点と点を結ぶ線
映像作品でもう一つ問題になるのは、「尺」という問題である。映像作品には時間がある程度決まっている。だから、原作があって映像化する場合には、まず尺に収まるだけの作品を選ぶ必要がある。それは長すぎてもダメだし、短すぎてもダメだ。足りなければ補充しなければいけないし、長すぎれば、どこかを消さなければいけない。そのため、原作とまったく違った作品に変わってしまうということも珍しくなく、それを思うと、映像作品というのは、原作ありきであれば、簡単にできると思っている人も多いだろうが、それは素人の考えであると言ってもいいだろう。
里穂は、元々高校時代までは、映像作品に進もうとは思っていなかった。小説を書いて小説家としてのデビューを夢見る女の子だったのだ。映像作品に関して大学に入るまでは興味もなかったので、まったく想像したこともなかったが、大学で専門的に勉強するうちに、
――映像作品も悪くないかな?
と思うようになった。
シナリオライターへの道を模索し始めたのは、佐川と出会ってからで、佐川が、
「俺は映画監督を目指しているんだ」
と言っていたので、
「じゃあ、シナリオは私が書く」
と言っていた。
そういう意味で恋愛ものや学園ものが多かったのもそのせいであり、それまで監督になりたいと思ってはいたが、どんなジャンルなのかというところまでは漠然としてしか思っていなかった佐川にとって、学園ものや恋愛ものは本当に物足りないとしか思えないものだった。
二人は最初、サークルに所属することなく自分たちだけでやっていこうと思い、同志を募っていた。集まったメンバーは数人だったが、さすがにこれだけでは作品を作ることもできないと断念した。何よりも資金が足りない。やはりサークルに所属し、資金を調達できる体制を取る必要があったのだ。
二人が製作する作品というのは、それほど大規模なものではない。ファンタジーやサスペンスになれば、製作費も嵩むだろうが、それほど大規模ではない学園ものや恋愛もの、さらにはホラー関係であれば、何とかなると思われた。
入部したサークルでは、細々と作品を作っていた。ネットに上げて、評価を見たが、それなりの評価もあったが、パッとしないのが現実だった。
二年生の頃まではお互いに意見をぶつけ合うこともなく、相手を尊重しながらやっていたが、三年生になった頃から、佐川の方が結構注文をつけるようになった。脚本は里穂の方なので、注文をつけるのは当然佐川の方だろう。そのせいもあってか、なかなか脚本が出来上がらずに、せっかく練った構想が、制作に至るまではなかったことも結構多かったのだ。
「こんなので大丈夫なのか?」
配役を決めたり、俳優を取りまとめる役の人が、そう言い出した。
「ああ、大丈夫だ」
と佐川はいうが、内心ではどう思っているのか疑問もあった。
里穂の方としても、
――どうして、そんなに否定するの?
と少し弱気になっていることで、佐川に言われる言葉が軽いトラウマにもなっていた。
なぜなら、里穂は佐川のことを好きでもあるし、尊敬もしている。そんな相手から「ダメ出し」を何度も食らえば、それは疑心暗鬼になったり、自己嫌悪に陥ったりするのも仕方のないことだろう。
そんな里穂のことを後目に、佐川は先のことを考えていた。彼は性格的に几帳面で堅実なところがあるが、いざというと、結構冒険することもあった。冒険というところまではいかないが、先を見据えているのも、ひとえに、
――里穂だったら大丈夫だ――
という思いがあるからだ。
佐川は、人を見る目はあると思っている。里穂が自分のことを尊敬していることも、恋愛感情を抱いてくれていることも分かっている。しかし、佐川が里穂と一緒にいる一番の理由は、里穂の才能を認めているからだというのも本当である。
里穂はそのことを知らない。里穂は自分のことを自虐的に見がちなので、いつも先を見ているように見える佐川を尊敬していて、さらに羨ましく思っている。その羨ましさが、恋愛感情の半分を占めていると言ってもいいだろう。だからと言って、恋愛感情に疑わしいところがあるというのは早合点であり、里穂の気持ちは佐川の素直さよりもさらに強いもので、それだけに佐川も里ほどそんなところを好きになったのだ。
里穂は佐川のことを、
「佐川さん」
と呼ぶ。
佐川は里穂のことを、
「里穂」
と呼び捨てにするのだが、このあたりにも二人の位置関係が見え隠れしているのだろうと、まわりの人は感じていた。
たまに自虐的になる里穂をうまく窘める佐川。普段は素直で実直な里穂が自虐的になると、完全に子供に戻ってしまい、わがままをいう駄々っ子にしか見えなくなってしまうので、普段の里穂しか知らない人は、
「彼女ほど、扱いにくい相手はいない」
と、自虐的になった時の里穂を、そう表現するのだった。
だが、佐川はそんなことはなかった。里穂の操縦法が分かっているのか、それとも里穂の方で、佐川の言うことであれば、催眠術にでもかかったかのように素直になれるのか、自分でもよく分からなかった。
「@佐川さんって本当にいい人なのね」
と里穂は本人に向かっていうが、それを聞いて佐川が苦笑いをしているのを、里穂は気付いていない。
その理由は、
「いい人って何なんだよ」
という気持ちが強いからで、佐川の中で、
「いい人」
というワードは、永遠のテーマのような気がしていたのだ。
映画製作にかかわることとは別に、二人の間で恋愛は進行していた。恋愛と映画とを切り離して考えようとしている佐川と、その二人はそれぞれのどちらかの延長線上にあると思っている里穂との間に、どこかぎこちなさがあった。
しかし、お互いに相手が映画製作と恋愛をどのように考えているのかを分かっていないことから、どうしてぎこちないのかということは分からなかった。恋愛に関しては二人とも同じ気持ちだと思っていたことで、その二つも同じだろうと二人揃って思っていたのだから、世話はない。それを思うと二人の間に距離ができたとしても、それを二人がどのように認識するのか、分かりにくいところであった。
お互いに距離を感じてはいるが、ぎこちないと言っても微妙な距離であり、このまま別れてしまいそうだとか、危険な匂いを感じたりとかはなかった。あくまでも映画製作の上での意見がすれ違っているということが影響しているのは分かっているのだが、すれ違いが恋愛との間の微妙な距離の勘違いにあることを分かっていないので、平行線は埋めることはできていない。
そんな二人の間にあって、それでも恋愛ものを書いていきたいと思っている里穂を見ていて、
――もう、恋愛ものはいい――
と佐川は考えていた。
その間隙をぬうように里穂に、
「俺も恋愛ものの監督をしてみたいんだけどな」
と言ってくる奴がいた。
彼は、名前を川上陽介と言った。本当は俳優としてサークルにいたのだが、
「俺、そのうちに監督もやってみたいんだよな」
とここ最近、まわりに嘯いていたのだが、まさか本当にやってみようと思っていたなど想像もしていなかったまわりは、ビックリしていた。
話を持ち掛けられた里穂も戸惑っている。