「催眠」と「夢遊病」
そうなると、堂々巡りを繰り返し、迷路に迷い込んでしまったかのように、永遠にさまよってしまうのではないだろうか。
さすがに同じような場所を繰り返し進んでいれば、そこで堂々巡りを繰り返していることに気付くだろう。少しでも違いを探して抜けようと試みる。しかし、堂々巡りを繰り返していると感じた瞬間から、
「心理の堂々巡り」
というものに入り込んでしまっているのだ。
まったく同時に感じる心理の堂々巡りと、打開策への希望。その二つは相反するものであり、交わることのない平行線だ。矛盾の中で同居できるはずもなく、結局は何もできなくなってしまう。堂々巡りを繰り返していると感じながら、それを自分のすべての世界だと思ってしまい、いつの間にか当たり前のように感じてしまう。
ひょっとすると、それが一番恐ろしいことなのではないだろうか。
「何かおかしい」
と思いながらも、それを当たり前のこととして流してしまおうとする。
いい悪いの問題ではないが、恐ろしい予感を秘めていることも事実である。その恐ろしさに気付いた時、さらなる堂々巡りが襲ってくるが、それが最初の堂々巡りと同じものなのか、誰にも分からない。当の本人が分からないのだから、他の人に分かるはずもなく、結局は逃れられない迷路に迷い込んでしまうことになる。
新垣はそんな心理の中で、つかさを研究室に呼んだ。
催眠術を掛けようとは思っていたが、その催眠術は、新垣がのちに掛けようとしている催眠術とは違っていた。
それは催眠療法に似たもので、精神を病んでいる人や、記憶の欠落した人に行う、
「自分の過去を引き出す催眠」
だったのだ。
自分の過去を引き出すことで、眠っている潜在意識を呼び起こそうとするもので、本人は夢の中にいる感覚になるのだろうか。つまりは眠っている時ほど、その人にとって平穏な時はなく、素直になれる時だと言ってもいいだろう。
すやすやと眠っているつかさ。催眠の最初はまず眠りに就かせることだった。
睡眠に陥らせる催眠は、新垣にとって、さほど難しいものではなかった。ただ、
「気を付けないと、掛けた催眠によって陥った睡眠から抜けられなくなることが稀ではあるがあるかも知れない」
という話を聞いたことがあった。
ただ、その話には信憑性はなく、人伝えに聞いたもので、実際の専門家から聞けた話でもなく、今まで読んできた文献の中にもそのような言葉を見受けることはできなかったので、都市伝説的なものなのかも知れない。
ただ、心の片隅に残ってしまっていたが、そんな意識を持ったまま催眠を掛けると、本来なら陥らないと思われることも、掛ける本人の思い入れの激しさで、余計な力が入ってしまい、掛かってしまうかも知れないという危険もあった。
だからなるべく、余計なことを考えないようにしたが、新垣はそのために、自己催眠を掛けた。
ちなみに新垣はその時から催眠術を掛ける前に自己催眠を掛けることが癖になってしまっていた。
その自己催眠とは、
「催眠術を掛けている時の俺は、余計なことを考えないようにするんだ」
というものだった。
それは、潜在意識を否定するもので、本来であればあまりよろしくないことだという思いは重々にあった。しかし、そうでもしなければ、相手を睡眠に陥らせる催眠は怖かったと言えるのだ。
新垣は自分が掛ける催眠にそれほど自信を持っているわけではないが、なぜそんなに催眠にこだわるのか自分でもよく分かっていなかった。
催眠術を掛けることが危険を孕んでいることは分かり切っている。それでも掛けなければいけないのは、自分の中にある何かを開かなければいけないという意識が強すぎると言えるのではないだろうか。
そのためには、まずつかさの過去を知る必要があると思った。別につかさの過去が自分が開かなければいけないものにかかわりがあるなどという根拠も信憑性も何もないはずなのにそう思ったということは、そう感じさせる何かをつかさが醸し出していたと言えるのではないか。
もちろん、つかさにそんな思いがあったとは思えない。しかしつかさを見ていると、新垣と一緒にいる時、時々ボーっとしていることがあったのを覚えている。
その時のつかさが遠くを見ているような感覚になっていたが、つかさにはその意識はなかったように思う。新垣が話しかけて初めて我に返るということが何度となくあったが、その状態をつかさは、
「単発的なデジャブが、間髪入れずに起こった」
と感じているかも知れない。
そんなつかさを見ることで新垣は、
「彼女の過去を垣間見ることが俺にとって必要なこと」
と感じるようになった。
それが何を意味していることなのか、ハッキリ分かっているわけではない。かといって、漠然としているというほど曖昧なものでもない。
「もう少しで分かりそうな気がする」
というところまで来ているようで、ひょっとするとつかさにはその先の出口のようなものが見えているのかも知れない。
新垣が催眠を掛けるために呼んだ研究室には、別に催眠に必要な機械などは置いていなかった。つかさは少なからずの何かの機械のようなものが置いてあるという覚悟を持っていたが、機械がないことで少しホッとした気分になっていた。
研究所は明るくもなく、暗くもなかった。ただだだっ広い部屋の真ん中にテーブルと椅子が対面で置かれていて、それが却って不気味ではあったが、つかさはそこまで不気味さを感じることはなかった。
新垣の方が却って不気味に感じていた。自分が用意した部屋のはずなのに……。
最初に部屋を用意した時は、そこまで気持ち悪さもなかった。
元々催眠を掛けるための部屋なので、これくらいのシチュエーションは当たり前のことであり、不気味さを感じてしまっては何も始まらない。
だが、つかさを招き入れた時にはすでに新垣は自己催眠を掛けていて、本来であれば、気持ち悪いなどという感情を抱くことなどない状態だったはずだ。それなのにどうしてそんな感覚に陥ったのか。新垣は不思議だった。
つかさは、その日会った瞬間から新垣の様子がおかしいことに気付いていた。一番の違いは声のトーンがいつもに比べておかしかったからだ。
「いつもよりも一オクターブは低いその声」
そう思うと、明らかな近いが分かってきた。
普段でもよそよそしさをたまに感じる新垣は、つかさに、
――やっぱり研究員さんって、こんな感じなのかしら?
と思わせていたが、その日はさらによそよそしさが明らかで、それよりも他人行儀なところが気持ち悪かった。
――まるで誰かに洗脳されて操られているようだわ――
と感じた。
ロボットのような血の通わないイメージに、いつもの新垣とはまったく違った佇まいが感じられた。
――催眠術にでもかかっているの?
つかさは新垣をそんな目で一瞬見た。
その時、新垣が臆した気がした。そう、一瞬我に返ったのだ。だが、それも一瞬のことですぐに元に戻った。自己催眠が勝ったのだ。それにしても、つかさの洞察力もすごいもの。まさかこの後自分が催眠術を掛けられるはめになろうなど、思ってもみなかったからだ。
新垣はつかさを椅子に座らせ、自分も対面の席に座った。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次