「催眠」と「夢遊病」
主人公を困らせる存在であり、そんな存在感を自分なりに納得していたのだ。
つかさを利用しようと考えた時、自分の中に罪悪感のようなものを一瞬感じた気がした。しかし、すぐにその思いは消えていて、罪悪感など自分にはないと思った時、つかさは自分が悪役のような存在であったとしても、それでいいと思うようになっていた。
最初はつかさに対してだけ自分が悪役でもいいと思っていたが、その思いは少し違っていた。
そもそも自分はまわりの人間から認知されていたわけではない。つかさほどではないが、存在感は薄いものであり、まわりからはあまり意識されていなかった。
そのことを彼女は自分でもウスウス分かっていた。だから、自分よりもさらに存在感の薄いつかさに近づき、一緒にいることで自分の優越感を保とうとしたのだ。
そのうちに、つかさが自分を信頼してくれていて、自分を頼ってくれているのを見て、
「利用しよう」
という方に気持ちが動いたのだ。
最初から利用するつもりはなかったのかも知れない。自分が優越感を感じることさえできればそれでよかったのだ。それなのに、つかさはそんな自分を信頼してくれている。普通であれば、自分がそんなつかさに対して利用しようなどと考えることは、裏切り行為であることに違いなかった。
明らかに悪いことであることは分かっていた。当然罪悪感が浮かんでくるはずだと自分でも思っていたのに、一瞬だけ罪悪感を感じ、すぐにそれが消えてしまった。最初から罪悪感などなければ、利用しようなどとは考えなかっただろう。罪悪感が浮かんできて、すぐに消えたという現象の一致が、彼女の中で利用しようなどという感覚を思い起こさせたに違いない。
つかさの方とすれば、彼女が自分から離れていこうとしているのを、直感で感じることができたようだ。理由はどういうことなのか分からなかったが、それならそれでいいと思った。
つかさが新垣と知り合う前、彼女の方が他の男性に心を奪われているなどと思いもしなかったhずだ。つかさも彼女も、同じ年ごろの女の子に彼氏ができると、どのような態度に変化が訪れるかなどということはまったく分かっていなかった。
つかさも彼女の心の変化に少しくらい気付いていてもよかったのだろうが、少し様子がおかしいとは思っていたが、まさか好きな男性ができたなど、想像もしていなかった。
彼女が好きになった男性というのは、大学生ではなく、社会人だった。ある日、電車に乗っていて、少し気分が悪くなった彼女を、まわりの人は見て見ぬふりをしていたが、その時助けてくれたのが、その男性だった。
彼女は、たまに電車の中で気分が悪くなることがあった。貧血気味であり、結構鼻が利くこともあって、満員電車の中などでは、体臭の入り混じった車内で、急に気分が悪くなることがあるのはむしろ普通のことであり、そんな彼女も最近は慣れてきたのか、まわりの人が見て見ぬふりをしてくれる方が却って気が楽な気がしていたのだ。
元々まわりからあまり意識されないタイプだったこともあって、そんな自分を気にされないことの方が正常な状態だと理解していたのだ。
だが、たまに誰にも気にされないことが無性に寂しく感じることがある。それは定期的に感じることなのだが、彼が声を掛けてくれたのは、そんな心の隙間をピタリと埋めるには十分すぎるタイミングだった。
偶然であることは彼女も十分に分かっていた。
しかも、彼を最初に見た時、
――イケメンだわ――
と感じた。
男性を顔で判断することをしなかった彼女だったが、彼を見た時、自分がどうして男性を顔で判断していなかったのかを考えてみたが、すぐに納得できる答えに辿り着いた。
――私は。男性の顔というよりも表情を見ていたんだわ。その人の表情を見て、どんなタイプの男性なのかということを判断する。だけど、その人がどんなタイプの男性であっても、私が男性というだけで相手にしなかっただけのことだったんだわ――
と思ったのだ。
今でも男性というだけで、助けてくれた彼を男性として意識しないようにしていた。
電車の中で呼吸困難に陥った彼女を、
「大丈夫ですか?」
と言って、助け起こして、座席まで肩を貸してあげる形で連れていった。その時、電車の中は満席で、誰も席を譲ろうとしなかったが、彼が目の前の座席を凝視した時、そこに座っていた男性が、臆したようにすごすごと席を空けたのだ。
それを見て、
――彼の視線ってどんなものなのかしら?
と彼女は感じた。
その視線の正体を知りたいと思ったことが、彼女がその男性に興味を持った最大の理由だった。
確かに、電車の中で気分が悪くなった女の子を助ける同年代の男性というと、出会いとしてはベタであり、少ししらじらしさを感じないわけもなかったが、その時の彼女は、まるで童話の中の主人公になった気分でいたのだ。
それまでの、
「意地悪なおばさん」
に甘んじていたはずの彼女が、主人公に昇格した瞬間だった。
一度主人公としての視線からまわりを見てみると、それまでの自分の視線とはまったく違ってしまったことを感じる。それを思うと、
「つかさと離れることも、今までの自分とは違う自分を発見するためには必要なことなんだわ」
と感じた。
つかさは、彼女が自分から離れて、男性に目移りしてしまったことを悪いことだとは思っていなかった。
自分も合コンに出ることで、同じような思いができるかも知れないと思うと、ワクワクした気分にもなっていた。
ただ、つかさには彼女に対して、他の人には感じることのない、劣等感を感じていた。
もちろん、他の人にも言い知れぬ劣等感を感じてはいるが、つかさは彼女に対しての劣等感はまったく別のものだと思っていた。劣等感でありながら、慕う気持ちがあるからで、決して悪い感覚ではなかったのだ。
慕う気持ちは、男性を好きになる気持ちとは違っていた。だが、彼女の方では、つかさから慕われる気持ちと同じ気持ちを自分が知り合った男性に感じていると思っていたのだ。このあたりの微妙な感覚の違いが、ふたりの離別をスムーズにしたのかも知れない。
彼女が好きになった男性は、本当はプレイボーイだった。
彼女の他にも何人も彼女候補を抱えていて、、ただ彼は決して特定の彼女を持とうとはしなかった。女性の方から告白してきても、
「ごめん、友達としてしか見ることができないんだ」
と言って、殊勝にその思いを断っている。
もちろん、彼女たちとは身体の関係を持っていた。彼のようなタイプは、男女の関係にならなければ、女性の方としても、付き合うという気持ちにならないという一種異様な雰囲気を醸し出している男性だった。
そこが彼のプレイボーイたるゆえんだともいえるのだろうが、女性の方も、彼に対してどこか怪しげな雰囲気を感じていたからなのかも知れない。
それでも男女の関係になってしまうと、彼のような男性に対して女性は、
「もう離れられない」
という感覚にさせるのだろう。
作品名:「催眠」と「夢遊病」 作家名:森本晃次