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「催眠」と「夢遊病」

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 その結界は内から外に向けた思いと、外から内に向けた思いとを遮断しているわけではないので、つかさの中では両方を理解することができる。
 もちろん、理解できるのは自分以外にはありえないことだが、同じような感覚を誰も感じていないということがつかさには重要だった。
 これこそが自らのオリジナリティ、小説を書きたい、あるいは書けるかも知れないと感じたのは、こんな思いから派生した気持ちだったのではないかと、つかさは今になって考えていた。

                  夢遊病

 つかさが小説を書くことが趣味であることを知った新垣は、それから少しして、歴史小説を読むのも趣味であるということを知った。
 新垣はつかさの思惑通りに、
「交わることのない平行線」
 として感じるようになった。
 それを感じることで、自分の催眠術の実験材料としてつかさを選んだのだが、選んだことで今度はつかさの中に結界が存在していることに気が付いた。
 しかし、その結界がどういうものなのか、新垣には分からなかった。交わることのない平行線とは別のものであるという意識を持っていたからである。
 交わることのない平行線に結界という発想が絡んでいるなど、まったく思ってもいなかった。前者は何となく分かったが、後者の結界に対しては、どこから来ているものなのか、まったくの謎であった。
――この人を実験材料にしてもいいのだろうか?
 結界の存在を感じたことで、新垣は少し怖くなった。
 自分の催眠術は効きやすい効きにくいの差はあるのだろうが、人畜無害のものだと思っていた。すぐに解けるものだし、催眠術と言っても、一種の暗示にしかすぎないと思ったからだ。
 だが、その暗示という発想が思っていたよりも怖いものであるということを、つかさの存在に思い知らされた気がした。
 新垣にとってつかさとはただの実験材料ではなかったはずなのに、彼女を見ていると、どうしても催眠を掛けてみたいという衝動に駆られてしまう。
――どうしてそんな気持ちになったのだろうか?
 ただの実験材料ではないということは、
「実験してみたいが、後ろ髪を引かれる」
 というもので、罪悪感というよりも、情にほだされた感覚だったと言ってもいいだろう。
――女性として意識してしまったのだろうか?
 新垣はつかさを決して抱こうとはしなかった。
 もちろん、実験材料にしようと思った段階で、情にほだされるようなことにはなりたくなかったからだ。それは罪悪感とは違った意味でのもので、罪悪感のように自分で納得しなければいいだけのものよりも厄介であることを分かっていた。
――罪悪感なんて、しょせん綺麗ごと――
 という考えがあった。
 ただ、罪悪感が消えた時、別のものがこみあげてくるかも知れないという思いは漠然としてではあるが持っていた。普通に考えれば、
「それが情というものだ」
 ということくらいすぐに分かりそうなものだが、罪悪感を拭い去った時から、感覚がマヒしてしまって、正常な判断ができなくなってしまったのかも知れない。
 正常な判断はまわりから見なければ分からない。しかし、異常な判断はまわりから見ていては分からないものだ。どこに境界線が存在するのか、新垣はいつも考えていたような気がする。
 矛盾を孕んだ考え方だが、判断というのは、その場の一瞬でなされなければいけないことが多い。矛盾を孕んでいても不思議ではない。
「どちらも正解ならば、どちらも不正解と言える」
 という話を聞いたことがあるが、一見矛盾のように思えるが、至極当然の話であった。
 世の中には、矛盾を孕んでいることを当然のごとくに受け入れて、疑問をまったく与えないものもある。そのことに気付くと、
「まるで重箱の隅をつつくようだ」
 と皮肉めいたことを言われることもあるだろう。
 例えば、鏡に写しだした自分を見た時、
「左右対称だけど、どうして上下は逆さまにならないんだ?」
 という疑問を誰も持たない。
 実際にはそれを疑問として研究している人もいるが、一般的には知られていない発想である。
 もしそれを誰かに話すと、
「そんなの当たり前じゃないか。鏡だから」
 と言われるだろう。
 それでもさらに、
「どうしてそうなるのか、理屈で説明してほしい」
 と聞いても、相手は何も言えなくなるだけで、下手をすると、
「そんなのどうでもいいじゃないか」
 と言って、逆ギレされてしまうこともあるだろう。
 新垣はつかさのことを本当に好きなのか試行錯誤した時期があった。いくら新垣でもいきなりつかさを実験材料として考えたわけではない。催眠術に関して結構深いところまで研究し、催眠術の先生にもご教授いただいた。本当はそれが正当なことなのかどうか分からなかったが、とにかく新垣は催眠術を普通に掛ける分には、何ら問題のないところまで来ていたのだ。
 ただ、研究員というだけで別に医者でもない。心理学を志す中で催眠術を会得したということであり、必要に駆られていなければ、実施することはいけないことではないのだろうか。
 それも分かっているつもりだった。
 だが、どうしても催眠術を掛けてみたいという衝動に駆られたのも事実で、ひょっとするとつかさと出会ったりしなければ、そこまで催眠術に深入りすることもなかったのかも知れない。
 新垣は、一度研究室につかさを呼んだことがあった。
 つかさは、黙って新垣についてきたのだが、その時、どのようなことをされるのか、つかさにはそれなりの覚悟のようなものがあった。
 新垣は、自分の経験から、いや、つかさという女性を見て、つかさの中に眠っている過去の記憶を呼び起こしたくて仕方がなくなっていた。自分がつかさのことを好きになりかけていることは分かっている。しかし、どこかつかさに入り込めないところがあるということを新垣は悟っていた。
――何を踏み込めないと思っているのだろう?
 新垣の気持ちは、中途半端だった。
 それは勇気がないという問題ではなく、
「踏み込んではならない何かがある」
 ということであり、その思いは今までにも感じたことがあったような気がした。
 それがいつのことで、何に対してのことだったのか覚えていない。いわゆる、
「デジャブ―現象のようなもの」
 と言ってもいいだろう。
 漠然と感じていることであり、その思いは一瞬だけのようだが、それ以降、定期的に思い出すような気もしていた。
 いわゆるそれは、
「逆デジャブ現象」
 という言葉で表してもいいのかも知れない。
 ということであれば、起点は新垣がデジャブを感じたその時から、過去に遡っても、未来に思いを馳せても、結局は起点から下ってくる思いになるのではないだろうか。
 その起点の頂点にいるのはつかさだった。つかさがこれからも新垣の人生に深く関わってくるのではないかと思うと、必要以上のことを考えないようにしようと思った。
 必要以上のことを考えないようにするというのは、迷いを捨てるという意味だと新垣は解釈した。迷いがあるから、起点がハッキリとしているのに、前にも後ろにも進むことができず、そのせいでそれが起点であるということまで分からなくなってくる。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次