「催眠」と「夢遊病」
「自分の女性の好みが分からなくなってきた」
という意識の表れに繋がっていたのだ。
新垣は中学生になった頃からちょうど思春期に入っていった。
これが早いのか遅いのか、今となってはよく分からない。心理学を研究するようになってから、男子生徒が思春期に入る平均的な時期は分かってきた気がしていたが、それはあくまで今から考えるからである。その当時に立ち返っているわけではないので、自分が思春期に入った時が果たしていつ頃だったのか、正確には分からない。
分かっていることとしては感覚的なこと、主観的なことでしかないので、客観的な面がない限り、ハッキリとしたことが言えるわけではなかった。
新垣は思春期に入ると、それまでの女性の好みが変わってきたのを感じた。
最初はやはりお姉さんタイプの女性が気になっていたのだが、思春期になってからお姉さんタイプの女性を見ると、それまで感じていたイメージとは変わってきたことに気付いた。
気付いたのは気付いたが、どのように違ってきたのか、ハッキリと分かるわけではない。ただ、お姉さんタイプの女性が怖いと思えるようになっていた。しばらくすると、それが妖艶なイメージだということに気付いたのだが、怖さを最初に感じてしまったことが強烈なイメージとして残ってしまったことで、小さなトラウマが発生したと言ってもいい状況になっていた。
一度恐怖を感じると、後で妖艶な雰囲気だということが分かっても、自分から一度離れてしまった距離を元に戻すkとおはできなくなっていた。
その反動であろうか、思春期の前半は、女性を気になるという感覚はなくなっていた。それがおかしな感覚というわけではなく、まるでこれが自然な感覚であるかのように、気持ちは平穏であった。
だから、まわりの男子生徒が女子に対して必要以上に気にしていることが分かっていたし、そんな状況を見て、
「かわいそう」
という、自分のどこがそんな感覚にさせるのか分かるはずもなく、ただ哀れみのようなものを感じていた。
だが、思春期も後半に入ってくると、女性への興味が戻ってきた。
新垣は、思春期を前半と後半に分けることができると思っていた。その根拠は女性に対しての興味で。前半、まったく興味のなかった時期があり、後半からまた興味を持ち始めた。それだけでも十分な根拠だった。
しかも、前半で女性に興味を示さなかった自分が、別におかしな感覚だったというわけではないということを自覚できているから、前半と後半をしっかりと認識できると思ったのだ。
新垣の思春期後半の始まりは、中学二年生の冬だった。
これはハッキリとした時期だった。それまで女性に対してまったく興味を示さなかった新垣が、それを自然なことだと思っていたにも関わらず、気になる女性が現れたことで、それまでの女性を気にしなかった時期がまるでなかったかのようにしか思えなくなったのだが、それも普通に受け入れることができた。
思春期に関しての感覚は、自分が思春期の真っ只中にいる間は自覚していると思っていたが、思春期を抜けてから思い出した感覚が若干違っていたのだが。その後はすべて思春期を抜けてからの感覚でしかなくなってしまっていた。
新垣が中学二年生の冬、一人の女の子と仲良くなった。
相手の女の子は同じクラスの女の子で、普段から目立たない、いつも一人でいるような女の子だった。
それまで同じクラスにその子がいるということすら、意識の中になかった。もっともそれは思春期だという微妙な期間に自分がいるということが原因なのかも知れないが、それ以上にやはり目立たない存在である彼女に一番の原因があったような気がする。
塾も同じだったのだが、学校で感じたことのなかった視線を、塾の中で感じるようになった。それが彼女からだということにすぐには気付かなかった。どこからか不自然な視線を浴びているのは分かっていたが、それは決して不快なものではなく、むしろ暖かさのある感覚だった。
――何て、ほっこりした感覚なんだ――
その時にほっこりとしたというワードが思い浮かんでいたのかどうか覚えていないが、後から彼女を思い出すと、ほっこりとしたというワードしか当てはまるものはなかったのだ。
彼女はハッキリと告白してくるわけでもなかった。ただ視線だけ浴びていて、その視線が心地よくて、新垣の方からも話しかけることを躊躇していた。
その感覚を、
「助かった」
と思っていた新垣だったが、それは、話しかけるだけの勇気が自分にはないということを分かっていたので、自分を納得させるだけの根拠として、
「心地よさ」
という思いを利用したに過ぎなかった。
新垣が何も言わないことで、彼女の方も痺れを切らしたのか、やっとのことで新垣に告白してきた。
「私、新垣君をずっと前から好きだったの」
と言われて、新垣は顔が真っ赤になった。
自分でも顔が真っ赤になるのが分かったが、そんな自分をいじらしく感じられたのは、それが思春期の特権だと思ったからであろうか。
新垣は、すぐには返事をしなかったのは、
「少し焦らしてみよう」
といういたずら心があったからで、それが自分のS性であるということに、中学生の時点で気付くわけもなかった。
だが、さすがに焦らしてやろうと思っても、そんな気持ちがずっと続くわけもなく、次に会った時には、
「僕も君のことが好きだよ」
と答えた。
彼女は本当に喜んでいたが、その表情を見て、自分もニッコリと微笑んだ新垣だったが、その思いが本当に最初からあったのかどうか、自問自答して、複雑な気分に陥っていたのだった。
新垣は、本当に彼女のことを最初から好きだったのだろうか? 意識もしていなかったはずではなかったか?
「好かれたから好きになった」
というだけではないのだろうか。
それを思うと、新垣は自分が分からなくなった。しかし、この心地よい、これまでに味わったことのない感覚を簡単に捨てることはできなかった。
――これこそ、思春期の特権――
自分の気持ちに納得できるできないは別にして。せっかく与えられたこの気持ちやこの環境に逆らうだけの勇気が持てるわけもなかった。
新垣は彼女と付き合うことにした。
だからと言って、学校ではお互いに何もないように装っていた。
塾では彼らのことを誰も気にする人はいない。誰もが自分のことで精いっぱいで、学校にはない。独特な雰囲気を醸し出していた。
それを新垣は嫌いではなかった。お互いに何も干渉しないという間柄は、自分も願ったり叶ったりだと思っていたし、自分だって他の人のことをまったく意識していないことを分かっていたからだ。
新垣はその頃に、自分の女性のタイプというものが、
「まるで妹のような人」
というように、それまでとはまったく違った、いわゆる正反対のタイプであるということに気付いたのだ。
彼女から告白された時ではなく、彼女の視線を感じ、少し焦らしてやろうと思っていた頃から、自分の女性に対しての感覚がマヒしてしまっていることには気づいていたような気がする。好きなタイプに関しても、敢えて想像しないようにしていたのではないかと後から感じたのだ。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次