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「催眠」と「夢遊病」

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 考えてみれば、小学四年生というと、まだ異性に対しての感情がなかった頃だ。思春期までにはまだほど遠いところにいたのだから、恋愛感情なるものを感じていたわけでもない。
 新垣はお姉さんと疎遠になったことで、ホッとしている自分も感じていた。
――どうしてホッとした気分になんかなるんだろう?
 と、ホッとした気分になった自分に、少し嫌気がさしていたが、すぐに平常心を取り戻し、
――これも仕方のないことなんだ――
 と感じるようになった。
 それから一年が経って、新垣はお姉さんを見かけたことがあった。
 すっかり小学生の頃と変わってしまったお姉さんを見て、
――俺はあの人のことが好きだったのか?
 と感じた。
 まだ小学五年生だったので、好きなタイプの女性を感じることもなく、漠然としてしか感じることができなかったが、少なくともフラれたからと言って、ショックを受けるような相手ではないことだけは分かった。
――だから、後悔も寂しさもあまりなかったのかな?
 と感じたが、そうではない。
 自分が思春期でもないのに、恋をしたと思ったからで、恋が偽物だったのだから、別れたとしても、そこに失恋としてのショックはないものだ。
 だが、新垣はこれを失恋のショックだと思った。
 中学生になってから思春期を迎え、本当に好きになる女の子ができた。
 別に彼女の方から好きになってくれたわけではない。だが、嫌われていたわけではなかったのだろう。新垣が思い切って告白すると、彼女は二つ返事で了承してくれたからである。
 本当は、彼女も新垣と同じようなところがあった。
 彼女の方とすれば、
「好かれたから好きになっただけだ」
 と思っていたようだ。
 新垣はその少し前に、好きになられたので好きになった女性と付き合ったが、破局を迎えてから、積極的な性格になったということだった。
 まさか自分から告白するなんて、思ってもみなかった。相手もビックリしていたが、新垣の思っていた通り控えめな性格なので、断ることができなかった。
 もっとも、好きになってくれた相手をぞんざいに扱うことができないという感覚は新垣にもあったので、自分が傷つくことはないと確信していた。
 だが、実際には嫌いになられても仕方のない状態だったのは間違いのないことであり、嫌いになられた場合のことをまったく何も考えていなかったのは、後から思えばゾッとするほど恐ろしく感じられた。
 だが、彼女とうまくいくこともなかった。
 新垣は自分が相手のことを好きだと思っていたのだが、相手はさほど自分のことを気に入っているわけではない。そのことを次第に分かってきたことで、自分の中で恋愛感情が急激に冷めてきたのだ。
 それでもすぐに別れることはしなかった。
――もしかして、自分の勘違いなのかも知れない――
 と感じたからだ。
 往生際が悪いと言えばそれまでだ。
 だが、相手は新垣の心の変化に気付いていたのかどうか分からない。何しろ無口で陰気な性格だからだ。
 最初は控えめな性格を自分の好きなタイプだと思っていたのだが、次第に陰気な性格であるということに気付いてくると、
――自分には手に負えないかも知れない――
 と感じるようになった。
 何を考えているのか分からないということがどれほどの障害になるかということを、その時初めて感じたのだ。
 中学時代のほとんどは、思春期だったと言ってもいい。高校生になってもまだ思春期は続いていたような気がしたが、高校に入って頃には、恋愛感情を抱く相手がいなくなった。恋愛感情というよりも、性的な対象としてのイメージが強く、同級生の女の子に対しても、オンナとしての視線を浴びせていた。
 相手も、
――あの人、気持ち悪いわ――
 と思っていたかも知れない。
 制服に異常な感情を抱いたり、制服を脱がせる妄想をしてみたりと、自分でも病気ではないかと感じるようになっていた。
 それが高校時代のことなのだが、他の人は、そんな感情は思春期の真っただ中である中学時代に済ませているようだった。
 そのことをよく知らなかったので、高校生になってそんな感情を抱いた自分を、まるで病気のように思った。
 中学時代の好きになった女の子との破局の後にショックでなかなか立ち直れない時期を迎えたが、その時よりも、高校生になってからのこの異常な感情の方が、ショックが大きかったように思えた。
 その時初めて鬱状態になった。
 ただ鬱状態になっただけではなく、躁状態との繰り返しを何度か繰り返し、それが躁鬱症の始まりだった。
 大学に入ってから少し落ち着いていたが、いずれまた起こる状況であることは、自覚していた。
――結構な確率で起こりそうな気がする――
 それは予感というよりも、予知と言ってもよかった。
 高校時代には好きになった相手も、自分を好きになってくれる相手もおらず、悶々とした気分が、ずっと続いたまま、卒業したような気がした。
 鬱状態と躁状態を繰り返していた時、一度、通常状態に戻ることがある。それは鬱から躁状態になる時であり、躁状態から鬱にはいきなり入る。
 鬱状態から躁状態になる時も、躁状態から鬱状態に入る時も、予感というものはある。慣れから分かるものではなく、最初から分かっていたのだ。特に鬱状態から躁状態への移行の時には、長い真っ暗なトンネルに光が差し込んでくるような感覚が分かるだけに、余計に感じるのかも知れない。
 だが、そのトンネルというのは普通のトンネルではない。いや、実際のトンネルに似ているというべきなのか、トンネルの中に長くいると、真っ暗なはずのトンネルに黄色いランプがついていることを感じるようになる。
 そのランプは、実際の山の中などのトンネルの中で光っている明かりと同じで、走っていながら、自分が暗示にかかっているかのように思えるのだ。
 まだ車の免許も持っていない中学時代なので、誰かが運転する車であったり、バスであったりするので、余計に視界を広めて見ることができるのだ。
「黄色いランプの中であっても、影は真っ黒いんだな」
 と、新垣は感じた。
 ただ、ランプが黄色い時に感じる影は、普段の影よりも一回りも二回りも大きな気がした。
「妖怪でも出てきそうだ」
 と思うと、トンネルの出口が早く見えてほしいと思う反面、この中から抜けると本当に自分が知っている外の世界に出ることができるのかが不安になってきていることに気付くのだ。
「一体、俺は何を怖がっているんだ」
 最初にトンネルを感じた時、それはまだ自分が鬱状態であるという自覚はなかった。
 だから、余計な心配をする自分が怖がっていると思い、そんな感覚になったのだが、怖がっているという自覚はなかった。トンネルから本当に抜けられるのかという疑念が本当は最初に浮かぶべきなのに、他の疑念を感じたことで、鬱状態とトンネルとが因果な関係になってしまったと感じたのだ。
 新垣は自分の鬱状態から抜け出せたのは、大学に入ったからだと思っていたが、本当にそうだろうか。確かに大学に入ってから友達はたくさんできたが、そんな友達が皆自分の想定内だったわけではないことが、躁鬱状態からの脱却に繋がったような気がする。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次