「催眠」と「夢遊病」
新垣は彼女と一緒にいる時、どのように対応していいのか分からなかった。
お互いに共通の趣味があるわけでもなく、話題にどうしても困ってしまう。
「どうして、僕を好きになってくれたんだい?」
会話に困ってしまった新垣は、それが禁止ワードなのかどうかもあまり考えずに聞いてみた。
すると彼女は最初困った様子だったが、おもむろに口を開くと、
「ハッキリとした理由はないんだけど、新垣君には、私と同じようなところがあるような気がして、それでお互いに気持ちが分かりあえるのではないかって思ったの」
その話を聞いた新垣は、却って安心したような気がした。
「あなたの好きなところは、ここなの」
とハッキリ言われてしまうと、そこに自分があまり意識している部分がない場合には、相手が期待している答えを返すだけの自信が自分にはなかった。
相手が自信を持ってしまうと、新垣は完全に臆してしまう。相手が同じように戸惑いながらであれば、お互いに探りあって話をすることができるので、末永く付き合っていけると思ったのだ。
だが、実際に会話をしてみると、最初の入りから、まったく話ができていなかった。こうなってしまうと、収拾はつかない。やはりどちらかが主導権を握らないと、会話にならないということを、いまさらながらに知ってしまった新垣だった。
そういう意味では彼女の方が、新垣よりも少し大人だったかも知れない。彼女にはそのことは最初から分かっていたように思えてならない。これも根拠があるわけではないが、新垣が彼女に何か言おうとした瞬間を彼女の方で敏感に感じることができるらしく、お互いに目が合ってしまうのを意識した。
目が合ってしまうと、臆してしまうのは新垣の方で、話そうと意を決したはずなのに、またしても喉の奥に流し込んでしまうのだった。
お互いに何を話していいのか分からない状態が続く。新垣の方は、完全に、
「ヘビに睨まれたカエル」
という状態に陥ってしまって、動くことができなくなった。
彼女の方で、自分の視線が新垣の口を閉ざしてしまったという事実を把握しているのかどうか分からないが、視線は新垣に対して何かを求めている。
普段なら、
――お前の視線のせいではないか――
と思うのだろうが、
この時は、
――せっかく彼女が望んでくれているのに、何もできない自分が情けなくて、悔しい――
という思いが先に立ってしまい、彼女への贖罪と、自分への懺悔の気持ちでいっぱいになってしまったのだ。
新垣と彼女は、その一回のデートで別れるということはなかった。二回目から以降はほとんど惰性のような感じであったので、何が楽しいのかまったく分からなかったが、それでもデートは四回までに及んだ。さすがに四回目で彼女から引導を渡されたが、新垣はそれを、
――やっと言ってくれたか。サッパリした――
とさえ思った。
苦しみがあったわけではないが、苦しみも楽しみも何もない状況から、逃げたいという思いだけがあり、逃げることができない自分がどれほど緊迫されたかのような状態に陥っていたのか、新垣は頭の中で堂々巡りを繰り返しているかのように思っていた。
彼女と別れたことで、一人になったのだが、その一人も悪くないと思った。孤独という言葉とは縁遠い感じがして、一人でいることを寂しいとは思わなかった。
それよりも、
「懐かしい」
という感覚の方が大きく、孤独な毎日を送っていた頃の自分がまるで昨日のことだったように思えていた。
彼女と付き合っていた時期にポッカリと穴が開いてしまい、その穴を誰かが埋めてくれたというわけではない。
掘り起こされた穴は最初からなかったかのように閉ざされていた。どんなに開こうとしても開くことができない。なぜなら、その場所がどこだったのか、跡形もなく消えてしまっていたからだ。
――俺が喋らなかったのが、いけなかったのかな?
と自問自答を繰り返したが、
――好かれたからと言って、いい気になってしまったことがすべてなのかも知れない――
と思うようになっていた。
新垣は、
「好きだから好きになったのではなくて、好かれたから好きになっただけなのだ」
ということに気が付いた。
新垣は、しばらくは彼女などほしいとは思わなかった。中学、高校時代と孤独な自分を言い訳もせず、他人事のように見ていた。本当に寂しそうにしている自分を見ていると、かわいそうというよりも情けなく感じられ、その思いが余計に自分を他人事として見ることができたのだ。
その思いがあったから、余計に自分を情けないと思うようになり、その思いがいつの間にか、自虐的な自分を作り出していたのだろう。
いや、自虐的な部分は生れつきなのかも知れない。彼の親を見ていればよく分かる。父親も会社で上司にペコペコしている情けない社員で、一度家に上司を連れてきた時、その様子は子供にもよく分かった。
応接室で大声で会社の自慢をしながら、父親に対して自分の意見を押し付けようとしているのが子供であってもよく分かったが、父親はまったく抗おうとはせず、上司のいうことに小声で反応し、頷いているだけだった。
そんな父親を母親も避難しようとはしなかった。歯ぎしりしたいくらいの苛立ちを抑えきれない状況で、よく我慢できていると母親に感心していたが、その様子は我慢しているようには見えなかった。
母親を見ていると、
――これは、よほどの我慢強いか、よほどのバカなのかのどっちかだ――
と感じた。
顔を見ている限り、我慢しているようには見えない。確かに顔色は悪いのだが、元々普段から顔色の悪い母親とさほど変わっていないように思えた。我慢しているのであれば、もう少し血色がよさそうな気がする。普段から血色がいいのであれば、顔色が悪くなったら、内に籠って我慢していると思うのだが、普段から顔色が悪いのであれば、その様子はなるべく気にしないようにしているだけにしか見えなかった。
実際に、上司が上機嫌で帰った後、二人は何事もなかったようにしていた。それを見た時、
――この二人、普段からこんなによそよそしかったのかも知れない――
と感じた。
いつもは両親のことなど考えることもなかったので、よそよそしさを幸いに、気にしなくてもいいと思っていた。しかし、気になってくると、
――こんなに居心地悪い家だったんだ――
ということを思い知らされた。
居心地の悪さを言い訳にしたくないから、余計に気にしないようにしていたのだろう。しかし、あんなに部下を愚弄するような言葉を、楽しそうに話す上司も上司だが、それを甘んじて受け入れるのが大人だと思っているとすれば、新垣は、
「俺はそんな大人になんかなるもんか」
と自分に言い聞かせていたのだ。
母親も、近所の奥さん連中の輪の中に入ってはいるが、決して中心にいるわけではない。中心に近づこうという意思もないようで、近づけば自分が溶けてしまうかのような錯覚を覚えているのかも知れない。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次