「催眠」と「夢遊病」
おばさん連中の会話ほど聞く耳を持たないことはない。確かに父親の上司の罵倒も聞いていて痛いくらいの状況だったが、奥さん連中はそれ以上だ。世間を知らないということがこれほど恐ろしいことだということを、新垣は子供の頃から奥さん連中の会話を聞きたくもないのに、聞こえてくることで身に染みるようになっていたのだ。
――聞きたくないことほど、耳に入ってくるものだ――
と感じた。
父親に対しては、
「事なかれ主義」
母親に対しては、
「孤独なくせに、誰かのそばにいるというだけで、何かしらの安心感を得たいと思っている」
という風に感じていた。
その二つは似ているようでまったく違うように思えたが、そんな二人が夫婦になってみると、意外とうまくいっているように見えるものらしい。
会話もない家でのぎこちない関係は、息が詰まるほどなのに、そんな状況に慣れてしまっているのか、新垣は何も感じなくなっていた。
そんな自分が情けないとは思うが、
「遺伝なんだ」
ということを自分に言い聞かせていたが、これだけは言い訳ではないと思うようになっていた。
父と母に関することで自分を顧みた時、そのほとんどは言い訳でしかないとしか思えなかった。
しかし、すべてを言い訳だと考えてしまうと、親子だと割り切っているつもりなだけに、そのうちに自分が許せなくなるようで怖かった。そんな思いをしないように、防波堤として遺伝という最後の砦を考えるようになったのだ。
だが、遺伝を言い訳として許容できるのは、高校生の頃までだった。大学生になると、新垣は自分が大人になったような気がしていた。背伸びに過ぎないのだが、何かそれまでになかったものが開けた気がしたのだが、
「俺にでも努力もしなくても友達を作ることが簡単にできるんだ」
と思ったのが、大学生という立場だった。
自分が大人になったかのような錯覚を覚えたのだが、実際には大学生という立場が、自他ともに、
「大人の余裕を感じさせる年代」
を感じさせた。
大学に入って知り合う人たちは、それぞれに個性的で、まるで子供がそのまま大人になったような人もいたが、よく見てみると、そんな連中にでも、一本筋が通った考え方があったのだ。
それは、新垣が特別な目で見ているからなのだが、その特別な目というのは、思い込みに違いなかった。
「大学生は大人なんだ」
と自分に言い聞かせ、さらに暗示を掛けていた。
暗示を掛けることに対して意識しないようにするために、大人の定義について考えようと思った。
だが、しょせんは無理なことだった。
大人の定義など、大人の世界を垣間見ただけではダメなのだ。経験からの目線がなければ定義などを語ることはできない。それを分かっていなかったことが、新垣に中途半端な暗示を掛けることになってしまい、いつの間にか自分が輪の中心にいるように思っていながら、一歩下がったところからしか見ていない自分に気付いていなかった。
だが、時々臆したような気分になるのだろう。友達の言葉に尊敬の念を抱きながら、
――自分には、あんな言葉を口にすることはできないんだ――
と感じることで、複雑な思いを抱くようになってしまった。
新垣は、大学生になってから、
「彼女がほしい」
とまた思うようになった。
中学時代に感じた思いと微妙に違っていたのは分かっていたが、概ね同じ感覚であるという思いから、自分が思春期のあの頃を思い出そうとしているのを感じた。
あの頃の思い出は、思い出したくもないという意識が強かった。それなのに思い出そうとするのは、自分の意志からではなく、無意識の中の意志だったのかも知れない。
だが、普通に知り合って、普通の付き合いをしたいとは思わなかった。なぜなら、中学時代の失敗を克服できたわけではないので、うまく誰かと知り合って付き合うようになっても、また同じことを繰り返すだけではないかと思うのだった。
その時思い出したのが、
「好きだから好きになったわけではなく、好かれたから好きになった」
という過去の意識だった。
それは、変わっていないだろう。ただ、相手が変われば違ってくるかも知れないとも思ったが、自分が好きになりそうな相手というのは、中学時代に付き合った女の子のイメージを引きづっているようにしか思えなかった。
「ツバメのひな鳥は、生まれて最初に見たものを親だと思うらしい」
という話を聞いたことがあったが、新垣の感覚もその通りなのかも知れない。
初めて好きになった相手、いくら好かれたから好きになった相手だとはいえ、今でもその印象が頭の中に残っている。
彼女の顔は半分忘れかかっているにも関わらず、彼女への印象は頭の中にこびりついていた。もし、彼女の顔を完全に忘れてしまったとしても、印象は残っていることで、まるでのっぺらぼうの口だけが開いて、表情も分かるはずもないのに、ニッコリと笑っているように見えるに違いない。
新垣が心理学に興味を持ったのは、そんな自分を研究してみたいという思いがあったのも否定できない。
もっとも、そのことを自覚したから心理学に興味を持ったわけではない。むしろ心理学を勉強する意義を考えた時、自分の中にある感覚を垣間見て、自分の中にある自分を見つめようとしている不可思議な雰囲気を感じたのだ。
自分の中の自分がさらに自分の中を見ようとしているのを見ると、人間の心理には年輪があるように思えた。
心理的な節目が年輪のように積み重なって、木の幹を形成しているのだと思うと、見えている部分を見ただけで、中がどうなっているのかということを感じることができるようになるのって、恰好がいいと思った。
大学に入って、具体的に何をしたいという意識があったわけではない。大学にも合格したところに行けばいいと思っていただけで、
「いくつか受ければ、どこかには引っかかるだろう」
という思いしかなかった。
浪人することも視野に入れていた。
浪人することで親に迷惑をかけるということも分かっていたが、
「それも仕方のないことだとうちの親なら漠然と考えるに違いない」
と思っていたのだ。
だが、浪人することもなく、何とか合格できた大学もあった。総合大学の学生数も半端ではないくらいのマンモス大学なので、親としても最低限の面目は保てたとでも思っているかも知れない。
とりあえずは、浪人しなかっただけでもよかった。後から思えば、浪人なんかしたら、それこそ、顔向けできないと思うことだろう。
偏見を感じている親に対して顔向けできないという感覚は屈辱でしかない。そんな思いをしなかっただけでも、本当によかったと思っている。
この大学は三年生までに自分の進路を決めればいいという、画期的なもので、まだ一般的に普及していない教育方針を試験的に導入しているところだったので、とりあえずの入学は、それ自体、悪いことではなかった。
しかし、逆に入学してから二年生までに進路を決めなければいけないということになり、この時期が本当は一番大切で難しいのだ。
大学生になったからと言って、遊んでしまうと、人生を踏み外してしまいかねない。
「人生の凝縮が大学生活だ」
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次