点と点を結ぶ線
里穂は川上の作品の脚本を書いてから、少しの間、筆を休むことにした。別にこの作品に不満を持っていたというわけではないし、執筆に対して、気持ちが離れたというわけでもない。
――これも一種の堂々巡りなのかしら?
と感じた。
回り道をしたような気がしていたが、
「堂々巡りは決して回り道ではない」
ということを川上の作品と、佐川との話の中で感じた里穂は、少し筆を休めることで、さらなる自分の成長を促そうと思っていたのだ。
佐川はその頃、映像クリエイトとは違う勉強をしているようだった。よく大学の図書室に通っているのは分かっていたが、何を見ているのか知らなかった。自分自身も筆を休んでいることで、少しまわりとも距離を置きたいという思いがあっただけに、佐川にも同じような思いがあるのではないかと感じ、彼に話しかけることを躊躇していた。
人には、誰からも話しかけられたくない時というのは、絶対に存在する。どんなに大学で友達が多い人であっても、いや、むやみやたらに友達を増やしたことによって、寄ってくる人を避けることのできなくなってしまった自分を、
「まるで自分で自分の首を絞めてしまったような感じだ」
と思っている人も少なくないだろう。
実際に里穂の友達にも同じような人がいた。名前は高田という男だが、そういえば、名前を何と言ったか、聞いた記憶はあったが覚えていない。
高田という男は里穂にとってはそれくらいの男だったのだが、なぜか無視できないところがあった。彼の行動には、時々理解不能なところがあった。
いつもまわりの人に気軽に声を掛けている。まわりの人も声を掛けられると、気軽に返事を返しているが、よく見ると、その表情に、活気が見えてこない。
――私も同じような表情をしているのだろうか?
彼から声を掛けられるのは他の人と同じで、自分も似たような返事しかしていないのは分かっている。
彼の魔力にでもかかったのか、それとも彼から掛けられた声というのが、それほど漠然とした意識しか残っていないのか、返事をしたという意識はほとんど、記憶として残っていない。
毎日のように声を掛けられて返事をしている人でも、本当にその意識をいつも持っているのか不思議な感覚だった。
里穂も実際に彼に返事をしたという意識は、何日も持っていなかった。正直、声を掛けられた時、返事をしたという意識もなかったからだ。それなのに、彼に声を掛けられたのは、数日前だったということを覚えている。しかも、それがいつだったのかということさえ覚えているのだ。
その日、彼の行動は少しおかしかった。それは、里穂に声を掛けるという行動とは別の行動だったのだが、里穂とすれ違いざまに彼が声を掛けてきたのを、本能的に返したところはいつもと変わらなかったが、すれ違って少しして、里穂は背中から視線を感じて思わず振り返った。
そこにいたのは、とっくに歩き去っていると思った高田だったのだが、その表情は何かに怯えているように思えた。
まったくの無表情で立ちすくんでいる。彼の顔はハッキリと分かったのだが、その時に思い出したのは、以前佐川に感じた、
「真っ黒いのっぺらぼう」
だったのだ。
ただ思い出したというだけで、まったく似ているわけでもないその二つを、どう結び付けていいのか、里穂の方も立ち竦みながら、考えてみた。
だが、その答えが容易に出るものではないと自分で理解した時、ハッと我に返った里穂は、すぐに彼から視線を切ると、踵を返して、後ろを振り向くことなく、一目散に早歩きを始めた。
その時にまわりにいた人は、誰もこの二人のおかしな行動に気付いていないようだったが、後から思うと、
――あれは二人だけの世界で繰り広げられたことで、誰も気づいた人がいなくても、それは当然なことなんだ――
と感じた。
高田の行動はその時の、まったくの無表情で立ちすくんでいたというだけではなく、感情を剥き出しにすることもあった。むしろその時の方がまわりに意識を与えることで、まわりの人と恐怖を共有できた気がして、よほど里穂にとって安心できることであった。
里穂は、その時のことを一度克明に覚えていて、それをメモにまとめていた。その時里穂は誰かと一緒に歩いていたわけではなく、一人で歩いているところを声を掛けられたのだ。
その時の里穂は、完全に一人で考え事をしていて、まわりをまったく意識していなかったので、声を掛けられた瞬間は、ビックリした。
そもそも、里穂は一人でいる時は、考え事をしている時が多い。これは子供の頃からの一種の癖で、一人でいる時に何も考えていないという方が珍しかったに違いない。
一人で何かを考えている時、考え事の結論が出ていたのかどうかは曖昧で、出ていることもあったはずだが、でなかったと思う時の方が圧倒的に意識としては残っているのだった。
里穂は小学生の頃は算数が好きだった。女の子で算数が好きだというのは珍しいかも知れないし、算数が好きだった女の子が、どこでどうなって映像クリエイターの学校に入ろうというきっかけがあったのか、思い出そうと思えば思い出せるが、あまり思い出そうという意識はないようだった。
考え事をするには、算数の問題が一番都合がよかった。小学生では方程式なるものは知らないので、自分なりに数式を組み立てて、法則のようなものを考えるのが楽しかったのだ。
中学に入るとそれが代数という教科になり、方程式である?やYに当て嵌めるという公式的なやり方は、小学生の頃に法則を見つけては満足していた子供にとってが、やる気を削がれるに十分なことであった。
小学校の頃に考えていたのは、ほとんど算数だった。
「数字というのは、同じ間隔で並んでいるもので、整数とはよく言ったものだわ」
と感じていた。
だからこそ、法則を発見するには柔軟な頭で考えれば容易なことのように感じ、逆に中学以降の代数で数値を代入するというやり方が考案されたことも理解はできる。
だが、そこまで発見されたことを、いまさら勉強して何になるというのだ。人が発見したことをいかにして早く解けるかということの練習でしかない。算数の方が、文章題として出された問題に対して、
「算数というのは、答えさえ合っていれば、それでいい。途中の解き方はどんなやり方を取っても理屈に合っていれば、それは正しい答えなんだ」
と言われていた。
しかし、数学では公式まで決まっていて、その公式に対しての回答だけが求められる。それでは想像力の入り込む隙はないというものである。
そういう意味では算数の方がいかにも学問らしいと言えるのではないだろうか。
中学に入って、急に数学が面白くなくなり、理数系に疑問を感じるようになったことが、里穂を映像クリエイトの世界に入らせるきっかけになっていったのだ。
算数が好きだったのも、元々は、
「何もないところから、新しく作るのが好きだ」
という発想があったからだ。
算数の法則などは確かに昔の学者がとっくの昔に発見していることであるが、それをまったく知らずに自分が発見し、それが数式的に理論づけて説明されるものであれば、立派な発見だと覆えたのだ。
「新しいものを発見した」