点と点を結ぶ線
実際に川上は苦言を呈してはいるが、その内容は細かいところが多く、大筋ではしっかりと認めている。文句を言われていると思ってしまうと、どうしても内容が詳細部分に偏ってしまっていることで、
「まるで重箱の隅をつつくような言い方」
と思ってしまって、皮肉にしか聞こえなくなる。
特に自分の作品にこだわりを持って作っている脚本家には、詳細なことをいちいち文句をつけられると、皮肉にしか捉えられなくなるのも仕方のないことだろう。
本当は、里穂にも分かっていることであった。だが、細かいことをチクチク言われるのは、まるで「継子苛め」のようで、いちいち癇に障ってしまう。それが癪だったのだ。
だが、それを堪えながら、なるべく監督の意見に沿うような作品を心がけて改編していくと、
「うん、これならいい。断然よくなったよ」
と言って、今度は褒めちぎってくれる。
最初の癪に障った気持ちはどこへやら、次第に有頂天になってきて、自分でもアイデアがどんどん生まれてくるのを感じた。
これが川上の狙いでもあった。最初に苦言を呈することで、一度自分やまわりに対して疑問を吐き出させ、そしてそれでもいい作品を作ろうとすることで、一皮剥けるまでのステップアップが整ってきた。
そして、出してきた作品が川上の想像したような、いや想像以上のものとして出来上がってくると、もう手放しで褒めたたえる。そうすることで、さらなる自信をつけさせることができ、彼女のような素直な性格の人間には、一皮剥けたということを意識させることで、それまで浮かんできてもおかしくない頭を持っているはずの彼女を、覚醒させることができると信じていたのだ。
実際に覚醒してみると彼女は本当に一皮剥けたかのように堂々として見えた。川上はその様子を冷静に判断して、彼女の作品を演じる人たちにも納得させることができると感じたのだ。
ただ、問題は川上自身が、まだ監督の経験がないということだった。佐川を見ていて自分なりに勉強をし、そしてある程度の自信を持つことができたことで、やってみたいと思うようになった。
彼は元々の俳優ではない。監督を目指すために俳優を演じていたのだと、豪語もしている。中にはそんな川上に対して、
「俳優というのをバカにしてるんじゃないかしら?」
という、演者もいたが、それは一部の意見で、
「俳優出身者が監督や脚本で成功してくれれば、俺たちにも俳優以外にも何かができるということだよな」
と言って、自分の可能性が膨れてくることを素直に喜んでいる人もいた。
確かに世間では、俳優から映画監督になったり、本を出してベストセラーや有名な文学賞を受賞する人もいる。一般の人に比べれば、元々の感性が強いということなのかも知れないが、川上はその元を、好奇心だと思っている。
すべては好奇心から始まる。何かに興味を持たないと、どんなに好きなことであっても、それはただの趣味で終わってしまう。別に趣味で終わってしまっていいものであればそれでいいのだが、そうでなければ、必ず好奇心が最初に来るはずだった。
「興味を持たなければ何かをしていても、それは『やらされている』ということだけにしかならない」
という思いである。
脚本の着想は、元々川上にあった。川上と話をして、
「俺はこんな話がいいんだけどな」
と言って、アイデアを出させて、そこで起承転結が生まれる。そこから登場人物の人選になるのだが、ここまでくると、小説におけるプロットであった。
雑誌社と契約をしているプロの小説家は、編集の人とプロットを一緒に考える人もいる。もちろん、自分だけで考えて編集に見てもらう人もいるだろうが、最終的にプロットを見て出版できるかどうかの判断をするのは、出版社側である。
小説で言えばプロットであるが、マンガで言えば、ネームと呼ばれるものであろう。どちらにしても、完成作品に対しての設計図と言えるもので、物語の概要や、登場人物の選定、そこまでをプロットというのだろう。
ただ、最初はやはり作家から始まるのではないだろうか。小説のジャンル、そしてコンセプト、つまり何が言いたいかということ。そして、書き方として、一人称なのか、三人称なのかも重要になってくる。そのあたりをまず作家が提案し、そこから詳細のプロットに入っていくのだろう。
シナリオにしてもそうである。ただ、作家のように、作家の表した文章がすべてを表現するものではなく、シナリオには制限がある。シナリオに忠実に演技するための演者がいて、そしてすべてを取りまとめる監督がいる。場面場面をシナリオライターが設定するのだが、そこに感情が移入されていては、今度は演者の行動が制限されてしまう。そういう意味でドラマを作るためにはたくさんの人が関わっていて、それぞれに気を遣わなければいけないものであることは間違いのないことだ。
実は里穂は中学生の頃、小説を書いていたことがあった。その頃に流行った恋愛小説に嵌って読んだことが原因だったのだが、小説を読みながら、
――私、想像力が豊かになってきたのかも知れないわ――
と思うようになった。
本を読むことがただの趣味だったが、それがいつの間にか自分のトレンドとなっていった。
トレンドと言っても、
「一日にこれだけ読む」
という発想が、まるで新しいものを作っていくという発想に似ていることに気が付いたのだ。
その頃の自分のトレンドは、
「毎日コツコツ」
という発想だった。
「毎日、最低三十ページは読んで、それ以上読むことも別に構わない」
という課題を自分に課していた。
目標という言葉とすぐに結びつかなかったのは、小学生の頃の夏休みなどで絵日記などのように毎日書かなければいけないものを、完全に押し付けだと覆っていたからだった。
もし、休みを五十日だったとして、一日書かなければ、一日分の二パーセントだけが書けなかったということで、達成率にすれば、九八パーセントだったということになる。
だが、里穂の考え方として、たった一日でも書けなかったのなら達成できていないわけなので、本当はゼロパーセントということになるだろう。だが、さすがにそれは他に実績もあるので、ゼロにはできないという思いから、中を取って、
「五十パーセントだ」
ということで自分を納得させていた。
つまり、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
ということわざがあるが、まさにその通りである。
昔の中国に「西遊記」という話があり、そこで主人公の孫悟空と、お釈迦様の会話の中で、
「俺は、雲に乗れば数千里だって、あっという間に行くことができる」
と言って嘯いて見せたのを、お釈迦様は、
「では、ここからどれだけ遠くまで行けるか、試してみればいい」
といい、孫悟空を送り出した。
孫悟空は、五本の大きな塔が立っているところまでくると、そこを「世界の果て」だと思い、記念に自分のサインをした。そして、今来たところを急いでお釈迦様のところに戻り、
「俺は今世界の果てまで飛んで行ってきたんだ」
というと、
「ほう、それはどんなところなのだ?」
というお釈迦様に対し、