で、すぐに親を連想し、連想がそのまま懐かしさに結び付くことで、ここまで考えを巡らせてしまうとは思ってもいなかった。
 佐川へ感じた懐かしさは、誰だったのか、顔が思い出せない。確かに子供の頃に知っていた人を思い起こさせるのだが、顔がまったく思い出せない。思い出そうとすると、その先に光があって、顔が逆光になっているため、
「真っ黒なのっぺらぼう」
 を連想させてしまうのだった。
 それでも、その人が微笑んでいるのは分かる。笑顔にもいくつかの種類があるが、その種類の中でも微笑んでいる笑顔なのだ。含み笑いなどでは決してないその笑顔に懐かしさがあり、香りがほのかに漂っているのが、今でも思い出せるのだった。
――いや、今だから思い出せるのかも知れない――
 今までに真っ黒なのっぺらぼうなど、思い出したことがないはずなのに、そんなに昔に見たという思いではないのはなぜなのだろうか?
 確かに、記憶というのは曖昧なもので、昨夜見たことであるはずなのに、かなり前に見たと思う記憶、逆に、かなり前に見たはずの記憶を、まるで昨日見たかのように思い出す記憶、さまざまである。
 しかも、その記憶のメカニズムに共通点はないのだ。
 印象に深いことほど、最近のことのように思うのであれば、それを共通点として記憶というものがどういうものなのか、素人にも考えがつくというものだが、どうやらそうではないようだ。
 それを思うと、
「記憶というのは、素人では解明してはいけない領域のようなものがあるのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか。
 佐川の顔を見ていて懐かしく感じたことで、短い間にここまで発想できるというのもおかしなものだ。
 子供の頃だという記憶、覗き込んでくるというシチュエーション、逆光になっているので、真っ黒いのっぺらぼうになっているという感覚、そして、記憶というものが曖昧なものだという認識、そのすべてを、佐川という男が上から目線で見ているという思いを抱いたことによって、思い出した(?)ことであった。
 そんな彼の、
「上から目線」
 というものを、里穂は懐かしさから、
――彼の包容力――
 のようなものだと理解した。
 同い年ではあるが、年上のような感覚が、彼を安心感で包んでいるように感じるのであった。
作品名:点と点を結ぶ線 作家名:森本晃次