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「催眠」と「夢遊病」

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「落ち着いた気分になってくださいね」
 という新垣の言葉は優しかったが、つかさには、新垣の優しさが伝わってこなかった。
 普段から時々声が低くなっている新垣であるが、優しい言葉を掛けられると、それなりに暖かさを感じていたつかさだったが、この日はそんな気分にはまったくなれなかった。
――落ち着いた気分って、どうすればなれるのかしら?
 いつもならそんなことを考えたこともないのに、つかさは感じていた。
 だが、そのうちに新垣の目を見ているうちに急に睡魔が襲ってくるのを感じた。
――私、このまま眠ってしまうのね――
 つかさは眠ることに怖さを感じることはなかった。
 そのまま眠ってしまうことに恐怖を感じることはなく、新垣の誘うままに眠りに落ちて行った。催眠に掛かってしまっていたのだ。
 眠りから覚めることがない催眠があるという話であったが、それはあくまでも相手が催眠に気付いて、それに抗う気持ちになった時だけであった。それは研究途中のことで実際には間違いないと思われていたが、まだ臨床実験も証明されていない状態だったので、公共に発表するわけにはいかなかった。だからつかさは睡眠に入り込んだが、目覚めることがないなどということはなかった。
 それが、新垣の自己催眠によるものなのかどうかまではハッキリしていないが、事なきを得たとはこのことであろう。
 眠りに就いたつかさは、新垣の思っている以上に、深い眠りに就いていた。
「こんな状態で、これ以上の催眠術を掛けることなんかできるんだろうか?」
 新垣がつかさに掛けたい催眠は、彼女の過去を潜在意識より引き出し、自分からそのことを告白させるという催眠だった。
 テレビ番組などでは簡単に行われているが、実際にはそんなに簡単なものではない。そのことを新垣は今まさに思い知ったような気がした。
 それでも少しずつつかさが覚醒してくるのを感じた。一度深い眠りに入ってしまうと、別の世界で目を覚ますようになっているのか、その世界を催眠を掛けることによって、新垣は覗くことができるようになっていた。
「う〜ん」
 つかさは、夢の中で何かを感じているようだった。
 それが心地よいものなのか、それとも苦しいものなのか、声を聞いていると、苦しいものに他ならない気がして仕方がなかった。
「やはり、彼女の潜在意識は、苦しいところが一番上に来ているのかも知れないな」
 と感じた。
 苦しくてもその思いを脱ぎ去らないと、潜在意識を覗くことなどできない。それは分かっていることだが、新垣がつかさに対して抱いている思いが、つかさのその表情を見ていて間違っていないという思いにさせられたのは錯覚であろうか。
 つかさは新垣から催眠術を掛けられるのではないかということを、あらかじめ予測していたのかも知れない。具体的に催眠術というものだとはハッキリしなくとも、何かを仕掛けてくるということは分かっていたような気がする。
 分かっていて、そして覚悟のうえでつかさは新垣のもとにやってきた。そして、新垣から、
「今から催眠術を掛けたいと思うんだけど」
 と言われて、ビックリした素振りはしたが、すぐに覚悟の上であることを示唆しているようだった。
 ビックリした様子だったのも、実際には条件反射のようなもので、本人としてはビックリした自分に驚いたようだった。本人は新垣から打ち明けられて、
「やはり」
 と思ったが、それは思っていたよりも冷静に受け入れられた自分のことを、なぜかいじらしいとも感じられた。ビックリしている自分よりも冷静な自分の方が、本人の中では素が出ているように思えたのだ。
 もっとも、最近術については、以前から気になっていた。
「もし自分が催眠状態に陥ったら、どうなるんだろう?」
 という思いだった。
 自分でも自覚していない状況を、催眠を掛けている相手にだけ見せることになる。催眠に掛かっているのだから、自分に分かるはずはないという感覚だ。
 つかさは催眠を掛けるという新垣の表情が想像以上に血走っていることに不安もあったが、それよりも落ち着いている自分が見ていると、滑稽に感じられるところが不思議だった。
「催眠術にかかっている間、私は意識がないんですよね?」
 とつかさは聞いた。
 それは当たり前のことのように思えたが、念のための確認だった。
 それを聞いた新垣は少し驚いたように、そして興奮していた。すでにその時は催眠術を掛けると言った時の血走った目からはかけ離れたほど落ち着いていたのだが、この言葉を聞いた時は、血走ったというよりも歓喜の表情だったと言ってもいいかも知れない。
――私が聞くことを想像していなかっただけなのかしら?
 その歓喜の表情に、逆に彼が聞いてほしいことを、つかさが指摘したのではないかという逆転の発想があった。
「いいところをついてくれたね。普通の催眠だったら、催眠状態に入っている時は、本人の意識はないんだ。あるとしても、それは夢の中のような状態で、本人はきっと夢を見ているとしか思っていないはずなんだ。だけど僕の催眠は掛かっている本人にもその自覚があるんだよ。僕は掛ける方なので掛かった状況は分からないんだけど、理論上だけど、実際には意識があるらしいんだ。実はこの催眠はそれを君に自覚してほしいという意味のものでもあるんだよ」
 なるほど、これが彼の歓喜の意味だったのだ。
 つかさは彼がどういう気持ちなのかを計り知ることはできないが、表情を見ているだけで、彼の研究者としての意識は感じることができた。自分は研究者ではないが、何かを探求し、一定の結論に達しようとした時に感じる達成感にも似た思いは、何となく分かる気がするのだ。
「じゃあ、さっそく催眠を掛けてみようか?」
「はい」
 彼はそう言って、つかさを凝視した。
「僕のやり方は、会話の中から次第に催眠に掛かるようなやり方なので、これと言った特殊なことはないんだ。もっとも催眠術という意味でいえば、僕のやり方の方がよほど特殊なものなんだろうけどね」
 と言って笑って見せた。
 その表情は普通に笑顔で、引きつっているというイメージはどこにもなかった。おかげでリラックスしたまま彼の催眠に入ることができたが、その間、彼はいろいろな質問をしてくれた。
 その内容は、今まで話をしたこともない自分のことを、ことごとく彼が言い当てているのだった。
――どうして知っているの?
 という思いを何度抱いたことか。
「緊張しないでいいよ。別に実際に僕が前もって調べたわけでもないからね。今ここで君と正対していて僕が感じたことを話しているんだ。きっと君が僕に心を開いているから分かることなんだよ。もっともこれは催眠術を志している人には皆できることであって、催眠に掛かっている人が意識がないので、その人には分からないというだけのことなんだ。催眠術などというのは、相手のことが分からないと、掛けることはできないんだ。なぜなら、その人それぞれで掛けていい催眠と、掛けてはいけない催眠とが存在しているからね」
 つかさは、何かを言おうとしたが、ただ頷くだけしかできなかった。
――意識はあるのに、言葉を発することができないのかしら?
 どうやら彼の催眠はそういうもののようだ。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次