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「催眠」と「夢遊病」

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 当の子供は、どうやら知り合いの家に行っていたらしく、相手の家の方では子供があらかじめ遊びに来ていることを親に告げていると思っていたが、逆に子供は知り合いが家に連絡してくれると思って、どっちの連絡を入れていなかったという、情けない話だった。
 だから次の日には、
「事件が事件ではなかった」
 ということになり、人騒がせな親子は警察に注意されただけで済んだのだが、いわれのない疑いを掛けられた母親としては、たまったものではない。
 警察にチクった奥さんが、母親に詫びを入れることもなかった。
 そもそも、村八分になっていた相手に対して詫びを入れる必要はないと思ったのだろうが、完全なマナー違反であり、モラルに反するものだった。
 そのことについて、疑念を抱いた人も少なくはなかっただろうが、どうしても、
「長いものに巻かれる」
 という集団なので、しょうがないということだろうか。
 昇らされた梯子を下ろされ、立ち往生してしまった母親は、完全な置き去りだった。そんな状態で新垣の家は、どこかぎこちない空気に包まれることになった。
 そんな雰囲気を解消してくれるのが、家に父親が会社の人を連れてきた時であった。新垣はそんな日を嬉しく思い、それまでのぎこちない家庭環境がこのまま解消されるのではないかと思えるほどだったが、もちろん、それだけのことで解消されるはずもないのだが、新垣も母親もそれまで感じていたトラウマは、次第に抜けていくのではないかと思えてくるのであった。
 会社の人が来た時の家族は、それまでの家族とは少し違い、皆が浮かれているかのようになっていた。唯一、普段と変わらなかったのは、妹だけだっただろう。
 妹は普段からポーカーフェイスだった。
 他の家族も皆ポーカーフェイスだと言えるかも知れないが、妹の場合は他の家族とは少し違っていた。
 他の家族が表情を変えないのは、孤独を感じているからではないかと新垣は思っている。それは他の家族と限定することなく、自分にも言えることであって、だから、皆が孤独を感じていることも分かっていた。
 孤独だからこそ無表情になっていて、自分の中で、
「何も考えていない」
 ということを納得させたいという理由で感じていることだった。
 だが妹は違っていた。
 妹は表情は変えないが、絶えず何かを考えていて、何かを感じているように思えてならなかった。普段から妹だけには孤独を感じることはなかった。だからと言って友達がいるわけではなかったようなのだが、一体どうして孤独を感じずに一人でいられるのか、新垣には分からなかった。
 ただ、新垣は孤独をそのまま寂しいことだという認識でいた。
 孤独だからと言って、寂しいという気持ちがこみあげてくるというのは、納得のいく答えではなかった。
 妹の場合は、絶えず何かを考えていることで、孤独ではないと自分に言い聞かせていたと思っていたが、どうもそうではないようだ。実際に何かを考えることが、次第に面白くなり、孤独を寂しさと切り離して考えているのかも知れない。
 そういう意味では、孤独というのが決して悪い意味ではないと思っているのではないだろうか。だから、家族が普段孤独による寂しさを、いかに自分で納得いかせようかと考えているのを、冷めた目で見ていたとすれば、やっと寂しさから解放されたかのようにはしゃぐ自分たちを、またしても冷めた目で見ていたとして、今まで妹に感じたことがなかった劣等感を、その時に急に感じたのは、妹に対して冷静な姿勢が、どこか冷徹に感じられるようになり、怖さがこみあげてきたような気がした。
――妹は、本当に俺の妹なんだろうか?
 とまで感じるほどに、いつの間にか自分も妹を冷めた目で見ていることに気付いた新垣だった。
 新垣は、その時の事件がきっかけとなり、家に誰かを連れてくることがトラウマになってしまった。別に家に誰かを連れてくることと疑われたという不運に因果関係などありえるはずもないのだが、一般的な幸福と、絵に描いたような不幸とを見比べた時、切っても切り離せない関係にあるような気がしたのだっや。
 そんな新垣が心理学を勉強しようと思ったのは皮肉なことだったが、心理学を勉強していると、人の幸福も不幸も、それぞれに紙一重であり、そのどちらも普段の自分に関係のないことのように思えてならないのだった。
 ということは、どんなに不幸であろうが幸運であろうが、他人事であり、ただの研究材料として見れば、結構楽しいものに思えてきた。幸運を手に入れられないのはもどかしく思うが、それ以上に不幸な状況が他人事として自分に関係ないところで見ることができるというのは魅力だった。
 それでも最初はそんな気分にはなれなかった。さすがにトラウマがあっただけに、どんなに他人事だと思ってみても、勝手に身体が震えだしたりしていた。そんな状態で心理学などという学問は、傷口に塩を塗るようなものであり、受け入れることのできないものだと思っていた。
 それがどうして心理学を受け入れるようになったのかというと、まず最初のきっかけになったのが、占いによる結果だった。
 占いなど信じていない新垣だったが、普段なら見向きもしないはずの露店での占い師の存在を、急に意識したことがあった。
 その場所にはほぼ毎日のように座っているその占い師。きっとその場所を毎日のように歩いている自分のような人が他にもたくさんいるはずだ。
 占いを見てもらっている人を見たことがない。それでもその人は人の流れを絶えず見ていた。退屈そうな素振りを見せることもなく、まっすぐに前を見ているその姿に、今まで意識しなかったというのは、それだけ無意識にだとは思うが、
「無視しよう」
 という意識が働いていたに違いない。
 何も考えていなければ、毎日のようにその場所に鎮座しているのだから、いやでも意識しないわけにはいかないだろう。意識しないということに対しておかしな気分にならなければいけないはずなのにならないということは、意識していないつもりで意識しているということの裏返しなのだろうと、新垣は思った。
 一度意識はしたが、すぐにはその人に見てもらおうという気にはならなかった。あくまでも意識したというだけのことで、それよりも自分が意識したことで、相手がどのように変わっていくかを見てみたいという意識に駆られた。
 占い師は新垣が自分を意識しているのを知ってか知らずか、決して新垣を見ようとはしない。その他大勢の中の一人としてチラッと垣間見る程度のことはあるが、しばらくその場所に立ちすくんでいても、占い師は新垣を凝視することはおろか、注意を払おうという素振りはなかった。
――この人は一体、どういうつもりなのだろう?
 新垣は占い師の素振りを見ていると、一つのことに気が付いた。
 それは、ある一定の時間を起点にして、同じ時間をずっと繰り返しているかのように見えたのだ。
 それが十分なのか、十五分なのかすぐには分からなかったが、よくよく見てみると、彼は一つのクールをずっと繰り返していたのだ。
――ひょっとすると、あの男は、別の次元に存在しているのかも知れない――
 と、ありえないことを想像してみたりしたが、それだけではなかった。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次