点と点を結ぶ線
佐川は、しばらくの間、里穂にはそのことをまったく伏せていた。何も言わずに一人で勝手に研究していたのだ。里穂に知られてしまうと、せっかくの研究材料の一人であり、しかも他の三人とは違ったイメージを持っている里穂という人間の性格を分析できずに終わってしまうのが惜しいと覆っていたのだ。
佐川は里穂に対して、高田を通してからの見え方だけに興味を持っていたわけではない、むしろ、もっと別のところでの里穂を見つめていたかった。
だが、高田を通しての里穂を発見してしまった以上、これを無視できるはずもない。
この感覚が佐川の中で、里穂という女性を余計に意識させるに加速装置がつけられたような感覚だと言ってもいいだろう。
里穂には、佐川がどこまで自分のことを分かっているのか、非常に興味があった。自分が佐川に対して持っている興味よりも、そっちの方が気になっていると言っても過言ではない。
佐川にも、里穂が高田のおかしな行動に少なからずの興味を持っていることをどこまで知っているだろう。
確かにおかしな行動を里穂の前でも示していることは分かっている。しかしそれがどんな様子なのか分かっていないだろう。なぜなら高田がおかしな行動を取ったという状況を理解するには、必ず彼と正対しなければいけないというルールがあるようだ。だから里穂が高田をおかしいと思っているということは分かっていても、それが里穂にどのような影響を与えているのかについては分からない。里穂から聞くしかないのだった。
――俺と同じような感覚なんだろうか?
と思ったが、一度自分が近くにいる時、里穂が高田のおかしな様子に遭遇しているのを見かけたことがあったので、その時の里穂の表情を思い出すと、
――どうやら、俺とは違う感覚に陥っているようだ――
と思った。
そう思うのは、里穂も自分と同じようなリアクションを取るという前提があるからだと感じたからで、それはおおむね間違っているわけではなかったのだ。
佐川は、そんな里穂と高田を見て、
――もし、俺が里穂に高田と遭遇しているところを見られたらどうなるだろう?
と思った。
だが、里穂は決してそのことを自分に言うことはないと思っていることで、そのことをそれ以上考えることは無意味に思えた。
――無意味なことを考えても仕方がない――
というのが佐川の持論でもあった。
――きっと、いわなければいけないと思った時、いうに違いない――
と思ったが、それがそれほど遠くない将来であると、佐川は感じていた。
その機会を最初に持ったのは佐川だった。
里穂の方とすれば、佐川も同じような感覚を佐川が思っているなど知らなかったので、最初は何を言っているのか、よく分からなかった。
それもそのはず、佐川は里穂に対してこの話をした時、主語を敢えて、最後に持って行ったからだ。つまりこの話の主人公が高田であるということを、最後まで伏せていたというわけだ。
――おかしなことをいうな――
と里穂が思っていたということは、彼女の表情から察しがついた。
もっとも、それを感じたいがためにわざと話を曖昧にしたのであって、それは里穂の感覚をいったんマヒさせようという佐川の彼一流の感性だったと言ってもいいだろう。
佐川は里穂が自分に対してまで疑念を抱いていることを理解したうえで、
――いいぞ――
と自分の中でほくそ笑んでいた。
そして佐川は、急に話を変えて、作品の話になったことで、里穂も急に身構えたが、これも佐川の計算だった。
「俺に今、ちょっとした構想があるんだけど、君に脚本をお願いしたいと思うんだけどいいだろうか?」
と言われた。
「ええ、いいですよ。私もそろそろ痺れを切らしていたからですね」
と言ったが、これも本音だった。
書かなくなって久しいと思う時期に入ってくると、さすがに寂しさが募ってくるのを感じた。
――そろそろ書きたいわ。何か題材がないかしら?
と感じたからだ。
「そこで相談なんだけど、僕はこの作品を二部構成にしたいと思っているんだけど、君にはその一部の方をお願いしたいんだ」
と言った。
「えっ、というのは?」
と里穂は疑問をぶつけた。
二部構成の一部ということは、それぞれで話をしながらの脚本ということだろうか?
時々テレビ番組などで、脚本が連名になっているのがあるが、それを見て、
――連名って、どういうことなんでしょう?
と感じていた。
――最初にどちらかが書いて後から付け加える? それとも、構想だけは聞いて、それぞれ同時進行で書くということ?
そのどちらかでしかないように里穂は思えてならなかった。
「いや、何ね。僕には構想ができあがっているので、僕が一部を書くので、もう一部をお願いしようと思ってね」
後者のようだった。
「それで大丈夫なの? それぞれで書くとなると辻褄が合わなくなるのでは?」
と里穂は当たり前のように話したが、
「僕にはそれが狙いなんだ。それぞれで書き上げたものをどのように組み立てるかが、このテーマを果たす意味でも大切なんじゃないかって思ってね」
「じゃあ、あなたが一つにまとめるというの?」
「きっとできると思っている」
「ところでテーマというのは?」
「これはね、心理学用語がテーマなんだ。それぞれの心理学的な考え方が一つになって展開する。これは僕が今までの集大成として書いてみたいと思っていることなんだ」
ホラーやオカルト、ミステリー関係が好きな彼らしいと、里穂は思った。
「それってどんな言葉がテーマなの?」
というと、
「ドッペルゲンガーと、カプグラ症候群という二つなんだ」
ときっぱりと言った。
「ドッペルゲンガーというのは聞いたことがあるけど」
というと、
「それぞれによく言われてきたことではあるんだけど、この二つをひっくるめた作品があまりないのが僕には疑問だったんだ。それぞれをテーマにした作品は結構散見されるんだけどね」
と佐川はいう。
「もっと詳しく説明して」
と里穂は言った。
佐川は少し戸惑ったような様子を取ったが、戸惑いを感じるとすればそれは里穂にしかできないことだろう。それだけ佐川という男は自分の気持ちを表に出すのが苦手な人間で、それを分かっているのは里穂だということを、佐川は自覚している。
ただ、佐川は普段谷と接している時と、監督をしている時ではまるで人が違っていて、監督をしている時の彼がどれほど生き生きしているかということは、里穂でなくともかかわった人なら皆分かることだった。
――そんな佐川がどこか戸惑っている――
そう感じた里穂は、佐川が何を言い出すのか、興味津々が半分だったが、少し怖い気もした。
佐川はゆっくりと話し始める。
「俺がこの話を考えたのは、高田という男を見てからなんだ」
と言った佐川を里穂は一瞬目を見開いて見つめた。
――高田さん? 彼がどういう関係なのかしら?
本当は声に出して聞いてみたかったのはやまやまだったが、それを控えたのは、彼にはそれなりに何かの言い分があることが分かっているからだ。