点と点を結ぶ線
――苛めに遭っているのは私なのよ。それなのに、親だったら、もう少し違った態度を取るでしょうに――
と感じた。
必要以上に庇ってくれる必要はないが、母親が子供を情けないと思う理由が分からない。何が言いたいのか、まったく見当もつかなったのだ。
その後、父親から、事実関係などをいろいろ聞かれて正直に話をしたということは覚えているが、細かいところまでは覚えていない。母親の、
「情けない」
という言葉で里穂の気持ちは萎えてしまったのか、記憶しようとする気力がなくなってしまっていたのかも知れない。
その翌日からだった。
学校の授業が終わってから、校門を出ると、母親がそこに待っていた。
登校の時は集団登校なのだが、下校の時は皆バラバラで家に帰る。学校が終わる時間を見越して母親が校門のところで待っているのを見て、
――なんで?
と思った。
偶然立ち寄っただけには思えない。まったくの無表情の母親は、何も喋らず、里穂も何も言わずに母親の前を通り過ぎると、やはり無言で里穂の後をついてきた。
――ひょっとすると、母親が迎えにくることで、苛めっ子に苛めをやめてもらうように無言の圧力をかけているつもりなのかしら?
と思った。
それにしても、無表情で何も言わない母親が何を考えているのか分からないだけに恐ろしかった。苛めっ子からの苛めよりも、母親の様子の方が気持ち悪かった。
確かに苛めがなければ、こんな母親を見ることもなかったと言えるので、苛めに対してさらなる憤りを感じたのも事実だが、遅かれ早かれ、どこかでこんな母親を見ることになるのだと思うと、母親の本性を見てしまったことに憤りだけではなく、もう少し違った感覚があった。
――今のうちに感じることができて、よかったと思えばいいのかしら?
と思ったが、そんなことはないと思えて仕方がなかった。
本当であれば、もっと両親と仲睦まじく生活できたかも知れないのに、知ってしまったことで埋めることのできない溝ができてしまったと思うと、両親に対して何の希望も持ってはいけないと感じるようになってきた。
何よりも、毎日のように校門の前で待っている母親は、まるで何かへの当てつけのように見えて、それが、
「情けない」
と言われる自分に対しての思いであることを呪う気持ちになっていた。
苛めっ子のことを思い出すよりも、まず母親の自分に対しての、
「情けない」
と言ったその瞬間のことがまず一番最初に思い出されるのが、思い出という記憶の嫌なところだった。
高田が親から厳しく育てられたという話を聞いた時、
――この人は、私が子供の頃に親に言われた言葉に近いことを察したのかも知れない――
と思った。
彼が感じている自分の親に対しての気持ちが、里穂の親に対しての思いと同じようなものなのか、それとも違うものなのか、ハッキリとは分からない。だが、分からないだけに、知りたいという気持ちも大きく、親というものを他の人がどう感じているのか、今までにないほど、里穂は知りたいと思うのだった。
高田が最初から親のことを口にしたということは、それだけ親に対して何か強い思いを抱いているに違いない。
基本的に大人になればなるほど、自分の親のことは話したくないというのが、普通の考え方ではないかと思う。
親のことを話すと、
「まだ親離れしていない」
だったり、
「親へのコンプレックスが強くて、自分というものをしっかりと持っていないのではないか」
と思われるに違いないからだ。
里穂は自分が経験者だけに、その思いが強い。ただ、自分が感じた親への思いと同じような経験をした人はそれほどいないと思っていたが、高田を見ている限り、高田に限ったことではないが、
――意外と少なくはないのかも知れない――
と感じるのだった。
「高田さんは親にどんなイメージを持っているの?」
「そうだね、恐怖かな?」
「恐怖?」
「圧迫される恐怖というところかな?」
それを聞いた時、里穂が自分の親に感じている感覚と、若干開きがあるように思えた。
「苛められていたという感じ?」
「うん、虐待とまではいかないけど、僕を見ているとイライラするんだって」
という高田の言葉に、里穂はドキッとした。
それは自分を苛めていたクラスメイトが言っていた言葉そのものではないか。それを親から言われるというのはどういう気分なのだろうか。
「学校ではどうだったの?」
と聞くと、少しうな垂れた様子で、
「学校でも苛めに遭っていたさ。家で迫害され、学校でも苛められていたのさ。よく今まで生きてこれたと自分でも思うよ」
彼の話を聞いて、苛めについては自分でも少しは分かっているつもりでいる里穂だけに、彼のいう、
「よく今まで生きてこれた」
というセリフの重みは、誰よりも分かっているような気がしていた。
そのセリフについて、自分が何かを答えようとは思わなかった。彼が何かの返事を望んでいるとは思えないし、自分でも何と言っていいのか分からないからだ。
だが、何かを言ってあげなければいけないような気がしていた。これほどムズムズした気持ちもないだろう。答えてあげなければいけないと思いながら何も言えないというのは、まさにジレンマであり、このジレンマと似たジレンマを子供の頃に感じていたことを想い出した。
「苛めって、ジレンマしか生まないのかも知れないわ」
ボソッと口にした言葉は、本当に無意識だった。
それを聞いた高田は、しんみりとして、
「まさにその通りだ。何かを生むという発想とは少し違うのかも知れないんだけどね。僕の場合は親から受けていた迫害も、学校で苛められていたことも、どちらもブラックな記憶なんだけど、よくよく考えてみると、それぞれで嫌な思いを打ち消してくれていたんじゃないかとも思うんだ。人が見ていて、あるいは僕の話を聞いて感じるほど、僕の中ではそれほど深刻に思っていないこともあったかも知れない」
「それはきっと、想像力に制限がないということなんじゃないかしら?」
と里穂がいうと、
「それよりも、知らないことで、知りたいと思う感覚に変わった時、余計な力が入ってしまって、想像以上のことを思い浮かべてしまうことだってあるんじゃないかな? 特に自分に置き換えて考える人なんか、その傾向が強いんじゃないかって僕は思うんだ」
「高田君は、自分のことを人に置き換えたり、人のことを自分に置き換えたりすることができる人なの?」
と里穂は聞いた。
「皆できるんじゃないのかい? 人それぞれで程度は違うのかも知れないけど」
という高田の答えに、
「そうなの? 私は人の身になって考えるということをできる人の方が珍しいと思っていたわ」
「これは見解の相違というか、実際にはあり得ることだって思うんだ。だって、こんな話を普通の会話ではしないよね。それは相手が分かっていると思っているからなのか、会話をしていて、この発想が思い浮かぶ場面がないからなのかのどちらかだろうけど、普通に会話している分には、こんな発想が出てくるはずはないように思っているよ」
「それはできる人は、無意識のうちのことだって感じなのかしらね?」