「催眠」と「夢遊病」
同じ時間を繰り返すという発想は、新垣が中学時代に読んだ本の中にあったものだったが、その内容は自分にとってセンセーショナルな記憶だったので、ずっと覚えていたはずだった。
しかし、今その本の内容を改めて思い出そうとした時、その内容が浮かんでこないのだった。
――どんな内容だったんだっけ?
何となく、ボヤけた状況で意識の中にあるのは分かっているのだが、最初と最後がハッキリとしない。途中もあやふやなのだが、最初か最後がハッキリとしていれば、きっと思い出せるのだと新垣は思った。
その思いがもどかしい。
もどかしいという感覚も実に久しぶりに感じた気がした。いつも、
「何事も他人事のように感じていよう」
と思っていたそんな自分が、他人事のように思えるのは、
「時間が少しでも経てば、考えていることは同じではない」
という当たり前のことをいまさらながらに感じたような気がした。
本の内容を思い出そうとしている自分もすぐに他人事のように思えた。しかし、目の前にいる占い師を見ている自分を他人事のように思えなくなったのは事実であって、男の顔がハッキリとしないことも、気になる要因の一つであった。
サングラスをしていて、口ひげを蓄えている。帽子も目深にかぶり、まるで顔を見られないようにしているかのような素振りに、新垣は少し可笑しくなった。
――誰からも意識されていないくせに、何をそんなに自分の顔を隠す必要があるんだろう――
という思いだった。
本人は、まわりから意識されていないということに気付いていないのだろうか?
そんなことはないだろう。あれだけまわりに視線を送っているのだから、少しは彼の方を見る人がいてもおかしくない。
――いや、本当は彼を意識していても、誰も彼の顔を見ているように見えないのではないか――
と思えた。
つまりは新垣も占い師を見ているつもりでいるが、他の人や当の占い師から見れば、見つめていないようにしか見えていないのではないかということである。
それも少しおかしな気がしたが、ここまで誰も彼を意識していないというおかしな状況を説明するには、どうやっても矛盾が出てくるのは必至だった。
それを思うと、少し奇抜ではあっても、今の発想もありではないだろうか。新垣は自分の考えがどこまで信用できるのか、分からなくなってきた。
そう考えると、さっきまで少しだけではあるが、
「占ってもらおうか」
と思った気持ちが揺らいでくる。
この感覚が占い師を意識はしているが、すぐに占ってもらおうとは思わなかった一番の理由だと思っている。
新垣はすぐに占ってもらおうとしなかった理由が一つではないと思っている。今の発想が一番辻褄が合っているし、自分を納得させることができる内容だと思っているのだが、真相はもっと深いところにあるような気がして、いろいろと考えてみたが、すぐには辿り着ける結論ではないような気がした。
占いに興味を持ったことはあっても、占い師を意識したことは今までにあっただろうか?
占いと占い師という二つを別次元のように考えていたような気がする。それは新垣だけではなく他の人にも言えることではないだろうか。その思いが新垣の頭の中にあって、毎日その場所にいるその男が本当に自分の思っているような占い師なのかという疑念すら浮かんでくるのだった。
占いなどというのは、まやかしだと思っていた時期もあった。
「ひょっとすると、まやかしだと思っていた時期を、一時期だと思っているが、本当は自分の意識の中の大部分だったのかも知れない」
という思いがあった。
それは、夢の世界に似ている。
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める数秒間だけ見るものなのだ」
という話を聞いたことがあったが、まさしくその通り。
話の内容について人と意見を交わしたことはなかったが。自問自答を繰り返したことはあった。
「確かに目が覚めるいくまでには、段階があるような気がする」
と思うと、もう一人の自分が、
「長いと思っていた夢でも、目が覚めるにしたがって忘れていくものなのだから、それも当然のこと。忘れていく間に、時間の感覚がなくなってくるというものだよ」
「それは、時系列がバラバラになるということかな?」
「そういうことだね。夢を記憶として繋ぎとめておくには、その時系列が一番大切なんじゃないかな? 時系列がなくなるものだから、忘れてしまったという気持ちになるのかも知れないな」
「覚えていないということと、忘れてしまうということは別なんだよね?」
「忘れてしまうということは、決して思い出すことがないということで、覚えていないということは、記憶の奥に封印しているのかも知れないけど、今は思い出すことができないというだけのことではないのかな?」
「忘れてしまうと、思い出せない。覚えていないことであれば、思い出すことができるかも知れないということになるんだね」
「そういうことだ」
新垣は、自分の中でそういう発想を繰り返しているのだ。
それが、
「自分を納得させる」
ということであり、自分を納得させない限り、その理論は決して前に進むことはないのだ。
新垣は目の前の占い師を凝視しているつもりで、夢を見ているのではないかと思うようになっていた。
占ってもらいたいという意識があるにも関わらず、彼の前に足を踏み出す勇気がないと思っていたが、これは勇気というものと少し違っているのではないかと思っていた。
「慎重になっている」
という感覚とも少し違っている。
慎重になっているのであれば、そこに恐怖が裏付けられる何かがあるはずなのだが、恐怖を感じることはなかった。ただ、他人事のように思えている自分に不自然な感覚を持っていたのだ。
「いつになったら、占い師の前に躍り出ることができるのか?」
と自分に問うてみたが、考えてみれば、この発想こそ他人事になるのではないだろうか。
歩み寄るのはあくまでも自分であり、この発想は、
「時間が解決してくれる」
という思いそのものに見えてしまう。
時間に解決を委ねた時点で、自分が逃げ道を用意しているということに気付かされた気がした。逃げ道がどこに続いているのか分からずに、逃げ道だけをひたすら求めるのであれば、それは占い以前の問題であるという、少し矛盾した思いを抱いていることに気が付いた。
――大体、解決というが、何に対しての解決なんだろう?
そもそもの根本的なことを考えると、まずこの思いが頭をよぎる。
何かを悩んでいるという思いはあるが、それが何なのか分からない。それが悩みだと言ってしまうとそれまでなのだが、悩みが階層的なものだという発想は、今になって感じたもので、新垣は占い師を見てから、今まで感じたことのない感覚を、たくさん感じるようになったような気がして、不思議な感覚に陥っていた。
――ということは、他人事のように思っていない自分もいるということ――
もう一人の自分がいるような感覚は前から持っていた。
しかし、その違いが分からない。どうして表に出てこようとしないのか、
――自分が夢を見ている時にだけ表に出てくるものであるから、夢を見るという現象があるのではないか――
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次