点と点を結ぶ線
カプグラ症候群というのは、その正体がどうであれ、それ以前に話を聞いただけで想像できるものがあった。厳密には違っているのだが、フィクションというドラマの世界ではその想像力をたくましくできるものを、カプグラ症候群という発想は持っているように思えたのだ。
躁鬱症というのも、ドラマのテーマにはなりそうだ。しかし、躁鬱症というのは、それを単独でしかも表にハッキリと出さなければ難しいのではないかと思えた。
逆にカプグラ症候群の場合は、躁鬱症とは違い、前面に押し出すことでなくとも作品を完成させることができると思った。ただ一つ言えることは、カプグラ症候群だけ単独でのテーマにはなりえないという思いがあった。つまり佐川がいうように、
「ドッペルゲンガーとのセットで」
というのが、前提になるのではないかと思うのだった。
ドッペルゲンガーの話にもかなり大いなる衝撃を受けた。ドラマや映画、小説などに描かれるテーマになりうるに十分な気がする。
だからこそ逆にすでに何度も作品化されているテーマなのだから、
「使い古された」
という言葉が付きまとっている。
それだけに、ドッペルゲンガー単独では難しく、何か他のことと結びつけて考える必要があった。そういう意味でのカプグラ症候群という発想は、
「ありなのではないか?」
と里穂に思わせた。
里穂は次に考えたのは、
――ドッペルゲンガーと、躁鬱症とを組み合わせることはできないだろうか?
という思いだった。
ドッペルゲンガーの基本は、
「もう一人の自分の存在」
だった。
躁鬱症も、自分の中に二つの人格を持った、一種の「二重人格」だと思うと、ドッペルゲンガーとの共有もありえると思えたが、ふと考えると、そこに一つの疑問が浮かんできた。
ドッペルゲンガーは、もう一人の自分を自分自身、あるいは他人に認識させるのが前提だ。躁鬱症というのは、鬱状態の時に躁状態の自分を、逆に躁状態の時に鬱状態の自分を感じることはできない。他人が感じることはもちろんできるはずもなく、そういう意味ではドッペルゲンガーという発想と噛み合うとは思えなかった。
――では、カプグラ症候群ではどうだろう?
これも、躁鬱の発想と同じことが言えるのかも知れない。
しかし、あくまでカプグラ症候群は、幻覚であり妄想なのだ。自分に対してというよりもまわりの近親者に瓜二つの人がいて、入れ替わっているという発想がカプグラ症候群の本質だとすれば、ドッペルゲンガーの発想が入り込む余地もあるのではないだろうかと思えた。
だが、今までにこの二つをテーマに織り込んだ小説や作品を、少なからず知らなかった。カプグラ症候群の発想を柔軟に膨らませることで、できなくはないと里穂は思ったが、それだけ発想を膨らませるのは難しいことだろう。
だが、これもニアミスの平行線のように、どこかにカギを合わせる箇所があり、そこでカギが合うことで、すべての辻褄が合ってくるのではないかと里穂は思っていた。
話をしてくれた佐川の様子を見ていると、その横顔からは、真剣な眼差しが見えていた。真剣に見ているのは、真正面を見ながら、何か遠くを見ている感覚もあり、彼の視線の延長線上に何が見えているか覗いてみたい気がした。
もちろん、見えるわけはないが、里穂と同じような発想をしていてくれれば嬉しいと思ったが、少なからず接点はあるように思えたのは、
――ドッペルゲンガーとカプグラ症候群の話を今初めて佐川さんから聞いたはずなのに、前から考えていたような気がする――
と感じたからだった。
自分がこれから小説を書くとすれば、心理学的な発想をテーマに書いてみたいと思っていたのを思い出したが、まさか他の人から誘われるとは思ってもみなかった。だが、それが佐川からだったのは幸いな気がした。
――きっと一人で小説を書こうと思うと、挫折していたかも知れない――
と感じたからだ。
カプグラ症候群が難しいのか、それともドッペルゲンガーが難しいのか、それとも二つを組み合わせるという発想が難しいのか、里穂にはまだ頭の中に具体的な発想がない分、思い浮かぶことはなかった。
「佐川さん、あなたはこの二つのテーマについて、何かお考えは持っておられるんですか?」
と里穂は聞いた。
「ドッペルゲンガーというのは、かなり昔から考えられていることであり、古代などの神話や逸話として残っているんだけど、カプグラ症候群についてが、まだ百年くらいしかその発見発表から経っていないんだ。カプグラ症候群というのも、きっともっと昔からあったもので、それをどのように学術的に解説するか、誰にもできなかったんじゃないかな?」
と言って、一旦話を切った。
だが、少しして話し始めた。
「それだけに理解するには難しいことなんじゃないかって思う。でも、考えてみると、今発表されているいろいろな現象にも、その解明がされていないことも結構あるよね。どこが違うんだろう? って思うんだけど、被害妄想であったり、幻覚であったりと、薬物による禁断症状に似たものは、社会的にはある程度証明されていることでないと、発表できないという発想なのかもって感じるんだ」
と佐川は言った。
「考えすぎなんじゃないですか?」
里穂は単純にそう答えたが、
「確かにそうかも知れないんだけど、僕はそうは思わない。社会的というよりも政治的にというべきなのかも知れないが、カプグラ症候群のような発想が、二十世紀前半まで発見されないというのは、僕には腑に落ちないんだ。ドッペルゲンガーのような発想が古代からあるにも関わらずだよ。ただだからと言って、そのことを問題にしようとは思わない。それよりもテーマの一部として使う分には何の問題もないんじゃないかって思うんだ。これってクリエイターのエゴなのかも知れないんだけどね」
と言われると、里穂の方としても、
「そんな……、エゴだなんて思わないわ。私もクリエイターの端くれとして、あなたと同じような考えを持っているつもりだわ。確かに作品のエッセンスとしては面白いかも知れないわね」
と里穂がいうと、
「そうそう、そのエッセンスという言葉、素晴らしいと思うよ。僕が君をクリエイターとして素晴らしいと思うのは、そういう語彙力に代表されるような、奇抜な発想なんだよ。僕にも君のようなそんな奇抜な発想がほしいと常々思っているんだよ」
興奮気味な佐川を久しぶりに見た気がした。
しかも、それが自分を揉めてくれている言葉なだけに嬉しくて、恥ずかしさ半分であったが、久しぶりに楽しい気分になった。
「ところで、カプグラ症候群なんだけど、これをそのまま作品に織り込むというのは、やはり難しい気がするんだ。過去の人がさっきも言ったような発見することができていたとしても、その発表に躊躇したように、作品に織り込むとしても、よくよく考えないといけないことも多い気がする」
と、佐川は続けた。
「でも、だからこそ、やりがいはあるというものなのかも知れませんよ。すぐに出来上がるものではないと思っているし、いろいろな資料を研究したり、人の意見を聞くのもいいかも知れない」
と里穂はそこまで言って、