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「催眠」と「夢遊病」

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 だが、途中までの想像は、適当であったあったということもあって、思い出した内容とはかなりの違いがあった。その違いをここまで読み込んできて、再度記憶の中にあった映像で塗り替えようとは思わない。せっかく適当だとはいえ、想像したからだ。想像することで生まれた小説へのイメージを打ち消すことは、つかさにはできなかった。
 しかし、思い出してしまった以上、ラストシーンを読み込むうえで、過去に見た映像を無視することはできなかった。
 適当なイメージで作り上げた印象と、元から潜在していた映像との融合は、なかなか難しいものであったが、最後まで読んでしまうと、意識に残っているのは、過去に見た映像だった。
 映像が悪いというわけではない。つかさの中に、
「映像を見てから原作を読むと、どうしても原作の素晴らしさがかすんでしまう」
 というイメージがよみがえってきた。
 だからつかさは、決して原作を見てからしか、映画やドラマを見ようとはしない。だが、映像を見てしまうと、原作の面白さが相殺されたような気がして、映像を面白くないように感じるのだ。
 それでもつかさは、原作を読んでからしか、映像を見ないということを徹底している。映像のつまらなさには目を瞑るという意識であった。
 つかさの意識としては、その後の執筆活動について、次第に本を読まないような傾向に走った。
 最初は、
「本を読むことが文章上達の一番の近道だ」
 と思っていたが、小説を映像化した時の、原作と映像の関係を考えた時、
「下手に他の人の作品を読まない方が、自分のオリジナルが書けるんじゃないかしら?」
 と思うようになった。
 将来はどうなるか分からないが、現時点で自分が小説家を目指しているわけではないという自覚があった。
 変に現実的なところのあるつかさは、あれだけ書くことのできないと思っていた小説を、曲がりなりにも最後まで書くことができるようになったのだから、
「せっかくここまでできたので、小説家への道を目指してもいいのではないか」
 と、思うようになった。
 だが、小説家を目指すということは、
「自分の好きなように書けなくなることだ」
 という意識に辿り着いた。
 それは、小説家を目指したいと思った時点で、いろいろネットや本で研究した結果、得た結論だった。
――締め切りに追われてばかりの毎日で、編集者との二人三脚とはいえ、いくら書きたいと思っているものであっても、売れないものは世に出すわけではいかないということなんでしょうね――
 ネガティブな部分ばかりを拾ってみたが、実際に作家デビューできたとしても、生き残れるのは、ごく一部の人だけ、
「作家になるよりも、続けていくことの方がどんなに難しいか」
 ということである。
 確かに、何もないところから新しいものを作り出すということに、子供の頃から以上なほど興味があったつかさなので、小説家という職業は、
「やりたいこと」
 と言ってもいいだろう。
 しかし、やりたいことの中で、本当に描きたいことを描くことができるのかというと、それは難しいような気がしていた。制約が多すぎて、思った通りにできないストレスと、締め切りに追われるストレスのジレンマを耐えることが本当にできるのかどうか、考えれば考えるほど、先に進むことはできなかった。
 高校生のつかさが、ここまで考えていたわけではないだろうが、大人になって、
「いつ頃小説家を諦めたのか。そして諦めた理由についてどういうことだったのか?」
 ということを思い出そうとすると、一連の記憶として浮かんでくるのが、この思いだった。
――時系列や期間は別にして、積もり積もって感じた思いが一つになったに違いないわ――
 と感じた。
 そんなつかさだったが、他の人の本をいつ頃から読まなくなったのかということを聞かれた時、この時だけはハッキリということができる。
「あれは、小説が映像化された時、映像と小説のどっちを先に見るかということを考えていた時、自分の中でできた結論の通りに動いているうちに、他の人の小説を読むこということが自分にとってマイナスになるような気がしたんですよ」
 という曖昧な表現しかできないが、他にどんな言い方をしたとしても、曖昧にしかならないような気がしたので、そういう意味ではこの言い方も、自分を納得させることのできるもので、妥当なものだと言えるのではないだろうか。
 つかさは小説家になりたいから小説を書き始めたわけではない。小説家になった人が、小説を書き始めた時から、小説家になるという意識をずっと持ち続けていたのかどうかも分からない。しかし、ネガティブにはなっても、諦めなかったことが小説家になるための最低限の意識なのではないかと思うのだった。
 そういう意味では最初からつかさには小説家になどなれるわけもなかった。だから、早い段階で小説家を諦めたというのは、よかったのかも知れない、人の小説を読まないという思いも、つかさの中で正当化されたものであり、オリジナリティが暴走するかも知れないと思ったが、どうせ素人の書くものだからと思えば、何ともなかった。
 小説を書くということがつかさにとって趣味というだけのものなのか、それとも生活の一部にまで昇格するものなのか、その時にはまだよく分かっていなかった。
 だが、また小説を書けなくなる時期がやってきた。今度は大学受験という関門である。
「どうしていつも、ちょうどいい時期に、そういうハードルがあるのかしら?」
 と、日本国の教育制度を恨んだりもしたが、恨んだところでどうしようもない。
 ハードルというものは、乗り越えるためにあるのだから、乗り越えられるだけの高さに設定されているはずだ。しかも受験する学校は一校ではなく、複数存在する。何になりたいのかによって、進む進路も違えば、進む先にも、ランクがあり、自分が無理をしなくてもいいような学校も必ずあるはずだ。
 そう思えば気が楽にもなるのだろうが、実際の当事者としてはそうもいかない。
 何が難しいかというと、一発勝負というところであった。いくらそれまでに準備万端であっても、試験当日に体調を崩したりしたのでは、何もならない。体調管理の難しさや、それに付随する精神面での辛さも伴うだろう。それを思うと、受験というのを前にすると、どうしても竦んでしまう自分がいるのを、つかさは感じていた。
「気分転換も大切だ」
 ともいわれるが、小説はただの気分転換で書きたいものではないという意識があったので、小説を受験勉強の合間に書くということは控えていた。
 確かに、不安定な状態で小説を書いてもいいものは書けないだろうし、何よりも大学に合格して、晴れて小説を書けるようになった時、せっかくのびのびと書けるようになったにも関わらず、精神的には、
「受験勉強の合間の気分転換」
 というイメージを持ったまま書かなければいけなくなるということを思うと、嫌な気がしてくると思ったからだ。
 すでに合格した後のことまで考えるなど、普通であればつかさにはありえないことだ。
 しかし、本当に好きなことは、先まで想像してしまうのだろうということに、つかさは分かっていたのだ。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次