点と点を結ぶ線
という意味で、当時の学校の先生と算数談義を放課後の教室でしたこともあったが、先生も里穂の発見を、素直に褒めてくれていた。
その先生も女の先生で、算数の数列に秘密があるということを説明してくれたのはこの先生だった。理屈としては当たり前のことを言っているようなのだが、実際に口に出して説明してくれるのとしてくれないので、ここまで考えるきっかけになるかどうかということを教えてくれたのも、この先生だった。
「いやぁ、小学生でよくここまで考えることができたわね」
と言われて、
「ありがとうございます。自分でも発見した時は嬉しくて、早く先生に教えてあげようと思ったくらいですよ」
と答えた。
「またどんどん、新しい発見を期待しているわ」
と聞きようによっては、ただ相槌を合わせているようにしか聞こえないが、この先生であれば、説得力には十分な気がして、安心して話ができたのだった。
中学に入ってから、数学になり、一人で考え事をすることは一時期減ってしまった。一人でいるということは珍しいことではなかったが、一人でいても何も考えていないということが多かったので、自分がまるで別人になってしまったような気がしてくるのだった。
――こんなに何も考えないなんて――
と、自分のことを顧みるようになっていた。
それも一種の考え事なのだが、里穂はそれを自分の中での考え事として認めていなかった。
――こんなことばかり考えるようになったなんて――
とはその時に思うのだが、我に返ってみると、何を考えていたのか忘れてしまっている。
ただ意識として、
――また同じことを考えていたんだわ――
という意識だけが残っていることがある。
それは、自分が何を考えていたのかを分かっていて、いつも同じことを考えている証拠だということも分かっているようだった。
――これこそ、堂々巡りっていうんじゃないかしら?
とその時は感じるのだが、この時の堂々巡りと、佐川との話の中で出てきた堂々巡りとは違うもののように思えてならなかった。
そういう意味で、小学生時代と中学生に入ってから以降とでは、同じ考え事をしている時でも、まったく違った様相を呈しているということを表していた。
小学生の頃までの考え事をしている時と、中学以降の考え事をしている時との一番の違いは、
――時間緒経過に天と地ほどの違いがある――
という思いであった。
小学生の頃までは、同じくらいの時間であっても、あっという間に過ぎているのに、中学以上であれば、かなりの時間が経っているように思う。それに対して二つほどの考えがあったが、一つは、
――好きなことを考えている時って、本当にあっという間に時間が過ぎてしまう――
という考え方と、中学以降であれば、これが第二になるのだが、
――堂々巡りを繰り返しているという思いがあるので、長く感じているのかも知れない――
という考え方があるからではないだろうか。
それぞれに相対する考えであるため、それぞれを分けて考えることをせずに、一つの考えが派生していると捉えることもできるのではないだろうか。
里穂は、大学に入ってから中学以降からの自分を変えようという考えでいるが、その中に、
――小学生の頃の自分を思い出したい――
という思いもあるような気がしていた。
そういう意味で、佐川と出会ったことはよかったと思っている。佐川と出会っただけでも、当初の目標の半分は満たされたのではないかと思うほど、里穂は佐川に傾倒していたのである。
少し話が逸れてしあったが、里穂が高田という男を「おかしい」と感じたのは、一度や二度ではなかった。その日の無表情というのも、気持ち悪かったのだが、他の時には、自分との挨拶が終わるや否や、急に何かに怯えるような素振りを示したことがあった。
その時も里穂は一人で歩いていて、いつものごとく高田から声を掛けられたその時だった。
高田はいきなり里穂の方を指さして、その差した指先が明らかに震えている。それは恐怖で震えていることは指先の延長上い言える彼の目を見ていれば一目瞭然だった。
――どうしたのかしら?
と不気味に感じたが、その時の里穂の表情も、相当おかしなものだったに違いない。
自分で自分の顔を見ることはできないが、その状況から考えれば、疑う余地などないというものであった。
高田の指先はすぐに里穂の顔から外れて、里穂の背中の方に向けられた。里穂はゾッとしたが、後ろを振り返るおとができなかった。それは、金縛りに遭ってしまったからで、身体が動かなかったというのが本音である。
ただ、本当は振り向くだけの勇気がなかったのも事実だ。言い訳がちょうど行動に比例しているというのも、ある意味皮肉なことだと言ってもいいだろう。
里穂の顔から外れた指先を、里穂はじっと見ていた。彼の顔を見るだけの勇気もなかったのだ。見ようと思っても意識は指先に集中してしまっていて、視線を逸らすにはかなりの勇気がいる。その勇気を持てないことは自分でも分かっていて、何を叫びたいという衝動はあったのだが、声も出せる状況ではなかった。
――自分自身で、堂々巡りに入ってしまったんだ――
と里穂は思った。
「感情の堂々巡り」
そんな感覚を感じた時、以前佐川との話で感じた、
「堂々巡りではない『回り道』があり、回り道ではない堂々巡りもある」
という言葉を思い出していた。
高田という男が妙な行動を起こしたのは、里穂だけではなく、他の人にも同じだった。
だが、おかしなことに彼がおかしな行動を取る相手というのは決まっていて、どうやら五人くらいに絞られている。大学に入ってたくさん友達を作るために挨拶をしていた高田なので、友達もたくさんいるはずだ。その中での五人というのは、ある意味で少ないに違いない。
このことを教えてくれたのは、他ならぬ佐川だった。
佐川もこの五人の中に含まれているようで、佐川は彼のそんな行動を受け入れたうえで、少し研究してみようと思ったようだ。
受け入れたと言っても、理解しているわけではない。しいて言えば、
「理解したいがために、研究をしている」
というのが本音であった。
ただ、高田は自分がおかしな行動を取っている人がいるという意識はないようだ。本人に意識はなく、まわりの誰も彼にそのことを触れるようなことはしない。彼からおかしな行動を取られた里穂と佐川以外の三人は、高田のおかしな行動を、
「これは特定な人物だけにしかしないんだ」
ということは夢にも思っていないからだった。
そのことは里穂には分かっていなかったが、佐川には分かっていた。このあたりが高田という人物を「受け入れて」研究してみようと思ったか思わなかったかの違いだと言えるのではないだろうか。
佐川は、少なくとも里穂やその他の三人に比べれば、かなり進んでいた。もっとも佐川から見れば、里穂を含めた四人というのは、
「感情の堂々巡りを繰り返している」
と思っていたようだった。