点と点を結ぶ線
「でも、この話が実際に世の中に出てきたのは、ある学者が1920年代に学会に発表したことからであり、歴史的にはドッペルゲンガーよりもはるかに新しいんだ。しかもこれをさっき俺は作品のネタと言ったけど、それは作者が意図してカプグラ症候群を題材にしているわけではないというところが特徴なんだ。カプグラ症候群というものがどういうものか知っている人がその小説を読んだら、最初は『これはカプグラ症候群の応用だ』って思うんだけど、実際に考えてみると、どうも逆の発想のような気がしてくるところが特徴だって思うんだよね」
里穂は佐川の話を聞いていると、頭が混乱してきたような気がした。
最初は何となく分かっていたような気がしていたが、話を聞くうちに分からなくなったのは、彼が話をはぐらかせているように思えて。そこにどんなサプライズがあるというのか、里穂は分からなかった。
「一体、どういう理屈の話なの? 頭の中が混乱してきたわ」
と、わざと話をしてくれない相手に焦れている様子を表してみた。
それを見た佐川は、ニタリと笑い、思っていた反応に嵌ってしまったのではないかと思えてきた。
「じゃあ、話してあげよう」
と言ったので、思わずゴクンと喉を鳴らした自分に気付いた里穂だった。
「カプグラ症候群というのは、親や兄弟、妻や夫のような近親者などが、瓜二つの偽物と入れ替わっているんじゃないかと確信する妄想のことなんだ。しかもこれは完全にその人が確信していることで、頭の中が混乱してしまって、本当はそうではないにも関わらずそう思い込むのって、いわゆる被害妄想だよね」
と言われて、里穂は思わず身体が固まってしまったのを感じた。
言われてみれば、自分にも似たような経験がかつてあった。ただ、確信というところまでは行っておらず、自分でもこの妄想が、
「ただの妄想」
ということが分かっていた。
その時には、
――私は鬱状態に陥ったんだ――
と考えた。
被害妄想が確信にまで至らなければ、それは鬱状態ということではないかと思ったものだったが、鬱状態というのは、まわりの歯車がまったく噛み合っていない状態に起こりやすいもので、逆に言えば、歯車が少しでもずれれば、すべてがうまく行くともいえるのではないだろうか。
そう思った里穂は、その時は完全に自分が鬱状態だと思っていた。実際にその感覚で間違っていなかったように思うが、ひょっとすると、その時に一歩頭を巡らせて、その時にもカプグラ症候群について、意識していたのかも知れないと思った。
あくまでも妄想の世界であり、確信にまで至れば、それはすでに精神疾患であり、薬物による「禁断症状」のようなものだと言っても過言ではないだろう。
里穂もカプグラ症候群という言葉は知らないまでも、このような幻覚症状の話は聞いたことがある。というよりもこれを聞いた時、頭をよぎったテレビドラマがあった。
そのドラマは、ホラー系の強い話で、自分の知り合いが皆悪の手先と入れ替わっているという設定で、それを主人公が知って、悪の手先から自分の肉親を断つけるというような話だった。
これは厳密なカプグラ症候群とは違うのかも知れないが、連想させるに十分な話だった。カプグラ症候群は、あくまでも幻覚であり、妄想なのだ。本当にそういうわけではない。実際には怖いわけではないが、ある意味、精神疾患としては、恐ろしい話である。
里穂は、高校時代に自分のことを、
――鬱病なのかも知れない――
と思ったことがあった。
それは躁状態と密接に関係しているものであり、鬱状態と躁状態が交互に襲ってくるというものだった。
その特徴としては、躁状態、鬱状態のそれぞれで、時期がほとんど同じだったということだ。鬱状態と躁状態が同じ期間だったというわけではなく、躁状態、鬱状態同士て、それぞれ同じ時間だったということである。
しかも、躁状態から鬱状態に陥りそうな時も、鬱状態から躁状態に抜ける時も、それぞれに何となく予感めいたものがあるのだが、実際にハッキリと感じるのは、鬱状態から躁状態に抜ける時であった。
躁状態から鬱状態に陥る時の感覚として、
――何をやっても、うまく行かないような気がする――
という感覚に、まわりの色が明らかに変わってきているのを感じるからである。
色としては、昼と夜とで感じる色が違う。昼間はボンヤリとしたもので、まるで黄砂でも振ったかのように色もぼやけている。信号機の青色が緑に見えたり、赤い色がオレンジのように見えたりといった具合だった。
だが、夜になると今度は、色がハッキリクッキリと見える。信号の青い色も赤い色も、真っ青にそして真っ赤に見えるのだ。
この二つの違いだけでも十分に、
――鬱状態に入りそうだ――
と分かるのだが、今度は鬱状態から躁状態に抜ける時と言うのは、複数の状況を感じるわけではない。しかし、その状況に流れがあることで、鬱状態に陥る時よりも、鮮明に感じることができるのだと感じるのだった。
里穂は、鬱状態から抜ける感覚を、トンネルで想像することができる。
トンネルというのは、トンネル内には全体的に黄色に見えるランプが張り巡らされているのが前提となるが、自分は車に乗っていて、助手席にいるのだが、隣で運転している人のギアを握っている手や、横顔を覗いた時に感じる首筋などが、黄色いランプの影響か、まったくのモノクロに感じられる。
まるで死人のような顔色の悪さ、きっと自分も運転手から見れば同じような顔色になっていることだろう。
そんな気持ち悪い状況を想像しながら、トンネルの中にいる間はそれが鬱状態の進行中であることは分かっていた。そのトンネルを抜ける時が来るのは、前を見ていて、次第に全面黄色だった背景に、次第に真っ白い光が差し込んでくるのが分かってきた。
その光はきっと太陽光線なのだろうが、最初に感じるのは、蛍光灯の真っ白い色のはずだった。いきなり太陽光線を見ると、自分の目がどうかしてしまうのではないかという思いが頭をよぎるからだった。
白い色に次第に包まれてくると、隣で運転している人の手や首筋を見ると、さっきまであれだけ気持ち悪いくらいに血の気のなかったはずのモノクロに、やっと本来の色が戻っているのを感じる。
あくまでも創造の世界なのだが、この想像が自分の中で、
「鬱状態から、躁状態に抜ける感覚」
と思えてならないのだった。
里穂は、そんな躁鬱状態をそれくらいの間、何度繰り返したのかハッキリとは覚えていない。その間に普通の状態が入ったのかも知れないとも感じたが、その信憑性はあまりにも低かった。
――勘違いに違いない――
と言い切れるレベルの話だった。
そんな躁鬱状態を経験してきた里穂は、佐川から聞かされたカプグラ症候群の話を聞いて、
――躁鬱を想像してしまったけど、カプグラ症候群というのは、躁鬱の感覚に単純に結びつけることのできないものなのかも知れない――
と思った。
躁鬱状態と、カプグラ症候群のどちらを脚本として書けるかというのを聞かれるとすれば、
「カプグラ症候群の方かな?」
と答えるだろう。