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「催眠」と「夢遊病」

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 そして何よりもつかさを催眠術に使おうと考えた最大の理由は、
「お互いに何かが違うと思った瞬間が、同じタイミングだったのではないか」
 と思ったからだ。
 新垣がそう思っていた時、つかさも同じことを思っていた。そのせいもあってか、お互いにぎこちなくなっていた。
 合コンで知り合った時、気の利いた話をお互いにできなかったことで、逆に相手のことが気になってしまったこともあって、二人の距離は縮まったはずだった。その思いは二人にあり、少しでもずれていれば、もっと早い段階で別れるなどしていたに違いない。
 別れなかったことが不幸中の幸いだったのか、新垣はつかさを催眠術の実験台に選んだのだ。
 催眠術と言っても、そんなに大げさなものではない。段階があるというのは、第一段階で、催眠に掛かりやすいように誘導というイメージのものである。
 これは先導と言っていいかも知れない。催眠に掛かりやすいように誘導するというイメージであろうか。薬が効きやすいようにするため、別の薬を飲むことがあるが、それと似ているのだ。
 少数派ではあるが、催眠術に携わる人の中には、催眠を段階的に考えている人がいるという。新垣は心理学の観点から催眠術に興味を持ったので、段階的な催眠術というものが気になっていた。催眠術に段階があるなど、普通の人は意識しない。奥が深いものだという印象を催眠術に感じたのだ。
 新垣は決してつかさが嫌いになったわけではない。むしろ好きなタイプの人であることには変わりはない。しかし、
――決して交わることのない平行線を見た気がする――
 と感じたのも事実で、同じことをつかさも感じているということを、かなりの信憑性を持って感じていた。
 つかさはというと、彼女は新垣のことを最初はまったく信じていなかった。
――合コンに来るような男性なんて――
 というイメージを持っていたからだ。
 合コンに来る男性のイメージとしては、
「すべてにおいて、平均的な男性」
 というイメージが強かった。
 それは逆に、何かに特化したところが一切ないというイメージでもあり、
「面白くない人」
 という思いがあったのだ。
 もちろん、皆が皆そんなわけはなく、むしろ自分の勝手なイメージだということが分かっていたので。それだけに、
――自分のイメージと少しでも違うところのある人がいればいいな――
 という願望にも似た思いが強かったのも事実である。
 初めて参加した合コンで最初に感じたのは、
――明らかに初めての人間と、経験者では違う――
 ということであった。
 それは当たり前のことであり、最初から分かっていたことでもあったが、あらためてそのことに気付いたのは、
「気付かされた」
 というイメージが後からじわじわと湧いてきたからであった。
 変わり者が少ないというイメージで参加していると、参加しながら、自分がその場で明らかに浮いていることに気付いた。
「こんな自分に話しかけてくれる男性なんているはずがない」
 と思いながら、ずっとまわりを見ていた。
 普通、まわりをキョロキョロしている女性は目立ちそうなのだが、やはり誰も話しかけてくれることはなかった。次第に寂しさを通り越して、心細さを感じるようになっていた。
――いや、寂しさなんてなかった気がする――
 一人でいることに慣れているつかさにとって、場違いだという意識はあるが、自分だけが浮いていると思った段階で、寂しいなどという思いはなかったはずだ。
 寂しいと思うのは、自分と同類の人がいて、その人たちと仲良くなりたいと思っているが、気にされない時に思うものだ。最初から自分とは違う人種だと思っていた自分に、寂しいなどという感情があったとは思えない。だから、寂しさを経由しない心細さがつかさにはあったのだ。
 同類の人がいない場所に一人ポツンといることは今までにもなかったわけではない。すぐに、
「場違いだ」
 とは思うのだが、なぜか嫌な気がしなかった。
 そんな時、つかさは人間観察をするのが好きになっていた。
 誰にも言っていなかったが、つかさは中学時代から小説を書くのが趣味であった。場違いな中での人間観察は、つかさに小説を書く楽しみを与えてくれたのだ。
 それまで退屈で仕方のなかった一人でいる時間。寂しさは感じなかったはずなのに、孤独感があった。
 人間観察をしていると、描写を文章にすることにも抵抗がなくなっていた。本当は小学生の頃など、作文が大の苦手で、
――どうしてこんなもの書かなければいけないのか――
 と思っていた。
 実際に小学校の頃、作文を自ら発表する時間もあり、自分で朗読させられていたが、それがとにかく嫌だった。まわりの人の作文を聞くのも嫌で、自分が嫌なことは他の人も嫌なのだという思いを、その頃から持っていた。
 だが、本当は皆の作文がそんなに下手だとは思えなかった。聞いているとなるほどと思っていたが、作文の内容はともかく、文章力に長けた人もいた。
 内容はさすがに小学生であったが、内容を凌駕するほどの文章力があるのだということをその時に知った気がした。面白くもない内容であっても、人によって聞くに堪えないものもあれば、聞いていてさほど苦にならないものもあった。きっとそれがその人の持って生まれた文章力の賜物に違いないと思った。
 それでも中学生になるまでは、文章というものに対してのハードルは高かった。文章が書けるというのは、
「特定の能力を必要とするもの」
 という思いがあった。
 実際に文章が書ける人を、まわりの人が、
「文章が書けるなんて、すごい才能だわ」
 と言っているのを聞いたことがあり、つかさ一人が思っていることではないということが分かった。
 作文というだけでこれほどの思いになるのだから、小説というものは、本当に才能がある人でなければ書くことができないものだと思った。
 だから、自分にはできないと思ったが、今までのつかさであれば、そう思った瞬間、諦めていたに違いない。
 それなのに、どうして小説を書いてみたいと思ったのか、それは人間観察という観点からという思いが、自分の才能に火をつけたような気がしたからだった。
 実際に書いてみようと思い、実際に書いてみると、自分が思っていたような文章とは程遠いものであった。
 自分なりに試行錯誤をしていた。
 文章を書くということは最初から難しいと分かっていたので、却って書けないことを悪いことだとは思わず、
「いずれ書けるようになる」
 という信憑性も根拠もない気持ちがあった。
 いずれという言葉が入っているので、そこに自信があるわけではないということは明白だが、これから書けるようになる可能性があるということを素直に喜んでいる自分がいたのだ。
 こんな思いは、中学生になるまで感じたことはなかった。すぐに答えを求めているわけではなかったが、いずれなどという曖昧な言葉の中に余裕という観念が含まれているということに、その時のつかさは気付いていたのだろうか?
 中学生の頃の小説というと、メルヘンチックな話を書こうと思っていた。実際には人間観察から小説を書こうと思っていたので、メルヘンチックな話とは少し趣きが違っていた。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次