点と点を結ぶ線
「他にもたくさんいるんだけど、ここではもう一人、ゲーテの話をしてみたいと思う」
と佐川は言った。
「ゲーテって、あの詩人の?」
「そう、彼は詩人でもあり、政治家でもあったんだ。彼のドッペルゲンガーは他の人と少し違うような気がするんだけど、まず彼はある日、馬で帰宅する途中、反対側からこちらに向かってくる自分を心の目で見たと言っているんだ」
「心の目?」
「うん、そして、それから八年後のある日、馬で出かける時にゲーテは、この日の服装が八年前に遭遇したドッペルゲンガーと同じだっていうんだ。過去に見たドッペルゲンガーは未来の自分だったということだね」
「八年も前のことを覚えているなんてすごいわよね。それがいわゆる『心の目』ということなのかしら?」
「そうかも知れない。別の比には、慈雨bンと同じ服を着て歩く友人を目撃したのち帰宅すると、そこにいるはずのまい友人が先に目撃した時と同じ服を着て腰かけていて、友人は突然の雨で服が濡れてしまったので、ゲーテの服を借りに来たと話したらしい」
「なんとも言えないお話ね」
「他にもドッペルゲンガーを見たという人はたくさんいるんだけど、とりあえず有名なところではこの人たちかな? 中には何度もドッペルゲンガーを目撃しても死ななかった人もいるらしいので、必ず死ぬというわけではないらしいんだ」
「確かに怖いお話ではあるけど、ドッペルゲンガーの正体と言われているものと一緒に考えると、なるほどと思えるところも結構ある気がするわ。そういう意味でも、小説やマンガのネタになりそうなのも分かる気がする」
「ドッペルゲンガーの現象が起こる理由というのも、いろいろ説があるみたいで、それも紹介しておこうか?」
「ええ、参考になるわ」
「これもいくつかあるんだけど、まず最初は、さっきのゲーテの話のような感じだね。いわゆる『未来の自分説』というものだよ。でも、この説には一つの無理なところがあると思われるんだ」
「どういうこと?」
「これも一種のパラドックスなんだけど、ドッペルゲンガーを見ると死んでしまうというわけでしょう? ということは死んでしまうと、未来の自分は存在しないわけじゃない。それを見たというのは、少し違うっていう説もあるんだよ」
「う〜ん、ちょっと難しいけど、いわれてみればそうよね」
「もう一つの例としてあるのが、『パラレルワールド説』。世界にはいくつかお次元が存在すると考えられているでしょう? 一種の次の瞬間という発想なんだけど、可能性としては無限にあるよね? その無限がネズミ算式に増えていく考えが、いわゆる『パラレルワールド』なんじゃないかってこと、つまり別の次元にも自分がいてもいいわけであって、何かのはずみでパラレルワールドに繋がってしまった瞬間に、もう一人の自分を見たという発想だね。これはパラドックスが許されないのと同じ発想で、見てしまったことで、死ななければいけない運命になったという発想なんだ」
「これは少し分かる気がする。さっきの『親殺しのパラドックス』と同じような発想よね」
「そういうことだよ。
「次からは、簡単な説明で済む話で、一つは精神疾患説、つまり脳に異常が生じているから、ドッペルゲンガーを見ようが見まいが、その人の運命は決まっているという説だね。そしてその次にあるのは、心霊現象説。ドッペルゲンガーは、何も喋らず、死人のようだって言われいるところからの説だって思うよ。そして最後は幽体離脱説。これはまさしくさっきの『シルバーコード』の話そのままだね。幽体離脱を繰り返してしまうことで、元の身体に戻れなくなったという発想だよ」
「この三つは普通に理解できることだわ」
「普通に暮らしていれば起こりえるはずのないことのように思うんだけど、これだけ話が残っていると、普通の人がちょっとしたはずみで入り込んでしまうゾーンのように思えてくるよね。それがこのドッペルゲンガーという症例の恐ろしいところでもあるんだって僕は思うんだ」
ドッペルゲンガーの話をしただけで、結構な時間が掛かってしまった。
里穂は、十五分程度の話だったかのように思っていたが、時計を見ると、すでに一時間以上が経っていた。
「集中していると、時間が経つのって早いわよね」
と友達と話すことがあったが、それはあくまでも一人で集中していて感じることであった。
つまり人と話をしていて、自分で感じている時間よりも、時間があっという間に過ぎてしまうということは今までに経験したことがなかった。それを、
「話が引き込まれるような内容だったから」
というだけで言わることであろうか。
「自分が感じている時間よりも、あっという間に時間が経ってしまった」
という話は、浦島太郎などのおとぎ話で聞いたり、科学的な観点から言えば、
「アインシュタインの『相対性理論』」
と同じ発想ではないだろうか。
おとぎ話が書かれたと言われる時代に、果たして相対性理論のような発想があったのかどうか定かではないが、少なくとも誰かが何かの経験をして、その話を伝え聞いたことにより、
「おとぎ話としての残しておこう」
という発想が生まれたのかも知れない。
里穂は、ドッペルゲンガーの話を聞いただけで、結構疲れがあるのを感じた。それだけ集中して聞いていたということにもなるが、自分で身構えてしまったという発想もある。それだけ怖い印象の残った話であり、怖いだけに引き込まれたのだと言ってもいいのではないだろうか。
この時の彼の疲れがどれほどであるかはよく分からなかったが、見ていて疲れていないわけはないと思えた。だが、
「まだ何かを話したい」
という思いはあるようで、その話がカプグラ症候群であることは明白だった。
――一緒に話をした方がいいのかな?
と思ったのは、ドッペルゲンガーと密接な関係にあることで、この二つを研究していたのではないかと思えたからだ。
「今度はカプグラ症候群のことなんだけど」
と佐川は話を切り出した。
「うん」
「こちらは、さっきのドッペルゲンガーと違って、ある意味深刻な問題なのかも知れないんだ」
と切り出した。
「ドッペルゲンガーというのも、相当深刻な気がしているけど?」
と里穂がいうと、
「それは言われていることや伝説としての話は独り歩きをしているからじゃないかって思うんだ。カプグラ症候群の方はもう少しリアルで、実際に精神医療としても、問題になることでもあるんだよ」
佐川の表情が少しこわってきたのを感じた。
「どういうこと?」
「ドッペルゲンガーは、見た人が死んでしまうということに諸説はあっても、それはどれももっともらしい話ではあるけど、信憑性には今一つだよね。でも、カプグラ症候群の方はハッキリとした現象として現れることで、一種の幻覚だったり、妄想だったりするんだよ。しかも妄想と言っても、これは完全に被害妄想に当たることで、これも小説や特撮のネタになったりしているんだ」
と佐川が言った。
さらに佐川は続ける。